冷徹御曹司は政略妻の初めてを奪う
「紬さん……父さんって」
私は病室の入口に立ったまま、隣の紬さんの手を掴んだ。
「あんなに明るく笑っている父さん、最近見たことない」
「ん。瑠依がいなくても、お父さんはお父さんでしっかりと生きていたんだな」
私の手を握り返し、あっさりとそう答える紬さんをちらり見上げながら、そっと息を吐いた。
「そうだね。彩也子さんと幸せな時間を作り上げているみたいだし、私がいなくても父さんは平気だったんだ」
「まあ、そうだな。今も側にいる彩也子さんを気にかけながらもかなり嬉しそうだし。
会社の人との仲も良好。あ、お父さんがデザインしたポスターが、それほど大きなコンクールではないけど、賞を獲ったって聞いたぞ」
「……そんなの、知らない」
「拗ねるなって。瑠依だって何事もなく穏やかに生きていたわけじゃないんだ。お父さんの事に気が回らなかったのも仕方がないだろ?」
私を励ますような、紬さんの優しい声。
「瑠依には誘拐されたというトラウマもあったし、両親がいない不安定な時間を過ごしていたんだから、お父さんのことを知らなくても仕方がないさ」
「……うん。わかってるけどね……」
私がいなくても、父さんが幸せに過ごしていたことを素直に喜べなくて胸がちくりと痛む。
その痛みは、父さんに対して感じた思いへの自己嫌悪。
私がいなくても……、そうなんだ。
幸せだったんだ。