光のもとでⅡ
「それより、まださっきの人間にたどりついてないんだけど」
 強引に話を戻すと、翠ははじかれたように、そして少し早口で話し始めた。
 ピアノ講師は途中で佐野の従姉を声楽の先生に引き合わせるために席を外し、その間にノックもなく応接室へ入ってきた男がいたらしい。
「突然人が入ってきたことにも驚いたのだけど、もっと驚いたのはフルネームで呼ばれたこと」
「面識のある人間?」
「うーん……面識があるといえばあるのだけど、もう八年も前のことだし、私、当時ぱにくっていたから顔や名前なんて覚えてなくて」
 どうやら、ピアノコンクールで緊張していたところ、その男が声をかけてくれ、ご丁寧にもおまじないを教えてくれたらしい。
 ピアノさんにこんにちは、ね……。メルヘンだな。
 俺には到底できない緊張のほぐし方だ。
 続きの話を聞いていても、ずいぶんと人に取り入るのがうまい人間であることがうかがえる。
 初対面の人間――とくに男には並外れた警戒網を張り巡らす翠が、こんなにも普通に話せる程度には、取り入るのがうまい。それとも、翠が男と話すことにだいぶ慣れてきたのだろうか。
 最近は、俺の知らない男子と話しているところもよく見かけるが……。
「男性恐怖症」が緩和するのがいいことなのか悪いことなのか……。
 翠にとってはいい変化なのかもしれないが、俺からしてみたら不安が増える一方だ。
 そんなことを考えながら話を聞いていると、翠は話し尽くしたとでもいったふうで、満足した様子で口を閉ざした。
「でも、さっき四、五人はいたと思うんだけど……」
「あ、うん。車椅子を押してくれたのが倉敷くんで、ほかの四人は正門まで送ってもらう途中で会った、倉敷くんのお友達。名前の中に春夏秋冬が入っていて、『Seasons』ってカルテットを組んでるって言ってた。あ、ライブチケットをいただいたの。次の日曜日の――」
 必要なことは聞けたし、これ以上ほかの男の話をされるのは耐えがたく、俺は翠の腕を引っ張り引き寄せた。
 勢いに任せて口を塞ぐ。
「んっ――」
「これ以上は限界。ほかの男の話なんかするな」
 本音のまま口にして、再度口を塞ぐ。
 唇を放した途端、
「嫉妬、してくれたの?」
 びっくりしたような目が俺を見つめていた。
「だったら何?」
「ううん。ただ、嬉しいなって……」
「は……?」
「だって……好きって言われてるみたいで嬉しい」
 ……嫉妬で気持ちをはからなくてもいいものを。
 言葉にせずとも想いが伝わるのは嬉しいけど、どうにもこれは本意じゃない。
 自分でわかるほどに眉間に力が入る。と、翠の白い手が伸びてきて頬をつままれた。
「でもね、嫉妬なんてしなくて大丈夫だよ。私が好きなのはツカサだけだもの」
 直後、にっこりと笑われて不意打ちを食らった。
 キスがしたい――
 そう思った瞬間、ふたりの間にあった携帯が主張を始めた。
 オルゴール音は一フレーズで途切れ、
「誰だろう……?」
 翠は体重を俺に預けたまま、首を傾げながら手中にある携帯を操作する。
 これが唯さんとか秋兄からだったら呪詛を送りたい。
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