冷徹御曹司は政略妻の初めてを奪う
始まりは唇の熱


世の中の平均値より少ないとはいえ、幾つかの恋愛を経験して、幸せや悲しみを知っている。

仕事だって、努力したからといって必ず報われるわけではなく、要領のいい人が成果をかっさらっていくという事も知っている。

理不尽な想いを抱いて泣き寝入りをしてしまう経験も、どんなに悔しくて心が涙を流していても、顔に笑顔を貼り付けたままプレゼンの檀上に立つこともあった。

自分がこうしたいと思い描く事全てが叶うわけではないし、人生は我慢と不満を耐えて、悩みを解決するための毎日だと知っているけれど。

だからと言って、人生を共に寄り添い生きていく伴侶まで、我慢して手に入れなきゃならないとは思っていない。

「そのお話は、既にお断りしたはずですけど。なんならもう一度申し上げましょうか?
お見合いは、遠慮します」

一語一語区切って、ゆっくりはっきり丁寧に、目の前で笑っている近田部長に告げた。

穏やかな瞳と、いつも口角が上がっている優しい口元に惑わされがちだけれど、侮ってはいけない。

腹に一物抱えたタヌキおやじは、私の意思なんて無視したまま、にこやかにへらへらと笑い、私の言葉は簡単にタヌキの耳をすり抜ける。

「とにかく、お見合いは遠慮します。私にはまだ結婚する意志も夢もありませんから、当分は仕事に自分を捧げて生きていきます。ですから、もうこのお話は終了ということで。先方にもそうお伝えください」

飄々としたまま私の言葉を聞いているのか聞いていないのか。

表情を変えないままの近田部長に、いい加減いらいらするけれど、とりあえず私にはお見合いをする意思はない。

どれほど強く勧められたとしても、だ。


< 1 / 350 >

この作品をシェア

pagetop