南柯と胡蝶の夢物語
一方病室では、穂月が帰るのを確認した紗良里がやっと布団から顔を出したところだった。
さすがに蒸れたのか、薄っすらと汗が滲んでいる。
ふう、とため息をついて首を振ってみせる。
「穂月に顔を見せるなんて無理に決まってるじゃない。もう、私は穂月が知ってる紗良里じゃないんだもの」
瞳が揺らいで、だんだんと涙が溜まってくる。
その涙がついに零れて、白いシーツを濡らした。
ぽたぽたぽた。
ぽたぽたぽた。
いつだって三滴落ちるのだ。
ぽたぽたぽた。
ぽたぽたぽた。
右の目と、左の目と、左肩の目から涙が零れ落ちるのだ。
左肩の目の視界に外の景色が映る。
病院を去って行く穂月の姿が。
その代わりとでもいうように、顔にある左目はもう何も見えない。
顔の左半分を覆い尽くす真っ白な薔薇のせいだ。
それらは紗良里の顔に寄生していた。
しっかりと薄い肌の下に根を張り、皮膚を突き破って、茎は殆ど無く、ただ刺々しい額の上に美しい花を咲かせている。
「こんな顔、見せられるわけないじゃない……」
呟くとまた、薔薇の隙間から朝露のような涙をひとつ流した。
頭の中の人格が出てくることもなく、人知れずに、音も立てずに。