たかしと父さん
高志はそんな私を懲りずに好きでいてくれた。こんなに幸せでいいのだろうか。

「ちょっと寄り道していかない?」
「あ、うん。」

高志が連れて行ってくれた先は(あとで知ったことだが)ウェディングサロンと呼ばれる所だった。

「た・・・高志!・・・ここ!」

学校帰りの高校生が二人で入ってきたのでお店の人も驚いたようだ。ただそこはやはりプロできちんと対応してくれた。

「・・・ご予定とか、ご予算とかお決まりですか?」

高志が何かやり取りしている。その頃になってやっと視界が広がってきて、周りの景色が見えるようになってきた。他のお客さんにすっごく見られてる。

「た・・・高志・・・」

正直帰りたかった。でも、高志は意に介していない様子だ。

「ここから選べるってさ。」
「へ?」

お店の人が開いているアルバムだかカタログだか分からないものには、結婚式場のイメージ写真が並んでいた。それを見て理解できたことが一つある。結婚式っていうのは女子のためのイベントだってことだ。写真のキラキラした感じとか色使いとか完全に夢見る女子ホイホイだ。抵抗できない。次々に供給される結婚式のイメージの数々に私はなんだかポワーンとしてきた。ただでさえポワーンとしているのにウェディングドレスの話をされた時にはもう意識レベルが低下しすぎて、ほぼ無自覚で試着をしていた。言われるがままに試着をして鏡を見るとそこにいたのは、写真でしか見たことがない、私の会ったことのないお母さんの姿だった。鏡を見て、それまでの気持ちがすっ飛んだ。涙でドレスが汚れる前に脱がなきゃ、何とかしなきゃとそればかり考えて、鏡の方を見ないように、高志とも目を合わさないようにした。

「ど・・・どう?」
「すっごくきれ・・・あ!」

試着室のカーテンを自分で閉めると急いで脱がせてもらう。

「高志、ごめん、今日帰ろ!」
「え、何も決めてない・・・」
「また、今度来ればいいから!私急いでるの!」
「あ、すいません、また来ます!」

ずんずんと歩いてアパートへ向かう。

「沙良、そんなに急ぐと心臓が」
「あ、うん。」

ちょっと急ぎ目にアパートへ向かう。

「ごめん、先走りすぎて。悪かった、驚かせようと思って。」
「違う・・・違うことで驚いて、高志は悪くない。」
「あ、そう?・・・でも、なんかごめん!」
「ううん、私こそゴメン!またあとでメールする!」

家に駆け込むとさっき鏡の中で発見した母の写真を靴箱の上で見る。

「お父さんいる!?」
「え、いるよ!?今日は早く帰ったよ!?」

私は息を整えながら言った。

「あの写真の、おかあさんのドレス、あれはレンタル?それとも買ったの?」

お父さんは首を捻って考えている。

「考えたことなかったけど・・・レンタルじゃなかった気がするから、篠宮の実家にでも保管してあるんじゃないか?」

お父さんの記憶は当たっていた。私は篠宮家の実家に連絡をするとドレスは送ってくれるそうだ。お父さんは仕事が早く終わって寝ていたのだろう。寝ぼけた顔のままで

「へー、そんな風になってんだ。」

と他人事のように言っていた。
 高校卒業までにやらなくてはいけないことがたくさんあった。卒業するためには授業を受けなくてはいけなかったし、私は学力と言うよりも体調のせいで単位が取れる出席数ギリギリの授業がいくつかあったので、体調を整える事を前よりずっと大切に考える必要が出てきた。正直、卒業にこだわる必要はなかったのかもしれないが、そんなことはその時はついぞ思わなかった。高志も父と同じ会社で就職前の実習を受けるようになって、またさらに忙しくなっているようだった。二人で過ごす時間は徐々に減っていったが、それを不安に思うこともなかった。ウェディングドレスを着た鏡の中の自分は、自分がお母さんになることを暗示していた。その瞬間こそ、思わず逃げ出したようになってしまったが、鏡の中のお母さんは私が初めて見た生きている母の姿のように感じた。その時に感じたものは日々の生活の中で、だんだん私の身体の隅々に行き渡って、18才で結婚した母もきっと子供だったんだと私に理解させた。ここしばらく私が感じていた自己嫌悪の正体こそ、私が子供であることに全部由来していて、それを知らなかったわけではないけれど、自分の姿と母の姿を重ね合わせることでその事実を許容できるようになっていった。高志はきっと今以上に大人になっていく。そして、私は最後までついていく事は出来ない。だけど、たったそれだけの理由で別れるなんて考えられない。結局、結婚式の費用はほとんどお父さんが出すことになっていたらしい。挙式のお金の出処が自分の父親だとわかると、色々、わがまま言ってもいい気がしてきて、親戚、同級生や先生たちに招待状を出す頃には、端から端まで私のわがままの塊のようになっていた。高志は時折「それだけは勘弁してくれ」といった表情をしていたが、結局、全部許してくれたように記憶している。学校の方はと言うと、なぜか1時間目に固まっていた英語を1単位出席日数で落としそうになっていたけれど、先生が先回りして補講してくれた。同じ補講には遅刻の常習犯も含まれていたので、「私だけのためじゃなかった」とホッとした。冬が過ぎて、また春に差し掛かる頃、私は高校を卒業した。
 卒業式を終えると学校の前にタクシーが待っていた。お父さんはとっくの昔に式場に行っている。「篠宮さんお母さんいないんだよね?手伝わせてよ?」と言って養護の高木先生が付き添ってくれることになっていた。もはや理由についてはいちいち説明しない。当時の私はあまり付き合いのない篠宮の実家の方々に付き添ってもらうよりその方が気が楽だったので深くも考えなかった。結論から言うと結婚式はハラハラしっぱなしで正直、楽しむ余裕は一切なかった。今となっては全部良い思い出だけど、隅から隅まで他人様に話すようなものでもないので、かなり省略して書くことをお許し願いたい。式場に入り、控室に入る。クラスの同級生や先生たちを招待した手前、あまり卒業式の直後に始めると誰もこれないという理由で、多少、余裕をもって時間は取ってあったが、それでも忙しいものは忙しい。久しぶりに見た篠宮の実家のおばさんたちがきれいな和装で駆けつけてくれた。

「まー大きくなったねぇ、お母さんそっくり!」

お母さんの話をするとどうしてもお母さんが早逝した話をしなくてはいけなくなるので、そこからすぐに話題は変わってしまったが、私はもういちど鏡の中のお母さんに会える瞬間があると確信していた。クリーニング(高かった)から帰ってきたお母さんのドレスを着て、メイクが終わると、思ったより化粧が濃くて「もうちょっと薄めのほうがお母さんの写真っぽかったのに」と思ったのを覚えている。でも、鏡の前で立ち上がると、やっぱり私が写真でしか知らないお母さんがいた。

「・・・本当にお母さんそっくり」

親戚のおばさんたちが息をのむ、ほどなくしてすすり泣きが聞こえてくる。

「お母さんのさきちゃんもどこかで見ていてくれるんかねえ。なんか、お母さんがこのドレス着てお嫁に行ったのが昨日の事のようだわ・・・」
「鏡の中からお母さん見てくれてるよね?篠宮さん。」

高木先生がそう言いながら微笑んでいた。私はお母さんと話せるのはこれが最初で最後なんだと感じていた。

「やっと、会えたね。お母さん。私、行ってくるね。私、幸せになるから。」

結婚式のことはここまで書けば充分だろう。あとはご想像にお任せする。
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