南柯と胡蝶の夢物語
古びたアパートの102号室で、幼い女の子のひっと息を飲む音が聞こえてきた。
その子は怯えながら、後退りながら一生懸命に自分に迫る女に舌足らずな言葉でなだめるように言うのだ。
「まま……いやよ、いたいのは、や!さらりにいじわるしちゃ、めーっよ……?おはな?おはながほしいの?」
紗良里の母親は濁花中毒者だった。
花に酔っている時は紗良里にとってとても優しい母親であり、紗良里はその母親が大好きだった。
だからこそ薬が切れて罵詈雑言を吐きながら濁花を欲しがる母親は嫌いだったのだ。
「あんたを……怪我させればいいのよね、花が咲くくらい、おっきな、怪我……!」
そんなことをぶつぶつと呟きながら刃物を持って襲いかかる母親は、紗良里にとってみれば鬼より何より怖かった。
二年前に父親は、妻を見捨てて出て行ってしまったので、もう助けを求める相手もいない。
本当に殺されそうになる寸前で、近所の人の通報で紗良里は保護され施設に入れられることになるが、母親はそれ以来どうなったのか分からなかった。
それは三歳の時の話。
それから、紗良里が言う『アイツ』には会うこともないし今何をしているのか、生きているのかも分からない状態が続いている。