光のもとでⅡ
Side 翠葉 05話
すべての回収が終わりソファへかけると、慣れ親しんだ座り心地にほっとする。
さらにはお薬を飲んだことにより、気持ちに若干の余裕が生まれた。
「お騒がせいたしました……」
深々と頭を下げ謝罪すると、正面にかけた先生はクスクスと笑いながら、
「ちょっと珍しいものを見た気がしました。レッスンでは見られない姿でしたので」
恥ずかしさに頬がかすかに熱を持つ。
「レッスンのときはピアノの前なので……」
言い訳のように答えると、
「ピアノの前、ですか……?」
先生は心底不思議そうに声を挙げた。
「ピアノには必ず白と黒の鍵盤があって、それはどのピアノの前でも変わることはないから……。そう考えると、ちょっと落ち着くんです」
もうずいぶんと前に教えてもらった話だけど、こんなふうに話すと持論だと思われるだろうか。
そんな思いがよぎったからか、話すにつれて声は小さくなっていった。
定まらなかった視線が螺鈿細工に落ち着いても、先生の反応は得られない。
あまりにも無言が続くから、不思議に思って視線を上げると、先生は笑みを消して私を見ていた。
「先生……? どうかなさいましたか?」
「あぁ、すみません。……それ、御園生さんの持論ですか?」
「いえ……人から教えてもらった話です」
「教えてもらった……?」
「はい。……私、小学生のころに一度だけピアノコンクールに出たことがあるんですけど、ものすごく緊張していて、順番になって呼ばれても椅子から立ち上がることもできなくて、そのとき、隣に座っていた男の子が教えてくれたんです」
――「鍵盤の前はどこも変わらない。必ず黒い鍵盤と白い鍵盤があるだろ? 怖くない。ピアノの前に座ったら、『ピアノさん、こんにちは』って挨拶をするんだ。そしたら、どんなピアノも仲良くしてくれる」。
懐かしく思いながらそのときのことを話すと、
「……そのコンクールって――」
「この大学主催の、冬にあるコンクールです」
「そうでしたか……」
「はい。……何か、ありましたか?」
「いえ、身内に同じことを言う人間がいたもので」
「そうなんですか?」
ご両親とか、かな……?
なんとなしに先生のご両親を想像していると、
「御園生さんに声をかけてくれたその男の子、今はどうしているでしょうね」
それは考えたことなかったけれど、考えてみようと思ったところで何が出てくるでもない。
「男の子はどうなんでしょう……」
「何がですか?」
「ほら、小さいころは親の意向で習わされている人もいるでしょう?」
「あぁ、そうですね……」
「でも、今もピアノを弾いていたら嬉しいです」
「いつかどこかで会えるかもしれないから?」
先生に言われて少し考える。
「いつか会える」とは思えない。
なぜなら、私は自分のステージが終わってすぐ倒れてしまったため、その男の子の演奏を聴くことはできなかったし、顔はおろか名前すら覚えていないのだ。
「御園生さん?」
「あ、すみません。もし会えたらお礼を言いたいのですが、たぶん無理です」
「どうしてですか?」
「私、演奏が終わって舞台袖に引っ込んですぐ倒れてしまったんです。だから、その子の演奏も聴くことはできなかったし、緊張の局地で顔も名前も覚えていないから、会えたところでわかりません」
ちょっとおどけて笑って見せると、
「御園生さんは覚えていなくても、男の子のほうは覚えているかもしれませんよ?」
そう言うと、先生は意味深に笑った。
さらにはお薬を飲んだことにより、気持ちに若干の余裕が生まれた。
「お騒がせいたしました……」
深々と頭を下げ謝罪すると、正面にかけた先生はクスクスと笑いながら、
「ちょっと珍しいものを見た気がしました。レッスンでは見られない姿でしたので」
恥ずかしさに頬がかすかに熱を持つ。
「レッスンのときはピアノの前なので……」
言い訳のように答えると、
「ピアノの前、ですか……?」
先生は心底不思議そうに声を挙げた。
「ピアノには必ず白と黒の鍵盤があって、それはどのピアノの前でも変わることはないから……。そう考えると、ちょっと落ち着くんです」
もうずいぶんと前に教えてもらった話だけど、こんなふうに話すと持論だと思われるだろうか。
そんな思いがよぎったからか、話すにつれて声は小さくなっていった。
定まらなかった視線が螺鈿細工に落ち着いても、先生の反応は得られない。
あまりにも無言が続くから、不思議に思って視線を上げると、先生は笑みを消して私を見ていた。
「先生……? どうかなさいましたか?」
「あぁ、すみません。……それ、御園生さんの持論ですか?」
「いえ……人から教えてもらった話です」
「教えてもらった……?」
「はい。……私、小学生のころに一度だけピアノコンクールに出たことがあるんですけど、ものすごく緊張していて、順番になって呼ばれても椅子から立ち上がることもできなくて、そのとき、隣に座っていた男の子が教えてくれたんです」
――「鍵盤の前はどこも変わらない。必ず黒い鍵盤と白い鍵盤があるだろ? 怖くない。ピアノの前に座ったら、『ピアノさん、こんにちは』って挨拶をするんだ。そしたら、どんなピアノも仲良くしてくれる」。
懐かしく思いながらそのときのことを話すと、
「……そのコンクールって――」
「この大学主催の、冬にあるコンクールです」
「そうでしたか……」
「はい。……何か、ありましたか?」
「いえ、身内に同じことを言う人間がいたもので」
「そうなんですか?」
ご両親とか、かな……?
なんとなしに先生のご両親を想像していると、
「御園生さんに声をかけてくれたその男の子、今はどうしているでしょうね」
それは考えたことなかったけれど、考えてみようと思ったところで何が出てくるでもない。
「男の子はどうなんでしょう……」
「何がですか?」
「ほら、小さいころは親の意向で習わされている人もいるでしょう?」
「あぁ、そうですね……」
「でも、今もピアノを弾いていたら嬉しいです」
「いつかどこかで会えるかもしれないから?」
先生に言われて少し考える。
「いつか会える」とは思えない。
なぜなら、私は自分のステージが終わってすぐ倒れてしまったため、その男の子の演奏を聴くことはできなかったし、顔はおろか名前すら覚えていないのだ。
「御園生さん?」
「あ、すみません。もし会えたらお礼を言いたいのですが、たぶん無理です」
「どうしてですか?」
「私、演奏が終わって舞台袖に引っ込んですぐ倒れてしまったんです。だから、その子の演奏も聴くことはできなかったし、緊張の局地で顔も名前も覚えていないから、会えたところでわかりません」
ちょっとおどけて笑って見せると、
「御園生さんは覚えていなくても、男の子のほうは覚えているかもしれませんよ?」
そう言うと、先生は意味深に笑った。