甘い記憶の砕片
Ⅲ.光井雅臣
Ⅲ.光井雅臣
その電話は突然鳴った。
雅臣さん以外の着信を知らせたのは、初めてだった。
着信画面には「まさ枝」と表示されている。掛けたことはないが、雅臣さんのお母さんだということは知らされていた。
少し迷って、それでも着信音に急かされるように5コール目で出た。
出たものの何を言っていいのか分からなかったが、その不安はすぐに消えた。
「美岬ちゃん?雅臣の母のまさ枝です。」
品の良さそうな柔らかな女性の声だった。
どう切り返せばいいのか分からない私をまるで悟ったように、すぐに次の言葉を用意してくれた。
「雅臣から全部聞いてます、辛かったね。身体は大丈夫?何か困ったことはない?雅臣は昔から妙に気を遣いすぎる所があるから、そこが逆に辛かったりしてない?あぁ、そうよね、今の美岬ちゃんとは初対面になるのよね、私のことはまさ枝って呼んでくれて構わないから。」
「えっと、まさ枝さん?」
「あぁ、でも本当に、美岬ちゃんが生きててくれて、良かった。本当に、良かった。」
「ご心配をおかけしてしまったみたいで。」
「いいのよ、そんなに改まらなくても、美岬ちゃんは知らないかもしれないけど、私、あなたのことは本当の娘だと思ってるのよ。」
本当の娘。その言葉に胸が熱くなるのが分かった。
「そうそう、今、近くまで来てるの、良かったらお外でお茶しない?」
「あ、はい。」
頷くなり、私はすぐに支度を始めた。
洗濯機が終了を告げてから少し放置していた洗濯物を慌てて干して、出来るだけ清楚に見える服を選んで化粧をして、駅までまさ枝さんを迎えに行く。
よく考えたらまさ枝さんの顔を私は知らない。見つけられるだろうかと、駅で不安もよぎったが、そんな心配はいらなかった。
よく目立つ人だった。上品な着物を着ていて、髪の毛もそれに合わせて結い上げられており、本当に品のあるお金持ちの奥様、という感じだった。そして何より、顔立ちが雅臣さんに似ていて、間違いなくお母さんだと思わせた。
向こうも私に気付いたみたいで、雅臣さんによく似た子供みたいな笑顔で私に手を振ってくれた。