たかしと父さん
「ここでいいから」
「あ、わかった」

そんなに高そうでもないけど品のいいアパートの前だった。なんでそんなことを思うかというと、ここまで来る途中に高級住宅街を通るからだ。そんなところのお嬢様だったらどうしようかと思っていたけれど、別にそんなこともなくてほっとした。というか、お父さんの乗っていた車も高そうじゃないし(詳しくないけど)、お父さんは若そうだったけど良い人そうだった。

「もうお父さんサイテー」

僕は将来のことを考えて、少しだけお父さんの肩を持つ。

「・・・偶然見えちゃったんだよ、きっと。それより、反対されなくて良かった・・・よね?」

ふくれていた篠宮さんが笑った。

「まあ、・・・だって別にお父さん怖くないもんw」
「なんか、彼女の『お父さん』って全員怖いイメージ。」

2人でしばらく笑った。

「えへへ・・・たかしくん今、私の事『彼女』って言ったでしょ?」
「あ・・・」

全然気づいてなかった。本当だ、僕、今、篠宮さんの事『彼女』って言った!

「じゃあおやすみ・・・たかし」

そういうと篠宮さんは今まで見たこともないようなダッシュでアパートの中へ消えて行った。僕は一生いまの「たかし」という声を耳に焼き付けて生きて行こう。その日、僕は家に帰るのに盛大に道に迷った。篠宮さんの家(の前)は初めて行ったけど、別にむずかしい場所ではなかった。だけど、思い切り迷った。でも、叫びだしたい気分だった。ちょっとスキップした。独り言は小声だった。

「ぼ・・・僕も、篠宮さんの事、下の名前で呼べるようにならなくちゃ・・・」

心の中で「さら」と呟くだけで、大変なことになる。

「これはハードル高い!」

発想を転換して、心の中で名前を呼ぶ素振りをしてみる。意識を集中して・・・「さら」「さら」「さら」・・・声に出すという前提さえなければいけそうだ。この調子で馴らしていけば言えそうな気がする。いける・・・いけるぞ・・・

「・・・さぁ・・・アッだめだぁ!!」

危うく意識が飛びそうになった。動機と息切れがすごい。このままじゃダメな気がする。このままじゃ「たかし」と言って脱兎のごとく逃げて行った篠宮さんに勝てない気がする。しかし、そこまで考えたところでまた「たかし」という篠宮さんの声が耳の中で再生されて悶えてきた。

こういうわけで僕は道に迷ったのだ。



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