たかしと父さん
 病院の定期検診で待ちに待っていた良い報せだ。

「細かいことはこちらではわからないので、産婦人科に紹介状書いておきますね。」
「ウワァオ!」

診察室で思わず大きな声を出した。産婦人科へ行くとそのままその日2回目の検査室へ送られた。ドキドキしながら採血されたり採尿されたりして産婦人科の外来へ戻る。診察券を見ながら「私は篠宮高志と結婚したから篠宮沙良」と心の中で唱え「自分の苗字が結婚して変わったという設定ごっこ」をしながら待っていると、程無くして名前を呼ばれて晴れて懐妊が確定した。仕事中であろう高志の携帯にメールを送ると、続いて新田家へ電話して報告した。あとは高校の頃から仲の良い何人かにメールを送ると帰りのタクシーが家の前に止まった。タクシーを降りると両拳を空に突きあげて「やったー!」と叫んだ。

「どうしたの?沙良ちゃん。」

大きな声に大家さんが2階から顔を出した。

「できたんです!」
「あれぇ!まだできてなかったんね!?てっきりできちゃった結婚だと思ってたわ、おばちゃん!!」
「まあ、皆そう思ってたみたいですけど・・・でも、できたんです!!やったー!!」

大家さんが突っ掛けで駆け下りてきた。

「お祝いしてやる!」
「本当!?」
「うん、沙良ちゃんがここに初めて来たときからしっとるもん、可愛い可愛い沙良ちゃんだで・・・待っとれよ!寿司がいいか?なんか違うもんがいいか?」
「スシ!」

「なら出前だな」と言って大家さんのお婆ちゃんは電話をかけにアパートの中に引っ込んでいった。そして、また2階から顔を出す。

「エレベーターで2階に上がってきて、エレベーターで!」

「きっと妊婦さんだからだ!」と思いながら2階へあがり大家さんの部屋にお邪魔する。2階の角の部屋で、私の住む所より1部屋多いだけのようだ。

「良かったねえ・・・良かったねえ・・・」
「ハイ!」

きっとすごく昔から綺麗に管理されているのであろう応接セットのふかふかの椅子に座っていると「シイタケ大丈夫?シイタケ?」と訊かれたので、また「はい!」と返事した。

「良かった良かった、妊婦さんだとカフェイン(イにアクセント)が飲めんでねえ・・・」
「カフェインですか・・・(フェにアクセント)」
「そうそう、カフェイン(イにアクセント)!だから妊婦さんはお茶とかコーヒーは控えんといかんのだって!私はそうきいたよ?」
「カフェイン(イにアクセント)控えた方が良いんだ、へー」

謎の飲み物シイタケ茶はお吸い物みたいな感じのものだった。そのまま、テレビを見せてもらいながら世間話をしながら、出前を待っていると高志からメールが入った。

-あれ?いまどこ?-

忘れていた。二重の意味で忘れていた。夫に「大家さんのトコにいます」と教えるのを忘れていた。大家さんに「夫が夕方帰ってきます」と言うのも忘れていた。でも、大家さんは夫の分まで出前を頼んでいた。スラックスにカッターシャツ、その上から作業服を羽織った状態で夫は大家さんの家に上がってきた。手には黄色いチューリップを1輪持っていた。

「私に!?」
「う、うん・・・」

高志が大家さんにも見られて恥ずかしそうにしている。大家さんは「綺麗だがー、ええ旦那さんだがねー」とはしゃいでいる、大家さんの玄関先でそうこうしているとお寿司屋さんがすし桶を持ってきた。大家さんが想像したよりもずっと大きな金額を支払っている。

「だ、出しますよ!」

高志が焦って財布を出そうとすると「わたしは毎月もっとお二人からもらっとるんだでええの!」と切り返されてしまった。それでも尚、高志が食い下がろうとすると「年寄りに恥をかかせたらいかんのだって。」と言われてノックアウト。大家さんの完全勝利となった。高校時代、高志の有無を言わせないオーラにびびっていた私は、今こうしてその高志の惨敗を見ながら「上には上がいるものだ」とか「亀の甲より『年の功」とか「百戦錬磨」とか「青二才」とかいろいろな言葉を思い浮かべながら、それ以上何も言い返せないで財布をしまう高志を見ていた。大家さんの家で風呂敷包みを開けるとそのとんでもない金額の正体が姿を現した、正体は鯛の姿造りだった。

「ホンモノ初めて見た!」
「私も!」

大家さんは応接テーブルに箸やらお吸い物やら並べながら鯛の言い訳をしている。

「これねえ、私の大好物なんやけど、一緒に食べてくれる人がおらんと頼めーせんで・・・私、歯が悪いだろ?だで、一人でこんなに食べれーせんの。こんな時でもないと食べれんのだわ・・・二人ともお刺身食べれる?」

二人で一生懸命頷いた。

「カフェイン(イにアクセント)が入ってないものだとシイタケ茶しかないで、みんなシイタケ茶でごめんね?」
「大丈夫です!」

高志がタイの目を見ながらそう答えた。3人で頂いたお寿司の中にウニが入っていたので多分「並」では無かったのだろう。大家さんが「あれ、珍しい塩水ウニだがね」と言って食べていたのを覚えているので間違いない。その夜、チューリップを挿すためのガラスの一輪挿しまでお土産にもらって1階の自宅に戻った。

「大家さんいい人だな。すごいごちそうになっちゃった。」

そう言いながらも夫、高志は炊飯器の中を覗いている。食べたりなかったのだろう。あんな良い物を食べた後だと何を作っても見劣りするので夫には悪いがふりかけか玉子かけご飯でしのいでもらうことにした。夫はもはや食べたりないことが最重要課題になっている。私は食卓の上に黄色いチューリップを飾ってずっとご機嫌にしていることにした。高志は玉子かけご飯を食べ終わってから改めて私の懐妊を祝福してくれた。
 お腹の中の赤ちゃんはぐんぐん大きく重くなっていった。もう、服を買い替えないといけないと考えていたころ、篠宮の実家からマタニティウェアが一箱どんと送られてきた。私は長く悩むと良くないと思ったので、思いついた時にすぐ遺書を書いた。遺書を書くと、色々考えるので少し泣く。でも、泣き終わると気持ちが整理できて落ち着く。だいたいその時間になると、そんな事を私がしていたとは知りもしない夫、高志が帰ってくる。そんな時、いつものように作業服をジャンパー代わりに羽織って帰ってくる高志を見ると、なんだかありがたくて拝んでしまいたいような気持ちになる。私の父と高志が似ていることに疑問を感じなくなったのも、その頃かもしれない。すっかりお腹が大きくなる頃になると、私は遺書を遺すのをやめることにした。出産の日はお別れだと確信していた。でも、自然分娩なら別れる前に一目我が子が見れるのではないかと期待して、自然分娩を選択した。高志はもうこの頃になるとずっと笑顔だった。私が子供を産むのと引き換えにこの世を去ろうとしている事を、高志は知っている。でも、高志がそれを知っていることを私が知っていることは恐らく知らない。誠実になろうと思った時期もあるけれど臨月を待たずに「さようなら」とはとても言い出せなくて、それは最後まで秘密にすることにした。高志だって私に「死んじゃうからやめろ」とも「もうすぐお別れだね」とも言わなかった。だから、私も言わない。実は生活は少し苦しかった。いつも何かの支払いが遅れていて、なにかしらやりくりしなくてはいけなかった。ただ、それは本当に「少し」で、自分たちが幸福であることはやめられなかった。高校の時からそうだったけれど、高志は自分のためにお金を使うことがほとんどない人間だった。毎日、もっと料理の練習をしておけばよかったと後悔しきりだったけれど、高志は何でも美味しいと言って食べてくれる「張り合いの無い」夫だった。毎日、毎日が美しい日々だった。この日々の思い出がなければ私はその後の18年間近くを耐えられただろうか。赤ちゃんはお腹の中で元気に動き、高志は時折、寂しさの混じらない本当の笑顔を見せてくれる。私は幸せになったと実感した。これ以上は贅沢というものだ。
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