甘い記憶の砕片
「何?」
「いや、そういえば付き合い出した頃、美岬、同じこと言ったなぁって思って。」
「へぇ。」
複雑な気分だった。
私にとっては初めてで、それは記憶にないことらしいが、彼には思い出にあることなのだ。
私の知らない私を知っているのだ、彼は。
それは、なんだかとても、自分が何なのかが分からなくなる一線だった。
私の持っている私と、彼の持っている私は、同一人物で確かに私自身なのだ。でも、二つの私はお互いを知らないまま、擦り合おうとしている。
ふわふわする。私は誰なんだろう。なんでここに居るのだろう。
涙が出そうだった。
「いいよ、無理に思い出さなくても。ほら、学校の歴史のテストと同じだよ。覚えてないものは、考えたってどうしようもないだろ?」
雅臣さんの手が、私の膝の上に置いてある私の手に添えられる。
暖かくて大きな、男の人の手だった。
私はどうしてもその手が受け入れず、振り払ってしまう。やはり、彼はまだ他人だ。
「ごめんなさい。」
「いや、僕の方こそごめん。寝室は好きに使っていいから、僕の服とかは書斎に投げ出しとくから、そこは美岬の部屋でいいよ。僕は許可なく立ち入らないから、安心して。」
「あ、ありがとう。」
また彼を傷付けてしまった。
私はこの先、何回、雅臣さんを傷付けながら一緒に過ごすつもりなのだろうか。
本当は全部が信じられないし、受け入れられないでいる。
彼も病院も全てグルで、私を洗脳しようとしているのではないか、と疑心暗鬼な私がいる。本当は、私は記憶喪失じゃなくて、周りがそう思い込ませようとしている。
走り出して、確かに記憶にある私の元住んでいた街に行けば、何それ?と笑ってくれる友達や会社があるのではないかと思う。
でも、今の私にはそうすることが出来る術を持ち合わせていなかった。