冷徹御曹司は政略妻の初めてを奪う
③
えこひいきでもいい、どっぷりと愛される幸せが欲しいと願い、ずっと求めてきた。
物質的に恵まれている環境だということはありがたく、その幸せを否定するなんてしないけれど、幼い頃の私は幸せではなかった。
誰もがその名を知る大きな会社の創業者の孫。
そこに含まれる大きな意味を知ったのは、結構早い時期だったと思う。
幼稚園の入園式には、SPと言えば聞こえはいいけれど、いかつい顔をした警護の男性が私の周囲を固め、同じクラスのお友達の保護者の人に対しても威嚇するような視線を向けていた。
周囲のお友達とは違う自分の状況をおかしいと思いつつも、何がどうおかしいのか、幼稚園児の私がうまく言葉にする事はできなかった。
そんな私が友達を作るのは容易なことではなく、元来の人見知りの性格も手伝ったのか、友達がいない寂しい幼稚園時代を過ごした。
自宅から幼稚園までの送迎は、運転手つきの車が毎日行い、もちろん警護付き。
そんな生活は小学校を卒業するまで続いた。
中学と高校は、お金持ちのご子息、ご令嬢が集まる学校に通った。
後から聞いた話では、おじい様や、国内有数の資産家たちが、安心して家族を通わせる事ができるよう資金を出し合って、学校を作ったらしい。
嘘のような話だけど、お金があればある程度の事はできるのだと、妙に醒めつつ、納得した。