光のもとでⅡ
好きな子の諦め方 Side 秋斗 02話
再び雅とも通信がつながり、竜田を除いた社員全員が揃うと、改めて忘年会がスタートした。
何が残念かというならば、ホテルで入手してきたうまい酒を雅に飲ませてやれないこと。
ふと零すと、雅はにっこりと笑って自分が飲んでいる酒のボトルをカメラの前に翳す。
『こちらはこちらでおいしいシャンパンをいただいているのでおかまいなく』
「っ――ドンペリのプラチナ!?」
蔵元の指摘に、雅は少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
『自分へのご褒美に買っていたものです。まさか、今日開けることになるとは思いもしませんでしたけど』
こんな具合に会話は進み、時に仕事の話を交えつつ新年を迎えようとしていた。
酒に弱い唯は途中からソフトドリンクにシフトしたものの、蔵元と蒼樹はそこそこ酒が強いこともあり、ホテルから仕入れてきたボトルは半分以上が空になっていた。
それでも、酒に飲まれて人格が変わったり、酔い潰れる人間がいないところがこの面子といったところだろうか。
コンシェルジュの用意してくれたつまみがなくなると、唯がコンシェルジュから食材を調達してきて締めのお茶漬けを作ってくれた。
それをディスプレイ越しに見ていた雅が、
『あ……それはちょっとずるいかも。私もそのお茶漬け食べたいです』
などと零す。
「えっ、雅さんもお茶漬けとか食べるんですか?」
まるで「意外」とでも言うかのように唯がたずねると、
『唯芹さん、どんな偏見です? 私だってお茶漬けくらい食べますっ』
雅のちょっとした反撃に、唯は少したじろいだ。しかしすぐに態勢を整え、
「だって、たっかいシャンパンに、これまた高級そうなチョコ食ってる雅さんが、お茶漬け食べてるとこなんて想像できませんて……」
『それはそれ、これはこれ、です』
「はぁ、さいでっか……。あの、雅さんにひとつお願いがあるんですが……」
『なんでしょう?』
「『唯芹さん』はやめてもらえませんかね? どうにもこうにも慣れなくてむず痒い~……」
その場で悶えて見せると、
『でも、これが今の正式名称でしょう? 「御園生さん」では蒼樹さんと区別できませんし……』
「唯でいいです。唯って呼んでください」
『じゃあ、唯、さん……?』
今度は慣れない呼び名に雅が戸惑っていた。そのとき、テレビからカウントダウンの時報が流れ始める。
思わず、「三、二、一――」と男四人が声を揃えたのは、皆が相応に酔っていたからかもしれない。
零時ぴったりに「ハッピーニューイヤー」と声をあげ、みんなで新年を祝う中、
『こちらはまだ三十一日ですけどね』
疎外感を覚えたのか、ツンと澄ました雅はシャンパングラスを一気に呷った。
少し前から蒼樹が翠葉ちゃんのバイタルを気にしていて、それが気になった俺はタブレットから彼女のデータにアクセスした。すると、十一時半前に一度、急激に血圧が下がっていた。しかしそれは短時間のことで、今は平常の数値まで回復している。
もし何かあったとしても司が一緒なら問題はない。蒼樹もそう思っているからこそ、連絡は控えているのだろう。
それに今は、警護班の内勤の人間も彼女のバイタルをチェックしているため、何かあって処置が遅れることはあり得ない。
蒼樹もそのことは知っているが、それでも気になるのは筋金入りのシスコンゆえ、かな……。
俺は何気ない素振りで彼女に電話をすることにした。
俺と会話しているところを見れば、蒼樹も落ち着く。そう思ってのことだったのに――
何がどうしてこんなことになったんだか……。
電話に出た翠葉ちゃんは覚束ない口調で、「秋斗さん……?」と俺の名前を口にした。
俺は何食わぬ顔で新年の挨拶をする。と、彼女らしい、とても丁寧な挨拶が返ってきた。しかし、声に張りがないというか、どこか不安定さを覚える声音に疑問を持つ。
もともと彼女の状態を確認するために連絡したようなものだし、俺はかまわず踏み込んだ。
「翠葉ちゃん、なんか元気ない? 学校のみんなと過ごしてるんでしょう? その割には静かだし……」
いくら携帯の性能が良くても、もう少し背後のざわめきを拾ってもおかしくないはず。なのに、室内にひとりでいるかのごとくの静けさだった。
『あ……えと、ちょっと前に少し具合が悪くなってしまって、佐野くんの自室で休ませてもらってたんです』
なるほど……。
「そういえば、少し血圧下がってたもんね。もう大丈夫?」
蒼樹を意識しての問いかけに彼女は、
『はい。ツカサが適切な処置をしてくれたので、もう大丈夫です』
やっぱりか……。
そう思いながらも会話を続けるための言葉を繰り出す。
「ってことは、今は司と一緒?」
これを訊けば、蒼樹だって多少は安心できるだろう。
『え? あ、はい……』
どうしたことか、不自然なほどに声は沈んでいた。
「なんかあった? 司にこっぴどく怒られたとか」
そんな状況だって難なく想像できる。しかし彼女は何か思い立ったかのように声をあげ、俺が思いもしない内容を口にした。
『秋斗さん、婚約とか結婚って、お父さんやお母さんに相談しなくてもいいものなんですかっ?』
彼女の高く通る声は、俺の会話を注視していた男三人の耳にも届いてしまう。
みんなあんぐりと口を開けているし、俺も訊き返すことしかできなかった。
『あ、突然ごめんなさいっ』
彼女の切羽詰まったような声が再度リビングに響く。
俺ははじかれたように口を開いた。
「いや、いいんだけど……何? 司にプロポーズでもされた?」
それはこの場にいる男全員が訊きたい――改め、問い質したい内容だろう。
けれど、彼女は黙り込んでしまう。それは肯定したも同然。
蔵元は口元を押さえて視線を逸らすし、唯と蒼樹は目をむく勢いで俺の会話に耳を傾けている。
「沈黙は肯定ね。……まずは質問の答えだけど、婚約するのも結婚するのも翠葉ちゃんだからね。返事をするのにとくにご両親の承諾を得る必要はないと思うよ」
ただし、兄ふたりの承諾はどうしたって必要そうだけど……。
そんなことを考えながら、俺の心には別のことが浮上していた。
ここで彼女が色よい返事をしたら、俺の想いはどうなるのだろう――
その思いは、まるで染みが広がるみたいにじわじわと心を侵食していく。
今度こそ本当に諦め時……?
そう思ったら無性にやるせなくなって、俺は煽るようなことを言い始めていた。
何が残念かというならば、ホテルで入手してきたうまい酒を雅に飲ませてやれないこと。
ふと零すと、雅はにっこりと笑って自分が飲んでいる酒のボトルをカメラの前に翳す。
『こちらはこちらでおいしいシャンパンをいただいているのでおかまいなく』
「っ――ドンペリのプラチナ!?」
蔵元の指摘に、雅は少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
『自分へのご褒美に買っていたものです。まさか、今日開けることになるとは思いもしませんでしたけど』
こんな具合に会話は進み、時に仕事の話を交えつつ新年を迎えようとしていた。
酒に弱い唯は途中からソフトドリンクにシフトしたものの、蔵元と蒼樹はそこそこ酒が強いこともあり、ホテルから仕入れてきたボトルは半分以上が空になっていた。
それでも、酒に飲まれて人格が変わったり、酔い潰れる人間がいないところがこの面子といったところだろうか。
コンシェルジュの用意してくれたつまみがなくなると、唯がコンシェルジュから食材を調達してきて締めのお茶漬けを作ってくれた。
それをディスプレイ越しに見ていた雅が、
『あ……それはちょっとずるいかも。私もそのお茶漬け食べたいです』
などと零す。
「えっ、雅さんもお茶漬けとか食べるんですか?」
まるで「意外」とでも言うかのように唯がたずねると、
『唯芹さん、どんな偏見です? 私だってお茶漬けくらい食べますっ』
雅のちょっとした反撃に、唯は少したじろいだ。しかしすぐに態勢を整え、
「だって、たっかいシャンパンに、これまた高級そうなチョコ食ってる雅さんが、お茶漬け食べてるとこなんて想像できませんて……」
『それはそれ、これはこれ、です』
「はぁ、さいでっか……。あの、雅さんにひとつお願いがあるんですが……」
『なんでしょう?』
「『唯芹さん』はやめてもらえませんかね? どうにもこうにも慣れなくてむず痒い~……」
その場で悶えて見せると、
『でも、これが今の正式名称でしょう? 「御園生さん」では蒼樹さんと区別できませんし……』
「唯でいいです。唯って呼んでください」
『じゃあ、唯、さん……?』
今度は慣れない呼び名に雅が戸惑っていた。そのとき、テレビからカウントダウンの時報が流れ始める。
思わず、「三、二、一――」と男四人が声を揃えたのは、皆が相応に酔っていたからかもしれない。
零時ぴったりに「ハッピーニューイヤー」と声をあげ、みんなで新年を祝う中、
『こちらはまだ三十一日ですけどね』
疎外感を覚えたのか、ツンと澄ました雅はシャンパングラスを一気に呷った。
少し前から蒼樹が翠葉ちゃんのバイタルを気にしていて、それが気になった俺はタブレットから彼女のデータにアクセスした。すると、十一時半前に一度、急激に血圧が下がっていた。しかしそれは短時間のことで、今は平常の数値まで回復している。
もし何かあったとしても司が一緒なら問題はない。蒼樹もそう思っているからこそ、連絡は控えているのだろう。
それに今は、警護班の内勤の人間も彼女のバイタルをチェックしているため、何かあって処置が遅れることはあり得ない。
蒼樹もそのことは知っているが、それでも気になるのは筋金入りのシスコンゆえ、かな……。
俺は何気ない素振りで彼女に電話をすることにした。
俺と会話しているところを見れば、蒼樹も落ち着く。そう思ってのことだったのに――
何がどうしてこんなことになったんだか……。
電話に出た翠葉ちゃんは覚束ない口調で、「秋斗さん……?」と俺の名前を口にした。
俺は何食わぬ顔で新年の挨拶をする。と、彼女らしい、とても丁寧な挨拶が返ってきた。しかし、声に張りがないというか、どこか不安定さを覚える声音に疑問を持つ。
もともと彼女の状態を確認するために連絡したようなものだし、俺はかまわず踏み込んだ。
「翠葉ちゃん、なんか元気ない? 学校のみんなと過ごしてるんでしょう? その割には静かだし……」
いくら携帯の性能が良くても、もう少し背後のざわめきを拾ってもおかしくないはず。なのに、室内にひとりでいるかのごとくの静けさだった。
『あ……えと、ちょっと前に少し具合が悪くなってしまって、佐野くんの自室で休ませてもらってたんです』
なるほど……。
「そういえば、少し血圧下がってたもんね。もう大丈夫?」
蒼樹を意識しての問いかけに彼女は、
『はい。ツカサが適切な処置をしてくれたので、もう大丈夫です』
やっぱりか……。
そう思いながらも会話を続けるための言葉を繰り出す。
「ってことは、今は司と一緒?」
これを訊けば、蒼樹だって多少は安心できるだろう。
『え? あ、はい……』
どうしたことか、不自然なほどに声は沈んでいた。
「なんかあった? 司にこっぴどく怒られたとか」
そんな状況だって難なく想像できる。しかし彼女は何か思い立ったかのように声をあげ、俺が思いもしない内容を口にした。
『秋斗さん、婚約とか結婚って、お父さんやお母さんに相談しなくてもいいものなんですかっ?』
彼女の高く通る声は、俺の会話を注視していた男三人の耳にも届いてしまう。
みんなあんぐりと口を開けているし、俺も訊き返すことしかできなかった。
『あ、突然ごめんなさいっ』
彼女の切羽詰まったような声が再度リビングに響く。
俺ははじかれたように口を開いた。
「いや、いいんだけど……何? 司にプロポーズでもされた?」
それはこの場にいる男全員が訊きたい――改め、問い質したい内容だろう。
けれど、彼女は黙り込んでしまう。それは肯定したも同然。
蔵元は口元を押さえて視線を逸らすし、唯と蒼樹は目をむく勢いで俺の会話に耳を傾けている。
「沈黙は肯定ね。……まずは質問の答えだけど、婚約するのも結婚するのも翠葉ちゃんだからね。返事をするのにとくにご両親の承諾を得る必要はないと思うよ」
ただし、兄ふたりの承諾はどうしたって必要そうだけど……。
そんなことを考えながら、俺の心には別のことが浮上していた。
ここで彼女が色よい返事をしたら、俺の想いはどうなるのだろう――
その思いは、まるで染みが広がるみたいにじわじわと心を侵食していく。
今度こそ本当に諦め時……?
そう思ったら無性にやるせなくなって、俺は煽るようなことを言い始めていた。