たかしと父さん
新田高志は平凡な高校生で、平凡な高校生らしくバカだったしガキだった。それは言ってしまえば年相応なことで、おかしくもなんともないのだが、当時の私は「命がけの恋愛」のイメージを映画や漫画などでパンパンに膨らませていた。罪滅ぼしと自戒の意味を込めて自己評価すると、私自身も間違いなく「バカだったしガキ」だった。だから新田高志がより「バカだったしガキ」に見えてしまった。それでも、私はやっと見つけた彼を逃すまいとして・・・いやこの下りは整理して書こう。

(2つの表現が必要だ)

私はやっと見つけた彼を
私をやっと見つけた彼を

逃すまいとして。

こういうことだ。私は彼を見つけたかったし、見つけても欲しかった。とにかく彼を逃すまいとして、その日の夜のうちに同じ学年でメールアドレスの類を交換している女子全員に彼氏ができた報告と、その相手が新田高志であることをメールでぶちまけた。こうしておけば逃げられにくいと思ったからだ。この辺が全くスマートさを感じさせない。いかにも私はガキだった。バカだったところは、当時の私は毎日学校から家に送ってくれるだけの恋愛にすぐに飽きてしまったし、強引さもなければ少しの変態性もない彼の人間性にも味気なさを感じていた、私の最終目的から逆算すると、男子はもっとガツガツした存在でなくてはいけなかったのに、新田歌詞に対してはそこを見誤ったと少し後悔していた。それらは今になって思うと体が弱い私を、当時「高校生の彼」が「高校生の彼」なりに精一杯気遣ってくれていたのだと分かる。これがその時に理解できていたら私はもっと幸せになれた。これはもはや完全に中年の発想かも知れないが、たった15才そこらの少年が自分の理解の範疇を越えた謎の病気を抱えた彼女を心配して、毎日自転車ひいて並んで歩いて帰ってくれたのだ。しかも、週末もそう多くはなかったであろう小遣いをやりくりして、ずっと私のために時間を割いてくれた。その彼の献身に気づけるほど大人ではなかったことがとにかく悔やまれる。何なら、私が自分の寿命をもし知らなかったら・・・時間的な余裕もあり、もっと選り好みできる立場にいたとしたら、新田高志に振り向いたかどうか甚だ疑問だ。話を戻すと私は全く自分のバカが原因で新田高志に飽きていた。その間に私のことをなだめすかしていたのは養護教諭の高木だった。今、私が上で新田高志のバカとガキが単に年相応のもので貶される類のものではなく、彼がいかに素晴らしい素養を持った男性で、対して私がいかに世間知らずのバカだったかということを書いたが、新田高志にウンザリして愚痴を漏らすたびに、ほぼそっくりそのままのことを私にいつも説いて聞かせたのが彼女であり、それは結局のところ後の深く反省した私自身である。これは後述する。反省の弁はそのぐらいにして私の焦りがあったのは事実だった。強がってはいたものの高校入学から猶予は5年間ほどしかなく、その間に最低限10ヶ月の妊娠をしなくてはいけない。当然、妊娠するためにはパートナーの協力が必要だったし、果たしてパートナーが協力を始める気になってからどれぐらいで妊娠できるのか心配で仕方がなかった。とにかく焦った。てっきり、高志に金銭的余裕がないのが原因でそういう場所に行けないのかも知れないと考えてバイトを勧めたり、他の同級生の話をだいぶ盛って話したり、あらゆる手を尽くした。付き合っている期間が1年を過ぎたころから、同級生からは勝手にそういう目で見られていて「実は何もないから相談に乗って」と言い出せない雰囲気だった。私が「最終手段」という単語を意識し始めて、その具体性について考え始めた頃、父が急に新田家のご両親に挨拶に行くと言い出した。私はてっきり新田高志との不純異性交遊を疑われているのだと思って、且つ、踏み込んでもらえないイライラが募っていたのもあって生まれて初めて父親相手に怒りを爆発させた。怒りの原因を整理すると二点に絞られると思う。心底不本意ながら全くそうした関係がないのに、そのことで大切な彼氏との仲が壊されてたまるかというのが一つ。もう一つは、退屈な新田高志との交際を2年近く辛抱していたのにもう残り3年ほどしかない私の人生をひっくり返されてたまるかというその二点だ。父は私のその思いをどれぐらい正確に知っていたのだろうか。今こそ聞いてみたいと思うのだが、高志は私のパートナーであって私の父「たかし」ではない。彼に聞くのはお門違いだ。とにかく家の中で激昂し、父に怒鳴り散らし、そう広くないアパートの中をうろうろ歩き回り、物に当たり、動悸がして血の気が失せ、ソファに倒れこんで号泣した。号泣しただけではなく散々あることないこと言って罵った。父は悲しそうな寂しそうな難しい顔をして何度も謝った。それまであまりわがままを言ったつもりは無いので、人生一度ぐらいのわがままは聞いてもらえるのではないかという計算も合って大立ち回りしていたわけだが、私の父は穏やかでも強情だった。それはそうだ、花嫁が短命であることを知りながら高卒で結婚した上に文句ひとつ言わずに娘を育ててきた純情野郎が私の父だ。小娘が一人頑張ったところでどうにもならないんだと悟って、結局、一度も言ったことのない彼氏の家に連れて行かれる羽目になった。ただ、私も新田家に足を踏み入れると彼氏の家に来たという別なドキドキでテンションが上がっていったのを今でもよく覚えている。甘いものが苦手な父が、いつの間にか用意していた羊羹が妙に上品な味で「もしかしていつもこんなものを隠れて食べていたのか?」という気持ちになったり、家に入るときにふっと見えたお姉さんの姿が凛々しくて、高志の知らない一面を見た気になったりしていた。父に対しての怒りの気持ちが「新田家」という新たな刺激によって薄れてくると、今度は妄想が始まった。高志の部屋がどんな風か見てみたい。この二人が私の将来のお義父さんとお義母さんになるのだろうか。今日を上手く誤魔化して切り抜けたら、なんか劇的な展開になって「今日は泊まってきなさい」とかにならないだろうか。親同士が喧嘩を始めたら高志が私を連れて家を飛び出して、駆け落ちしてくれて、それで中卒だけど私のために一生懸命バイトしてくれて・・・とかそういった類のことだ。しかし、現実はもっととんでもなかった。それは突然だった。


「すいません!高校卒業と同時に結婚させてあげてください!!」

と言って腰を直角に曲げ、新田家族に頭を下げる父親を見ながら脳内は真っ白になっていった。それまで妄想でパンパンになっていた頭の中の風船がどっかへ飛んで行った。私は口を開けて父を眺めている事実に気づいて急いで口を締め、羊羹を食べた。その後、お姉さんの運転する車で中華料理屋に行くのだが、あまり行く途中の記憶がない。なんだか、変なにおいのする車だなと思った程度で、車にどれぐらいの時間乗っていたのかもわからなかった。中華料理屋についても口の中は羊羹の味のままだったので、隙をついてコップのお水を飲み干した。見るとお姉さんも高志も視線をさまよわせながら無言でガブガブ水を飲んでいる。なんとなく高志よりたくさん飲むのはカッコ悪い気がしたから、おかわりはしなかった。とにかく会話がかみ合わなかったので何か言われたら謝ろうと思った。人間、柔和な表情できちんと謝ればだいたいの局面は切り抜けられるものだ。そう、自分に言い聞かせてとにかく落ち着くことにした。「こんな時間まで二人でいたことなかったね」とかそう言ったことを高志に言うと、お姉さんに「お邪魔してすいませんでした」と言われて、正直やらかしたと思ったのをよく覚えている。でも、お姉さんは元々そういう細かいところに突っ込んでくるタイプの人なんだと後でわかった。正直、お腹は空いていなかったけれど、新田姉弟も夕飯を食べていなかったようで注文を迷っている間に結婚の話はうやむやになってしまった。「今、その話をしなかったら絶対だめだ、どうしよう」と悩んでいたら、エビチリにこだわっていたお姉さんが注文を終えて話を切り出してくれた。

「さっきの話、沙良ちゃんはどう考えてるの?」

そう、優しく切り出してくれた。ああ、こういう人とだったら家族になれるかなと思いながら、自分が短命であることをいつか打ち明けなければいけないと思うと少し胸が痛んだ。

「父がどう考えているかはわかりませんが、私は高志さんと結婚できるなら嬉しいです。」

お姉さんは高志にも同じ質問をした。

「結婚する気はある。でも二人の将来のことを考えると大学行かないといけないと思ってる。」

その言葉に胸を締め付けられた。きっと高志は「結婚する」とそう言ってくれると思っていたけど、大学の卒業は待てない。私は嘘をついているわけではない事を知ってた。でも、高志を騙しているってことも知っていた。あの時、私に勇気があれば「結婚はできません」とも言えたはずだし「私は発情期を終えたら死んでしまうだけのそういう人間です、それでも良ければ結婚してください」とでも言えたはずで、それは私がそういう配役だからとかではなく、単純に私「篠宮沙良」の人間の醜さが言葉に表れただけのことだと今も思う。
 父は帰り道、車を適当な路肩に停めると「すまなかった」と私に謝った。私自身は高志を騙し続けていることに対する罪悪感で、車の後部座席に座っているだけで精一杯だった。思い出せる限り父の言葉を書く。

「お父さんな、もっと早く高志君だけにでも、沙良の病気の事、きちんと話そうと思ってたんだけど、結局、今日の今日までできなかった。だから、代わりに高志君のお父様とお母様に話してきた。許してくれとは言わないけれど・・・勝手なことしてすまなかった!」

とても大きな父の声だった。私は父の声の大きさに硬直したようになって返事もできずにいた。

「だから、もし、高志君が結婚しようって言ってくれたら、お前は結婚すればいいんだ。幸せになるんだ。」

あの夜の後部座席で見た、自分の膝をなんだか鮮明に覚えている。拭っても拭っても涙があふれてきて、泣きながら「お父さんありがとう」と言った。そう言えたつもりではあったけれど、あの夜の父には届いていただろうか。今思うと、これも私の一つの心残りではある。
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