光のもとでⅡ
「ところで、極度のあがり症は治ったのかよ」
 話を変えるべく新たな話題を振ると、
「えぇと……治ったわけではないです。今でも人前で弾くのや評価される場で弾くのは苦手です。でも、前に教えてもらったおまじないがあるので……」
 そっと添えられた笑みに心臓が飛び跳ねる。
 やっべ、嬉しい。顔、熱いかも……。
 もはや、おまじないを実践してくれていることが嬉しいのか、笑顔を向けられたのが嬉しいのかわからないレベル。
「あぁ、あのときも効果覿面だったしな。むしろ、教えなきゃよかったぜ」
 目いっぱいの強がりで口にすると、
「まさか慧くんがそのおまじないを御園生さんに教えていたとは思わなかったので、さっき御園生さんから聞いてびっくりしました。響子が喜んでいるでしょうね」
 確かに。
 このおまじないを作り俺に教えてくれたのは響子だから。きっと今頃天国で、「私のおかげよ!」とかなんとか言っている違いない。さらには、今の俺を見て突っ込みたい放題突っ込んでゲラゲラ笑い転げていそうだ。
 片手で口元を隠し翠葉に視線を戻すと、翠葉は眉をひそめ悲愴そうな表情になっていた。
「……翠葉? どうしたんだよ、急に深刻そうな顔して」
 翠葉が顔を上げると目に涙が溜まっていた。
「えっ? あっ、なんでもないですっ――」
 なんでもないってその顔で言われても……。
「御園生さん……?」
「あ、いえっ、本当になんでもなくて――」
「いや、なんでもなかったら泣かないだろ?」
 頭で考えるより先、心配で席を立っていた。
「御園生さん、体調悪いですか? さっきの熱、どうなりました?」
 熱……? こいつ、熱あったのっ!?
 翠葉はテーブルに置いてあった携帯を手に取り、じっとディスプレイを見つめる。
 何、そこに体温でも表示されるわけ? そんなバカな――
 半信半疑でディスプレイを覗き込むと、そこには体温らしき数値と意味不明な数字が並んでいた。
 翠葉はそれらを見て無言を保っている。
 たとえばそこに表示されている数字が体温だったとしても、三十七度五分でこんな深刻そうな表情をする必要があるだろうか。
 ない、よな……?
 だとしたら、もっと違う何か――何が……?
 翠葉が沈黙する寸前にした会話といえば――
「――もしかして、響子の話?」
 下から翠葉の顔を覗き込むと、翠葉はわかりやすく動揺した。
 上半身の揺れに伴い、目に溜まった涙が零れる寸前。
 あ、零れた……。
 大粒の涙がひとつふたつみっつ。頬を伝うことなく、彼女の膝にポタポタと落下した。
 泣いてしまったことに慌てた翠葉は、シフォン生地の上ではじけた涙にさらに動揺する。
 原因は響子で間違いないっぽいけど――
「弓弦、響子の話ってどこまでしたの?」
 そもそも、こいつなんで響子のこと知ってたんだろう?
「どこまでも何も、御園生さんが三歳のころにピアノの手ほどきをしたのは自分と響子って話だけだけど……」
「なんだよそれ。俺の知らない話なんだけど?」
 っていうか、そうならそうと教えろよっっっ!
「あぁ、言ってなかったからね。でも、引き合わせたら話そうとは思ってたんだよ?」
「や、別にかわまないんだけどさ、じゃ、響子が亡くなった話まではしてなかったんだ?」
「進んで話すようなことでもないし……」
 それもそうだな……。
 でも、これは俺たちが悪いような気がする。
 響子が亡くなったのは不可抗力でも、今翠葉がこんなにも動揺して涙を零しているのは俺と弓弦の会話が原因だ。
「悪い……。俺たちにとってはもうずいぶんと前の話なんだけど、人の死って結構な衝撃だよな。事、おまえみたいなタイプはガッツリダメージを受ける」
 従兄妹たちにするように、うっかり頭に手を置いてしまった。引っ込めるに引っ込められず、きれいなカーブを描く頭に沿って撫でてやる。
 えぇと……なんで小学生の従兄妹と頭の大きさがおんなじなんだろ……。
 そんなどうでもいいことを疑問に思っていると、翠葉は潤んだ目のまま、きょとんとした顔で見返してきた。
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