光のもとでⅡ
 倉敷くんの纏う空気が変わる。
 騒々しい雰囲気が消えうせ、静寂に包まれた。
 すぐに演奏が始まるかと思いきや、倉敷くんは一度目を瞑る。
 あ……ピアノさんにご挨拶。
 数秒後、目を開けた倉敷くんは手を揉み解してから鍵盤に乗せた。
 走り出したメロディーに面食らう。
 これ、さっき私が弾いたきらきら星変奏曲!?
 あの日、倉敷くんが弾いたのはこの曲だったの?
 またしてもなんという偶然。
 ……もしかしたら、ここまで揃う偶然は、「必然」なのかもしれない。
 新たな気持ちで演奏を聴く。と、さっきのラフマニノフとはまったく違う演奏だった。
 ひたすら楽しそうに無邪気に、けれど正確なまでに音をはじきだしていく。
 短調に変わった途端に音色が物悲しそうなそれへと変化し、倉敷くんの表情も苦しそうに歪んでいた。しかし、そこから長調へ戻ると、それまでとはまったく違う清々しい音で奏ではじめる。
 音が力強くてクリアで透き通っている感じがした。
 あぁ、こんなふうに弾けたら楽しいだろうな……。
 そんなことを思っているうちに演奏は終焉を迎えた。
 十分ほどある曲にもかかわらず、一瞬で終わってしまった気がする。
「どうよっ!」
「すっごくすっごく楽しかった! いいな、私もこんなふうに弾けるようになりたい!」
「まぁね! 俺、二ヶ月もさぼったりしないし」
 そこをつかれるとちょっと痛い。来年の紅葉祭前も今年と似たり寄ったりの状況に陥るだろう。でも、さすがに受験目前にそれは避けなくてはいけない。
 何か抜け道考えなくちゃ……。
「そうだ、御園生さん。左手のみで結構ですのでちょっと弾いてもらっていいですか?」
「はい……?」
 疑問に思いながらスケールを弾くと、先生は不思議そうに首を傾げていた。
「緊張しているから、というわけではないみたいですね」
「え……?」
「いえ、鍵盤を押すとき、少し力を入れすぎている節があるので……」
 あ……。
「そんなに力を入れなくとも、音は鳴りますよ?」
「あの……今、自宅で弾いているピアノの鍵盤が重くて、それでつい――」
「それ、よくねーよ」
 倉敷くんの言葉にドキッとする。
「そうですね。鍵盤が重過ぎるのはよくない。今みたいに変な癖がつきますから。自宅のピアノメーカーは?」
 あ……――。
「そこでなんで黙り込むんだよ」
 それは黙り込みたくなる理由があるからです……。
「えぇと、私の持っているピアノはシュベスターで、とても鍵盤の軽い子なのですが、今練習に使っているのはスタインウェイで……」
 先生のことをどうこう言える立場じゃなかった。
 もっとも身にそぐわないピアノを弾いているのは自分のほうだった。
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