甘い記憶の砕片
「美岬、先生がきてくれたよ。」
そう言って光井くんが戻ってきた。
そして、何より分からないのが、どうして光井くんがここに居るのか、だ。
状況が全く呑み込めず瞬きだけを繰り返す私を置き去りに、光井くんは本当に嬉しそうに私の横に座った。
看護師さんを引き連れて入ってきた白衣のお医者さんは、私の腕に手を当てて脈を図ったりしている。
「あの、光井くん?」
「美岬?さっきから、光井くんなんて他人行儀な呼び方でどうしたんだ?」
「え?」
光井くんは、光井くんだ。
他人行儀な呼び方というが、私と光井くんは顔見知り程度の他人だ。
そう言えば、さっきから光井くんは私のことを美岬と呼んでいるが、下の名前で呼ばれるほど私たちは親密な関係ではなかったはずだ。
光井くんとお医者さんが、顔を合わせて疑問の表情を浮かべている。
「何?」
声が震えた。
そんな私の心情に気付いたのだろう、光井くんは「大丈夫」と笑いかけてくれた。
光井くんの下の名前は何だっただろう。
とにかく、光井くんは会社の同期だった。新入社員が五人程度の中小企業に一緒に入社して、私は経理で彼は営業で、それ以上の接点はなかった。
そして一年経つか経たないかで光井くんは、会社を辞めた。人づてに入ってきた噂では、転職してめきめきとキャリアアップを成し遂げ、成功した人間になったと聞いた。
だから、本当に、どうして光井くんが私の隣にいるのかが分からない。