冷徹御曹司は政略妻の初めてを奪う
始まりは唇の熱
①
世の中の平均値より少ないとはいえ、幾つかの恋愛を経験して、幸せや悲しみを知っている。
仕事だって、努力したからといって必ず報われるわけではなく、要領のいい人が成果をかっさらっていくという事も知っている。
理不尽な想いを抱いて泣き寝入りをしてしまう経験も、どんなに悔しくて心が涙を流していても、顔に笑顔を貼り付けたままプレゼンの檀上に立つこともあった。
自分がこうしたいと思い描く事全てが叶うわけではないし、人生は我慢と不満を耐えて、悩みを解決するための毎日だと知っているけれど。
だからと言って、人生を共に寄り添い生きていく伴侶まで、我慢して手に入れなきゃならないとは思っていない。
「そのお話は、既にお断りしたはずですけど。なんならもう一度申し上げましょうか?
お見合いは、遠慮します」
一語一語区切って、ゆっくりはっきり丁寧に、目の前で笑っている近田部長に告げた。
穏やかな瞳と、いつも口角が上がっている優しい口元に惑わされがちだけれど、侮ってはいけない。
腹に一物抱えたタヌキおやじは、私の意思なんて無視したまま、にこやかにへらへらと笑い、私の言葉は簡単にタヌキの耳をすり抜ける。
「とにかく、お見合いは遠慮します。私にはまだ結婚する意志も夢もありませんから、当分は仕事に自分を捧げて生きていきます。ですから、もうこのお話は終了ということで。先方にもそうお伝えください」
飄々としたまま私の言葉を聞いているのか聞いていないのか。
表情を変えないままの近田部長に、いい加減いらいらするけれど、とりあえず私にはお見合いをする意思はない。
どれほど強く勧められたとしても、だ。
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