光のもとでⅡ
 思ったよりも大きな拍手をいただいて戸惑っていると、
「はい、オレンジジュース二分の一希釈!」
 空太くんにカップを渡され、再び風間先輩が声を張った。
「じゃ、もう一度乾杯しよう! 赤組、お疲れ様ーーーっっっ!」
「「「「「「お疲れ様---っっっ!」」」」」」
 私は美乃里さんが用意してくれた椅子に座ったけれど、ひとり目線の高さが違うことなど意識することはなかった。
 やっぱり、中学のときとは何もかもが違う。
 最初から蚊帳の外で競技を見ていたあのころは、自分の組や特定の誰かを応援するなんてしなかったし、まるで大きなスクリーンの映像を見ているような感覚だった。
 でも、今はそのスクリーンの中に自分がいて、みんなと言葉を交わしている。空間や時間を共有している。
「一緒にいる」ってどういうことを言うのかな。
「居る」だけならどんな環境でも成り立つだろう。たとえば、駅のホームでもバスの中でも、教室の中でもどこでも成り立つ。
 でも、「一緒に」という言葉をつけると少し意味合いが変わってくる。
「一緒にいる」ためには空気や空間をひとつのものとして共有する必要があるし、言葉を交わしたり相手に触れたり、関わりを持つことが必要不可欠。
 ただそこに「居る」だけでは「一緒にいる」ことにはならないのだ。
 今、自分がここに居る、と。友達と一緒に居る、と実感できるのは、人と関わりを持っているから。
 だとしたら、もし私の気の持ち方がもう少し違えば、中学でもこんな風景を見ることができたんだろうか。
 これは後悔……?
 少し考えて否定する。
 後悔とか後悔じゃないとかそういったことは気にせず、ただ、今後に生かす。過去にあったことは今後に生かせればそれでいいはず。
 ただひたすらに、見たもの感じたものすべてを自分の糧にしていこう――。
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