たかしと父さん
 病院のアイスクリームは大人になって食べると、普通のアイスクリームだった。当たり前のことだけど不服だった。私は「さら」との接触を避けるようになった。遠くから見守ることはあっても、あまり近づかない方が良いと思った。養護教諭として何校を渡り歩き、いつしか私は30歳を過ぎていた。時折、見かける「さら」は病気を抱えているとはいえ美しく成長していた。私は懐かしの母校行きの辞令を待った。それは「さら」の高校入学直前の事だった。私は教育委員会から呼び出された。

「高木先生、先生は『複雑先天性心疾患を持つ児童の養護によるバックアップ』という論文を以前書いておられますよね。」
「はい。」

こういう経緯で私は懐かしの高校に戻ってきた。篠宮さらの受け入れのために私は赴任したのだ。これまでの進学先にも篠宮さらの主治医の息のかかった人物が回されていたようだが、高校になってとうとう私にお鉢が回ってきたということらしい。赴任直前に電話が一本入った。

-もしもし、ご無沙汰しています。付属病院の伊勢崎です。-

思い出すのに少し時間がかかった。主治医のほうではなく、その側近の医師の名前だ。

「はい、以前は卒論の件でお世話になりました・・・」

伊勢崎医師は簡潔に、20歳と診断はされているが成長した身体に心臓がどこまでついていけるかわからないことと、ケースごとの対処法をテキストで送付したといった内容を伝えてきた。学校の保健室で様々な物品の確認をする。

「あー、これ良くお世話になったなー・・・酸素吸入器。」

今になるとわかるが割と旧式なやつだった。入学説明会が始まる。出番だ。保健室のある旧校舎から新造された渡り廊下を通って体育館へ向かう。中学校の制服を着た「さら」がいた。もちろん新田たかしもその辺にいるはずだ。

「こんにちわ、初めまして。」

「さら」が自分の事を覚えていることは当然知っている。しかし、ここは「初めまして」と言うべきだろう。

「は・・・はじめまして。」
「養護教諭の高木です。ご病気の件で少しお話させてください。」

今来たルートを通って保健室に向う。私にとっては散々歩きなれた通路だが、「さら」は初めてだ。

「病院行ってばっかりじゃ友達とか彼氏とか沢山できなかったでしょ?」
「友達は・・・少し、でも彼氏は・・・」

歩きながらそんな話を振る。

「あれ?結局、中学校まで彼氏出来なかったの?」
「・・・はい」
「高校が勝負だね。彼氏ができる秘訣があるんだけど知りたい?」

予定通り食いついてきた。

「へ?そんなのあるんですか!?」
「最初に告白してきた奴が少しでも『アリ』だったら駆け引きしないで即OKすればいいだけ。だって、自分から告白する勇気とかないでしょ?」

さらはしばらくポカーンとしていたが「まあ・・・そうですけど・・・」とちょっともじもじした。新学期が始まってから私が主にさらにすることと言えば適宜、血中酸素濃度を計測して、酸素吸入をするといったことぐらいしかなさそうだったが、これは私の記憶とも合致している。新学期が始まって3日目、予定通り新田たかしが風邪の治りがけでやってきた。同じ部屋には当然さらもいる。放っておいても全く会話がはずまなさそうだったのでだいぶ助け舟を出したが、今までにないタイプの緊張感だった。新田たかしがいなくなった後、さらに「今の男子はタイプ」かどうか聞きたい衝動に駆られたが、要らない逆風を吹かせそうな気がして思いとどまった。あのときの第一印象を実はよく覚えていない怖さもあった。私は努めてさらに信用される人物であろうとした。対極に影響は与えないかもしれないが、小さな努力ぐらいはしてもいいと思ったからだ。
 梅雨が明ける頃、自分が告白される日が近づいてきた。でも、告白されるのは私ではなく「さら」の方だ。私は高志が保健室に入ってくるときに、うまく死角になる位置を見つけて、そこで立ち仕事をしていた。しかし、仕事と言うのは恐ろしいもので一度没頭すると、当初の目的をすっかり忘れてしまうものだ。私が新田たかしの恋の告白のイベントの事をすっかり忘れた頃、隙を突くように新田はやってきた。危うく「あ」とか「う」とか声を出すところだった。

「篠宮さん?」
「新田くん?」

結構な間があった。こんなにゆっくりしていて昼休みは終わってしまわないのか心配になった。

「・・・篠宮さんに会えたのが奇跡みたいだ。」
「えっ!新田くん!?」

新田はそのままその場に膝からへたり込んだ。その時のために、私は昨日のウチからその辺りをきれいにモップ掛けしておいた。見えないファインプレーだと自画自賛した。

「僕・・・僕・・・篠宮さんに3回告白できたら篠宮さんと付き合ってもらえると思ってここに来たんだけど・・・そんなことできん!1回しかできん!!・・・僕、篠宮さんのことが初めて会った日からずっと好きでした!」

思ったよりきちんと喋っている。記憶ではもっとたどたどしかったのだが、と考えながら告白をやりきった新田に音が出ないように拍手する。さらは状況が呑み込めずにいるようだが、一生懸命、ティッシュで新田の顔を拭いている。今はこの新田と言う男が自分の運命の人なのかについて逡巡しているこの娘が、今晩計算づくでクラス中の女子に「私、新田くんと付き合うことになりました!」と一斉メールすると思うとなんだか愉快な気持ちになってくる。入学説明会の時に言った一言が功を奏したか、二人は記憶通りその日の下校から並んで歩いて帰り始めた。その学校から校門を出るまでの様子を眺めていると、新田少年のさらにたいする気遣いが痛いほど伝わってくる。私の知らなかった新田たかしの姿だ。

「あんなに大事にされたこと・・・ないな。」

嘘だということは重々承知だけれど、そう思えてしまう。客観的にみるというのはそういうことなのだろうか。校門の向こうに二人の姿が消えてから、自分の高校時代を思い出してみる。高志の想いでは時と共にどんどんかすれていく。

「切ないな・・・」

声に出してみたくなることもある。
 篠宮さらの「彼氏ができました」熱はあっさりと引き、次にやってきたのは「彼氏が物足りない」病だった。愚痴を言う相手は主に私で、なだめる役目も私だ。この役目は超重要だった。そして、自分がいかに高校時代バカだったかを思い知る羽目になった。

「だって、先生そんなこと言うけど、今まで彼氏とかいたことあるの!?」

あやうく「私、高校の時そんなこと高木先生に言ったっけ?」と口に出してしまいそうだった。でも、言ったのだろう。

「ひ・・・一人だけ・・・高校の時に・・・」

まあ、嘘ではない。

「もう、そんな先生の言うことじゃあてにならない!」

一般論からすると、間違いなく篠宮さらの言う通りだし、種明かしをするわけにもいかないのでここは何とかしがみつく。

「でも、先生は仕事が忙しくてそういう暇がなかっただけど、たくさん生徒がくっついたり離れたりしてるの見てたもん。分かるよそれぐらい。」

言いながら「そう言えば、そんなこと言われた記憶がある」と思い出す。記憶と言うものは自分に都合の良い事しか覚えていないのか。とにもかくにも私の方針は「新田は絶対に手放すな」「新田ほど良い奴はこの学校には他にいない」「新田を信じろ」「愚痴だったらいつでも聞くから」の4点に絞られた。これは想像以上に骨が折れたが、やりがいはあった。
 その間も養護教諭の仕事が無くなったわけではないので、私は全体的に仕事に忙殺されていた。一番、ビビったのはラグビー部の部員が首のねん挫で運ばれてきたときだった。実際にはねん挫で済まずに頸椎にひびが入っていた。こんな大怪我、同じ学校にいたら知っていてもよさそうなものなのに、いかに自分が篠宮沙良だったころに周囲をみていなかったかを痛感した。順調に1年が過ぎて2年目の冬になる頃、私は仕事帰りに新田家の前を車で通ることにした。

「懐かしいな。」

お義父さん、お義母さん、先立つ不孝をお許しください・・・と心の中でつぶやきながら家の前を過ぎていく。父が私を新田家に連れて行った日がいつだったか正確には覚えていないが、私にできるのはこれぐらいのことだ。その頃から、私はさらとたかしが高校を卒業した後の身の振り方を考え始めていた。
 職員室では「新田と篠宮」両家の結婚宣言の話題で盛り上がっていた。

「いやー、昭和の時代にはあったみたいですよ。こういうの。」
「凄いですよね、結婚宣言して、進路希望欄に『家事手伝い』って書くの、なかなかやろうと思ってもできないですよね?」

やっぱり、「主婦」と書くべきだったといまさらながらに考えながらも、予定通りに時間は過ぎて行った。そして、新田少年は見事に化けて行った。責任感なのだろう、学校中が「新田x篠宮」の噂でもちきりでいつ冷やかされてもおかしくないのに、冷やかそうとするであろう連中も新田少年が近づくと萎縮する。新田たかしから出ている「ガチ過ぎる」オーラを見れば冷やかすまでもなく噂は真実だとわかるからだ。

「思い切ったね・・・病気の事。」

新田たかしはぎょっとしていた。

「何ですか!・・・何で知ってるんですか。」
「学校が難病抱えた女子生徒受け入れるのに私が何も知らないわけないでしょ?篠宮さんより私の方が病気については詳しい。」
「そ・・・そうでした。」

納得していただけたようだ。

「新田・・・後悔しないの?」

つい口から出てしまった。しかも、今聞いてどうするというのだ。しかし、新田たかしは速やかに答えた。

「より後悔が少ないのはコッチです。」

新田たかしは強かった。

「ああ、なるほどね。」
「あと・・・未来のことを考えすぎるのはやめたんです。」
「へ?」
「未来のことを考えれば、どんな人でもいつか必ず辛い日は来るんです。・・・そんなずっとずっと先のことを考えて生きるのはやめたんです!」

想像以上だった、規格外だった、こんな高校生男子見たことない。もう笑うしかなかった。

「あったまイイじゃん、色男!・・・惚れたよ。マジで。」
「失礼します!」

スタスタと歩き去る新田にエールを贈る。

「いつか、あんたが見てない間、篠宮がどんな風だったか教えてあげるよ!」

その時、「絶対だよ」という勇気は私には無かった。
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