たかしと父さん
篠宮さらは例の「反省の季節」に突入していた。

「いやー、カッコいいわ。」

新田と少し話して変化を充分に堪能した私は、思わずそうつぶやいた。

「堪忍してください・・・」

篠宮は敏感に「新田の話」だと察知して逃げ腰だ。

「先生・・・穴があったら入りたいです・・・」
「無いよ!穴ぁ!!」

篠宮が逃げようとしたので思わず捕まえた。

「お前、ちょっと前まで『良い人なんだけど平凡で退屈で』とか言ってなかったっけ?・・・やっと、奴の良さに気付いたか?」
「・・・はい」

辛そうだ。

「『誘っても、気づいてくれない、意気地なしなんだと思う』とか言ってたよな?」
「・・・はい」
「おかしいなぁ・・・何でだったのかなぁ・・・?」

篠宮が消え入りそうな声で回答をひねり出した。

「・・・私に魅力が足りなかったんです。」

あまりにも惨めな声を出すのでもうちょっとイジワルしたくなった。

「どっちの魅力だ?人間としてのか?オンナとしてのか?」

そういえば、こうやって尋ねられた時、「いっそ死のうか」と思ったのを思い出した。

「・・・両方です・・・」
「そうかぁ!両方かぁ!!あっはっは!!」

これだけ反省していればもう心変わりすることもないだろう。私がかつてそうであったように。
 ある日の仕事帰り、懐かしいあのアパートの呼び鈴を押した。心臓が爆発しそうだ。

「すいません、学校でお世話になっております。養護の高木です。」
「あ、先生。」

出てきたのは高志だった。

「ご結婚式のことで少しご相談が・・・」

出てきたのは高志だ。

「寒いんで、中はいられますか?」
「いえ、ここで結構です。」

結婚式の控室でお手伝いさせてくれないかと提案をしたところ快諾された。ちらつかせた酸素缶が功を奏したのかそういう運命だったか。私はこの頃になると篠宮さらをあまり「自分の娘」だとは思わなくなっていた。仕事は忙しく、さらは娘であることよりも私の学生生活をトレースする存在である側面が強く、また教師と生徒の立場もあったからだ。しかし、結婚式だけは母親の気持ちで立っていようと心に決めていた。

「高志、老けたな・・・」

そうはいってもまだ40歳にもなっていない。私も同じ年齢だ。高木の両親には「彼氏はいないのか」「結婚する気はないのか」とプレッシャーをかけられている。私はこれまで何度も考えてきた「たかしとさら」の卒業後の高木沙良の身の振り方について考えることにした。自分が出産して命を落とした後、配役を得て高木沙良として再びこの物語に登場することになった訳だが、その後のことは推測もできない。こんなことならば、自分が卒業した後、こまめに高木先生とだけでも連絡を取っておけばよかったと、自分の至らなさを嘆いたところで後の祭りだ。

「高志のところへ帰りたいな・・・」

左折のウインカーを出しながらそうつぶやく。高志が言った「二人で帰ろう」という言葉がずっと耳にこびりついて離れない。この物語のヒロインは高校生の篠宮さらだが、脇役である私だってずっと大切にしている想いがあるのだ。
 なぜ、私は再度、別人格の中に覚醒したのか。都合の良い解釈はいくらでもできるのだが、私にとって都合が悪いことがこの物語の基本的なスタンスのようなのであまり楽天的に考えたくはなかった。ただ、それは篠宮さらに限ったことで高木沙良である私には今のところ大きな不幸はやってきていない。このまま物語からフェードアウトできたとしたら、今度こそ高志と幸せになれるのではないか・・・何度もそこまで考えた。ただ、それをどうやって確かめるというのだ。例えば結婚式当日に出席しないというのはどうだろう?いつか病院で体験したような劇的な変化があるだろうか?しかし、それで何も起こらなかったときのリスクが大きすぎる。今の時期から結婚式までに記憶している会話ややり取りで特に印象的なものは無い。卒業式だけ抜けてみるかとも考えてみたが、それで何が分かるというのだろう?私が欲しいのは「私が配役から離れた後に自由に生きれる保証」であり「高志の隣に戻れる保証」なのだ。高志本人に今聞いても無駄であろうことは容易に推測できる。行き当たりばったりでどうにかできると考えても、万が一、どうにかできなかったときのことを考えると苦しくて仕方がない。

「18年!この狂った街の中で18年間も!」

夜に部屋を飛び出しコンビニへ向かう車中で声を荒げた。答えが出てこない。街はクリスマスカラーに染まっていた。コンビニにもサンタクロースの人形やイラストがちらほら浮いている。篠宮家では24日に父と娘の最後のクリスマスを祝うのだろう。

「あれが最後の幸せだったなら、生まれ変わらなきゃよかったんじゃない!」

短かった高志との結婚生活が思い起こされる。後悔はしていないが、満足もしていない。生まれ変わってしまった今ならなおさらだ。結局、コンビニの駐車場に停車しただけで家に戻った。
 クリスマス・イブ、私は当然一人だった。朝から夜が終わるまで一人をかみしめる日だ。家にいても白けた顔で親とチキンとケーキを食べるだけの一日で、36歳ともなるとその白けた空気の後に親から来るプレッシャーが痛い。家にいないようにすると今度は街はカップルで一杯だ。要するに行き場所がない。そんな日でも仕事は朝からあるわけだが、仕事が終わってしまうと行先に困る。篠宮さらはクリスマスイブは家で父と過ごし、クリスマスはたかしと少しだけデートすると言っていた。これも私の記憶と合致する。

「家族でクリスマス・・・」

高木家で何度もクリスマスを過ごしたが、私が自分で作った家族となると高志と一回だけ祝ったきりだ。篠宮家では高志とさらがクリスマスイブを過ごしている。そこに、私がいるだけで全て丸く収まるはずなのに、それができない。本当はもっと早くに篠宮高志に高木沙良として真っ向から近づけば、また違った形の人生があったのかもしれないと少し悔やんだが、多分、それはやろうとしてもできないのだろう。そう考えながら、いったん自宅に帰り、大分早めに買っておいたのだろう冷めたチキンとケーキを食べる。

「あんた、チンしなくていいの?」
「いらなーい。」

高木家に不満があるわけではないのだ。

「これ、プレゼント。父さんと母さんに。」
「あれ、珍しい。」
「去年もちゃんと渡しました。」

私は自動車ではなくあえて自転車で漕ぎ出した。

「はあ、寒い。」

「寒い」と声に出すともっと寒い。薄曇りの夕刻にしては周りの景色が良く見えた。バス通りを抜けて、クリスマスで浮ついた駅前を通り、高級住宅街の坂道をのぼりきるとすぐに懐かしいアパートが見えてくる。ほんの少し雪が降り始めていた。街灯が点灯すると、雪が降っていることがより一層強調される。パラパラとした雪ではなく、ひらひら降る溶けて濡れるタイプの雪だ。篠宮家のアパートの部屋はさらの心臓が弱いせいで1階にある。自転車を停め、目を向ければカーテン越しに暖かい電灯がみえる。あそこに一歩踏み込めれば、私の失ったすべてのものがそこにはある。

「・・・来なければよかった」

自分がここに向かっている事なんてとうの昔に分かっていたのに。自分でも自分を止められなかった。自分がここに向っていることに気づかないふりをして、目を背けたままここまで来てしまった。アスファルトは徐々に白く覆われ、私の呼気の白さは煙突のよう。頬を伝う涙を止められずに、声を殺していると、一台の自動車がやってきた。

「たかし、会えたみたいよ。」
「へ?」

私の横まで来てエンジンを止めると中から二人降りてきた。

「わかるかしら、沙良、お母さんとお父さん。」
「へ?」
「メリークリスマス。」

50代の男女。この二人が私の父と母だというのか。

「今、アパートの中にいる『さら』から見ると、僕はおじいちゃんになるな。」
「今、帰ってきたの?帰ってこないんじゃなかったの?」

お父さんは照れ臭そうに答えた。

「もうお前のところに帰るつもりなんてないよ。僕はもうずっとこれからも僕の『さら』と離れるつもりは無い。」
「でも、あなたがこの日、ここで泣いてるのは良く覚えていたの、沙良。あなたに『もうすぐあなたの出番が終わって、自由に生きられる日が来る』って、そう伝えに来た。」

こんな風にして答えを得られるとどうして想像しなかったのだろう。こんな単純なことだったのに。

「ありがとう。」
「どういたしまして。」

父と母は去ろうとしている。

「もういっちゃうの!?」

母は少し困った顔をした。

「本当はこういうの良くないの。きっと、こんなこと許されてないと思う。でも、あなたがあまりにも悲しい顔で泣いていたから・・・」
「・・・メリークリスマス!」

私の口を突いて出た言葉は「メリークリスマス」だった。父と母にもう一度逢えたらたくさん言いたかったことはあった。でも、もういいんだ。

「メリークリスマス、沙良。卒業式が終わっても、3学期はしばらく終わらない。当然、お前の仕事も少し残ってるんだ。彼はきっとその時訪ねてきてくれる。」
「でも、沙良、役を降りたら私たちはもう運命に導かれなくなる。頑張って。・・・メリークリスマス。」
「メリークリスマス・・・」

二人はそう言っていなくなった。私は一人ぼっちの夜道を自転車で漕ぎ出した。もう少し行けば高級住宅街の下り坂だ。滑らないように気を付ければすいーっと下りていける。雪にさえ気を付ければ、なだらかに進んでいける。家に帰るのだ。
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