南柯と胡蝶の夢物語

一人でキッチンに立ちながら、今日の戦利品である豚のバラ肉と玉ねぎを調理していると、窓からがさごそと物音が聞こえてきた。
リビングを覗くとやはり青い羽が見える。

「ああ。なんだ穂月、帰ってたんだ。これっぽっちも気がつきませんでしたよ」

皮肉に笑うその声もいつもの数分の一の元気で。

「まあね……泥だらけじゃん、どうしたの?」
「ええ、ちょっと仕事をしていたんですよ」
「……さっきの、鳥?」
「やだなあ!見てたのかあ。恥ずかしいですね、ちょっとぼーっとし過ぎでさ」

笑い声をあげるも、ふう、という息とともに萎んでしまう。
悪魔はソファのはじっこで背中を丸めて体育座りをしながら、背中に生えた大きな青い羽の先を前で合わせるようにして自分の姿を隠した。

「雨が、最近降らないでしょう」
「まあ、そうだね。九月だし普通だと思うけど」
「ちょっと時期外れに卵を産んじゃったんだってさあ。番いになるのが遅かったらしいですよ」
「え……」
「お嫁さんの方が歳上なんですよ。来年は卵産めないかもしれないから、どうしても今年産みたかったんだって。今まで雛を成鳥にできたことがないんだって。外敵にやられて」

膝に顔を埋めながら、悪魔は淡々と語っていく。
今までやっていた自分の『仕事』を。

「今年、まだまだ暑いでしょう。セキレイって元々水辺の鳥だから、大人はともかくまだ飛べもしない雛が水分不足でバテて、死にそうなんだってさ。ここら辺、川もないから。でもどうしても、自分の子孫を残して死にたいんですって夫と一緒に番いで私のところに来たんですよ。どういうことかっていうと」

そこで一旦切って。

「お嫁さんの命を、子どもに移して欲しいって、まあ、そういうことでして」
「……」
「私は命を加工することは出来ませんから、分割するなんてことも無理なんです。だから、助けられるのは雛一匹なんですけど……それも知ってたみたいで。母親って、すごいよね」

穂月は料理する手も止めて、黙ってその話に耳を傾けていた。
悪魔はまだ、抑揚のない声で続ける。

「私、人間とは会話が出来るんですけど、それ以外の言葉を持たない動物にはその動物の心を読むことしか出来ないんです。……話せる存在も居るらしいですけど。だから、私の言いたいことは伝えられない。雛がどれだけ危ない状況なのか、あと二日保てる状況なのかは心を読んでも知識が無いからわからない。だから、私はこのテレビで明後日は雨の予報が出てるって知りながらそのセキレイのお嫁さんを殺したんだ」
「……っ」
「雛に会ったよ。可愛かった。お婿さんが指名した子を一人元気にしてやったけど、それもそれで少し可哀想なんですよね。まあ、そんなこと私が言ってもしょうがないんだけど。このお嫁さんの遺体はどうするんだろうと思ったんだけど、鳥には、少なくともセキレイには墓って概念は無いらしいね。私が少し人間に関わり過ぎて分からなくなっていましたよ。どうしようと思ってとりあえずここに戻ってきちゃったんですけど、結局彼女の巣の近くに埋めてきました。まあ、こんな感傷はいかにも人間くさくて、我ながら嫌になるけど」

土が詰まった爪を見てそう呟く悪魔に、穂月は躊躇いながら声をかけた。

「……お風呂」
「どうしました?」
「お風呂沸いてるから入って。汚くて見てなんない」
「お風呂なんて人間の習慣であって……」
「いいから!お湯浸かってそのうじうじも治して来なさいよ」

ここだから、と脱衣所を示す穂月にしぶしぶ従いながら、ドアを閉める直前に悪魔はぽつりと問うた。

「……私は、悪ですか?」

パタン、とドアが閉まる。
一瞬だけ呆けた顔をした穂月は、変わって早口にドアに向かって声を投げつけた。

「あんたのどこが悪なのよ、あんたなんかただの口減らずの妖精じゃないの」
「……妖精、かあ」

ふふ、という笑い声は今日一番に優しいものだったので、穂月は少し胸を撫で下ろした。
< 38 / 67 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop