光のもとでⅡ
Side 司 01話
翠が熱を出した。確か、去年も同じころに風邪をひいていたと思う。
風邪をもらわないようにマスクをする、食べ物を食べる前や帰宅時には必ず手洗いうがい――
それを徹底しているにも関わらず、翠は風邪をひく。
何をどうしたら……と悩ましくも思うが、ひとまずインフルエンザやノロウィルスではなかったところに救いはあるかも。
「十四日の予定は取りやめだな」
珍しく翠が藤倉市街へ行きたいと言いだした。何か用があるのかと訊いてみたら、バレンタインのイルミネーションが見たいとのこと。
どうやら情報源は嵐と優太のようだ。
バレンタインのイルミネーションがどんなものかは知らない。でもきっと、クリスマスのイルミネーションと大差ないだろう。
翠は見られなかった、と悲しむだろうか。
「……そしたらホテルへ連れて行けばいいか」
あそこは年中趣向を凝らせたイルミネーション、またはライトアップをしている。
そんなことを考えていると、携帯が着信を知らせる。
件名 :風邪、ひいちゃった
本文 :湊先生から聞いていると思うけど
風邪ひいちゃったの。
熱は微熱まで下がったのだけど
湊先生には明日までおとなしくしてなさいって
言われてて……。
デート、楽しみにしてたのだけど、
行けなくなっちゃった。
プレゼントも全部作れてなくて……。
ごめんなさい。
風邪をひいたことは反省してしかるべき。でも、俺に謝ることはないと思う。
別にバレンタインにプレゼントを用意するのは義務ではないわけで……。
件名 :別に問題ない
本文 :微熱なら明日は俺がそっちに行く。
部屋で話すくらいなら問題ないだろ。
返信を送ると、プレゼントに固執した内容のメールが届いた。
翠の申し訳なさそうな表情が脳裏に浮かぶ。
ったく、手のかかる……。
思いながら携帯のリダイヤルから翠の番号を表示させ発信する。
きっと携帯を手に持っていたのだろう。一コールの途中で翠が出た。
『はい』
声音が「ごめんなさい」という響き。
「あのさ、別にバレンタインだから会うわけじゃないし、バレンタインだからどこかへ出かけるわけでもないんだけど」
『え……?』
「翠、イベントに踊らされすぎ」
翠は世間というものに疎い割に、こういうイベントには乗じたがる傾向にあるようだ。
イベントなんて正月と誕生日のみで十分だと思う俺が何かおかしいのか……。
『でも、バレンタインだから編み物作ったし、バレンタインだからお菓子作ろうと思ったんだけど……』
まるでバレンタインには編み物をしなくちゃいけなくてお菓子を作らなくちゃいけないような感じ。
「じゃあ訊くけど、バレンタインがなかったら俺は編み物もお菓子も作ってもらえないわけ?」
突き詰めて考えたらそんな気がしてくる。けれども翠は、
『……そういうわけじゃないかな』
「なら、バレンタインにそこまで拘る必要はないと思う」
『……そういうもの?』
「少なくとも、俺にとっては……。納得した?」
『した、かも……』
こういうとき、翠が素直な人間でよかったと思う。
「それは何より。なら、違う日にお菓子作って」
『うん……』
納得した、と言う割にはどこか尾を引いた声音だ。少し気にしつつ話を続ける。
「姉さんが明日は点滴しなくても大丈夫って言ってた。そのくらいには回復したと思ってるけど……」
『うん。今日は普通にご飯も食べられた』
ご飯を食べることができたと言われただけでほっとする。
風邪をひくとたいていが、胃腸にきてものが食べられなくなると聞いているからだ。
熱を出して数日で経口摂取ができているのなら、今回はさほどひどい風邪ではなかったのだろう。
「なら、ゲストルームでいつもみたいに過ごせばいい。何か食べたいものがあれば買っていくけど?」
翠は少し間を置いてから、「ココア」と答えた。
「翠、無理して作らなくていいって話をしたはずなんだけど」
『そうじゃなくて……。飲み物にココアが飲みたいだけ』
「……わかった」
ココアは刺激物だが、そんなものを欲する程度には元気になったのだろう、と結論づけて通話を切った。
翌日、ココアを持ってゲストルームを訪ねると、唯さんに迎え入れられる。
「どーぞどーぞ」と翠の部屋へ通されると、ローテーブルにはマフラーが四つ並べられていた。
右からペールグリーン、ブルー、ペールパープル、メタリックグレー。
きっとすべて翠が編んだものだろう。俺のはきっとブルーかグレー。
そう思っていると、唯さんに「どれだと思う?」と執拗に訊かれ、俺が答える前にペールパープルのマフラーを首に巻かれた。
ニヤニヤしている顔が最悪……。
ベッドに腰掛けている翠を振り返ると、少し困ったような顔で俺を見ていた。
このふたり、いったい何がしたいわけ……?
マフラーの上から巻かれたマフラーを外そうとすると、
「嘘うそ、ツカサっちのはそっちの青いやつ。これは俺の」
今度は巻かれたマフラーを取り上げられた。
ますますもって何がしたいんだ……。
説明を求めて翠を見ると、
「本当はツカサにも柔らかい色味のマフラーを編みたかったのだけど、いやな顔をされる気がしてやめたっていう話を唯兄にしたの。そしたら、唯兄がこのマフラーで反応を見ようって……」
翠の話し方は俺の出方をうかがっているように見える。すると、次はしっかりと質問を投げられた。
「ツカサはそういう色、好き? 嫌い?」
「……持ってはいない」
まず間違いなく自分では手に取らない色味だろう。
今までこういった色味に出くわさなかったわけではない。それらは姉さんと兄さんによって与えられたわけだが、与えられたからといって素直に身に着けるような性格でもない。
時間が経つと、ふたりは諦めてそれらを回収していき、自分で使うといった具合だった。
そのため、現在手元にこの手の色味は持っていない。
「編んだら使ってくれる?」
姉さんと兄さんに渡されたものは既成品だった。だから放置を決め込むこともできたが、翠のは
――
「……使わなくはない」
さすがに編んでくれたものを放置するほど無神経でもない。でも、ハードルはかなり高いように思える。
「あのね、すごく似合うと思う。ツカサは色が白いから……。イメージ的にはモノトーンの印象だけど、でも、似合うと思うの。差し色になると思う」
「……段階は踏ませてほしい」
最低限の譲歩を提示すると、翠はぱっと目を輝かせた。
「うんっ。いきなりパステルピンクとかは渡さないからっ」
そこでどうしてパステルピンクが出てくるんだか……。
俺が突っ込む前に唯さんが大笑いを始めた。
「司っちにパステルピンクっ! ひーーー腹痛いっ! リィ、楽しいから来年の毛糸選び、俺も連れてってね」
「翠、それは却下。来年の毛糸選びは俺が一緒に行くから」
身の危険は行動を持って排除するに限る。パステルピンクは何がなんでも回避――
唯さんが部屋を出ていくと、翠はいつものように俺のコートを受け取った。それをハンガーへかけてもらっているとき、コートを着て先ほどのマフラーを首に緩く巻いた唯さんが顔を出した。
「唯兄、お出かけ……?」
「うん、ちょっとね。ホテルに用がある。あと、帰りに夕飯の買出ししてくるわ。六時くらいまでには帰る」
翠と会話をしたあと、俺に向けられた視線が意味深すぎ。
「司っち、今日の夕飯はうちで食べていきなよ。大したものは作んないけど」
「……ごちそうになります」
なんの思惑があるのか警戒していると、
「ってことで、ごゆっくり。しばらくはゲストルームにふたりきりだよ」
ニヒヒ、と笑って唯さんは出ていった。
それからの翠はというと、途端に態度がぎこちなくなる。
別にふたりきりなんて珍しくもなんともないのに。何を意識しているんだか……。
そんな翠の額に確認のため手を伸ばす。
「熱は下がったみたいだな」
「ん……。まだ三十七度あたりをうろちょろしてるけれど、ほとんど治りかけ」
「無理はしないように」
確認が済めば手を引きラグに座る。
頼まれていたものをかばんから取り出し差し出すと、
「いくらだった?」
「そんなに高いものじゃないからいい」
「それはいや」
翠は頑なに固辞し、結局は一円単位までしっかりと払われた。
風邪をもらわないようにマスクをする、食べ物を食べる前や帰宅時には必ず手洗いうがい――
それを徹底しているにも関わらず、翠は風邪をひく。
何をどうしたら……と悩ましくも思うが、ひとまずインフルエンザやノロウィルスではなかったところに救いはあるかも。
「十四日の予定は取りやめだな」
珍しく翠が藤倉市街へ行きたいと言いだした。何か用があるのかと訊いてみたら、バレンタインのイルミネーションが見たいとのこと。
どうやら情報源は嵐と優太のようだ。
バレンタインのイルミネーションがどんなものかは知らない。でもきっと、クリスマスのイルミネーションと大差ないだろう。
翠は見られなかった、と悲しむだろうか。
「……そしたらホテルへ連れて行けばいいか」
あそこは年中趣向を凝らせたイルミネーション、またはライトアップをしている。
そんなことを考えていると、携帯が着信を知らせる。
件名 :風邪、ひいちゃった
本文 :湊先生から聞いていると思うけど
風邪ひいちゃったの。
熱は微熱まで下がったのだけど
湊先生には明日までおとなしくしてなさいって
言われてて……。
デート、楽しみにしてたのだけど、
行けなくなっちゃった。
プレゼントも全部作れてなくて……。
ごめんなさい。
風邪をひいたことは反省してしかるべき。でも、俺に謝ることはないと思う。
別にバレンタインにプレゼントを用意するのは義務ではないわけで……。
件名 :別に問題ない
本文 :微熱なら明日は俺がそっちに行く。
部屋で話すくらいなら問題ないだろ。
返信を送ると、プレゼントに固執した内容のメールが届いた。
翠の申し訳なさそうな表情が脳裏に浮かぶ。
ったく、手のかかる……。
思いながら携帯のリダイヤルから翠の番号を表示させ発信する。
きっと携帯を手に持っていたのだろう。一コールの途中で翠が出た。
『はい』
声音が「ごめんなさい」という響き。
「あのさ、別にバレンタインだから会うわけじゃないし、バレンタインだからどこかへ出かけるわけでもないんだけど」
『え……?』
「翠、イベントに踊らされすぎ」
翠は世間というものに疎い割に、こういうイベントには乗じたがる傾向にあるようだ。
イベントなんて正月と誕生日のみで十分だと思う俺が何かおかしいのか……。
『でも、バレンタインだから編み物作ったし、バレンタインだからお菓子作ろうと思ったんだけど……』
まるでバレンタインには編み物をしなくちゃいけなくてお菓子を作らなくちゃいけないような感じ。
「じゃあ訊くけど、バレンタインがなかったら俺は編み物もお菓子も作ってもらえないわけ?」
突き詰めて考えたらそんな気がしてくる。けれども翠は、
『……そういうわけじゃないかな』
「なら、バレンタインにそこまで拘る必要はないと思う」
『……そういうもの?』
「少なくとも、俺にとっては……。納得した?」
『した、かも……』
こういうとき、翠が素直な人間でよかったと思う。
「それは何より。なら、違う日にお菓子作って」
『うん……』
納得した、と言う割にはどこか尾を引いた声音だ。少し気にしつつ話を続ける。
「姉さんが明日は点滴しなくても大丈夫って言ってた。そのくらいには回復したと思ってるけど……」
『うん。今日は普通にご飯も食べられた』
ご飯を食べることができたと言われただけでほっとする。
風邪をひくとたいていが、胃腸にきてものが食べられなくなると聞いているからだ。
熱を出して数日で経口摂取ができているのなら、今回はさほどひどい風邪ではなかったのだろう。
「なら、ゲストルームでいつもみたいに過ごせばいい。何か食べたいものがあれば買っていくけど?」
翠は少し間を置いてから、「ココア」と答えた。
「翠、無理して作らなくていいって話をしたはずなんだけど」
『そうじゃなくて……。飲み物にココアが飲みたいだけ』
「……わかった」
ココアは刺激物だが、そんなものを欲する程度には元気になったのだろう、と結論づけて通話を切った。
翌日、ココアを持ってゲストルームを訪ねると、唯さんに迎え入れられる。
「どーぞどーぞ」と翠の部屋へ通されると、ローテーブルにはマフラーが四つ並べられていた。
右からペールグリーン、ブルー、ペールパープル、メタリックグレー。
きっとすべて翠が編んだものだろう。俺のはきっとブルーかグレー。
そう思っていると、唯さんに「どれだと思う?」と執拗に訊かれ、俺が答える前にペールパープルのマフラーを首に巻かれた。
ニヤニヤしている顔が最悪……。
ベッドに腰掛けている翠を振り返ると、少し困ったような顔で俺を見ていた。
このふたり、いったい何がしたいわけ……?
マフラーの上から巻かれたマフラーを外そうとすると、
「嘘うそ、ツカサっちのはそっちの青いやつ。これは俺の」
今度は巻かれたマフラーを取り上げられた。
ますますもって何がしたいんだ……。
説明を求めて翠を見ると、
「本当はツカサにも柔らかい色味のマフラーを編みたかったのだけど、いやな顔をされる気がしてやめたっていう話を唯兄にしたの。そしたら、唯兄がこのマフラーで反応を見ようって……」
翠の話し方は俺の出方をうかがっているように見える。すると、次はしっかりと質問を投げられた。
「ツカサはそういう色、好き? 嫌い?」
「……持ってはいない」
まず間違いなく自分では手に取らない色味だろう。
今までこういった色味に出くわさなかったわけではない。それらは姉さんと兄さんによって与えられたわけだが、与えられたからといって素直に身に着けるような性格でもない。
時間が経つと、ふたりは諦めてそれらを回収していき、自分で使うといった具合だった。
そのため、現在手元にこの手の色味は持っていない。
「編んだら使ってくれる?」
姉さんと兄さんに渡されたものは既成品だった。だから放置を決め込むこともできたが、翠のは
――
「……使わなくはない」
さすがに編んでくれたものを放置するほど無神経でもない。でも、ハードルはかなり高いように思える。
「あのね、すごく似合うと思う。ツカサは色が白いから……。イメージ的にはモノトーンの印象だけど、でも、似合うと思うの。差し色になると思う」
「……段階は踏ませてほしい」
最低限の譲歩を提示すると、翠はぱっと目を輝かせた。
「うんっ。いきなりパステルピンクとかは渡さないからっ」
そこでどうしてパステルピンクが出てくるんだか……。
俺が突っ込む前に唯さんが大笑いを始めた。
「司っちにパステルピンクっ! ひーーー腹痛いっ! リィ、楽しいから来年の毛糸選び、俺も連れてってね」
「翠、それは却下。来年の毛糸選びは俺が一緒に行くから」
身の危険は行動を持って排除するに限る。パステルピンクは何がなんでも回避――
唯さんが部屋を出ていくと、翠はいつものように俺のコートを受け取った。それをハンガーへかけてもらっているとき、コートを着て先ほどのマフラーを首に緩く巻いた唯さんが顔を出した。
「唯兄、お出かけ……?」
「うん、ちょっとね。ホテルに用がある。あと、帰りに夕飯の買出ししてくるわ。六時くらいまでには帰る」
翠と会話をしたあと、俺に向けられた視線が意味深すぎ。
「司っち、今日の夕飯はうちで食べていきなよ。大したものは作んないけど」
「……ごちそうになります」
なんの思惑があるのか警戒していると、
「ってことで、ごゆっくり。しばらくはゲストルームにふたりきりだよ」
ニヒヒ、と笑って唯さんは出ていった。
それからの翠はというと、途端に態度がぎこちなくなる。
別にふたりきりなんて珍しくもなんともないのに。何を意識しているんだか……。
そんな翠の額に確認のため手を伸ばす。
「熱は下がったみたいだな」
「ん……。まだ三十七度あたりをうろちょろしてるけれど、ほとんど治りかけ」
「無理はしないように」
確認が済めば手を引きラグに座る。
頼まれていたものをかばんから取り出し差し出すと、
「いくらだった?」
「そんなに高いものじゃないからいい」
「それはいや」
翠は頑なに固辞し、結局は一円単位までしっかりと払われた。