光のもとでⅡ
好きな人の卒業式 Side 翠葉 05話
ツカサの家に入ると順番に手洗いうがいを済ませ、ハーブティーを淹れ終わるころに、コンシェルジュがサラダとほうれん草のクリームスープパスタを届けてくれた。
もう何を言わずともツカサには一人前、私には半人前の分量で用意してくれる。それが嬉しくて笑みを漏らしながらテーブルセッティングをしていると、
「翠はもう少し食べたほうがいいと思う」
ツカサの指摘に言葉に詰まる。
「でも、前に比べたら少し体重増えたものっ」
「それ、いつの体重と比較してるわけ? 入学当初の体重より増えてるって言うなら認めなくもないけれど、一年の夏とか冬の体重より増えたと言っているならもっと努力したほうがいいと思う」
その指摘には黙るしかなかった。
現在の体重は入学当初と大差ないくらいで、あのときよりも太ったとは言えないのだから。そのくらい、一年の夏に体重を落としてしまったのだ。
「どうなの?」
容赦ない追求に、「目下鋭意努力中です」とのみ答え、「いただきます」とそそくさとサラダを口へ運んだ。
お昼ご飯を食べ終えるとハーブティーを淹れなおし、リビングへと移動する。
「そういえば、四月からは鎌田くんと風間先輩と同期だね?」
一般入試だったふたりは二月頭に合否が出て、「無事合格した!」と連絡をくれていたのだ。
「鎌田くんがツカサにはすごくお世話になったって言ってたよ。そんなに何度も質問メールが届いていたの?」
「あぁ……あまりにも心許なさ過ぎて、受験前は藤倉に呼び出して勉強教えてた」
「えっ!? そこまでしてくれてたのっ!?」
「自分が教えていて不合格とか、後味悪いだろ?」
そう言ってそっぽを向くツカサは、なんだか照れ隠しをしているようで少しかわいかった。
「鎌田くんは本来文系なんだって。だから、理系は努力しないと点数採れないって言ってた」
「なるほど……朝陽みたいなタイプか」
「え? 朝陽先輩?」
「朝陽はもともと文系の人間だけど、苦手分野を克服したいからって二年次では理系を選択してた人間」
それは初耳だ……。
「まあ、三年次では文系に戻して経営学部に進んだけど」
「嵐子先輩は被服科がある葉山大学だったよね? 優太先輩は?」
「優太はうちの教育学部」
そういえば、前に聞いたことがある。優太先輩のお父さんは支倉高校で数学の教師をしているという話を。
お父さんの背中を見て、教育者になりたいと思ったのかな……。
「あっ! そういえば、静音先輩が藤宮の薬学部に合格したって! 今日、沙耶先輩と静音先輩にお手紙を渡しに行ったときに教えてもらったの」
ツカサは「あぁ」といったふうで、
「あいつの家は製薬会社だからな」
「……製薬会社?」
えぇと、静音先輩の苗字は――
「えっ!? 唐沢製薬って、静音先輩のおうちっ!?」
醸し出す雰囲気がいかにも「お嬢様」な人だったけれど、まさか製薬会社のお嬢様とは思いもしなかった。
「ま、家が製薬会社だからといって、娘が薬学部へ進む必要性はまったくないと思うけど」
それを言うなら、ツカサにも同じことが言えそうだけど、言っておへそを曲げられても困ってしまうので、何を言うことなくスルーした。
気づけばツカサのカップが空になっていた。
「ツカサ、コーヒー飲む? 飲むなら淹れるよ?」
「あぁ、頼む」
「うん!」
カップを持ってキッチンへ向かうと、カウンター越しにツカサが立ち上がったのが見えた。
コーヒーは冷凍庫に入っているからツカサに取ってもらう必要はないのだけど……。
不思議に思いながらツカサを目で追っていると、ツカサはキッチンを通り過ぎた。
もしかしたらトイレかもしれない。
そう思いながらコーヒーの準備をしていたけれど、どうやらそれもハズレだったようだ。
ツカサは手にノートパソコンを持って戻ってきた。
「何か調べもの?」
キッチンからたずねると、
「いや、さっきの写真、データもらおうと思って」
なるほど。
「カメラ、かばんに入ってるから出していいよ」
「了解」
私がコーヒーを淹れてリビングへ戻るころにはデータのコピーが終わっていた。
ツカサはそれをスライドショーで表示していく。
次々と映し出される画像に、私は目を覆いたくなっていた。一方、隣のツカサは「ひどい顔」と言いながらおかしそうにくつくつと笑っている。
「もう、ひどいっ」
「ひどいのは翠の顔だろ?」
「だって、寂しかったんだものっ。ツカサが高校からいなくなっちゃうの、寂しかったんだものっ」
ポカスカとツカサをぶっていると、その手首を掴まれ引き寄せられる。
「だから、そんなに寂しがる必要はないと言ってる」
「だって……もうお昼は一緒に食べられないのよ?」
「どうして?」
どうしてって――
「だって、ツカサは大学生になってしまうのだから、一緒にお昼を食べるのは無理でしょう?」
「春や秋、気候のいい時期なら桜香苑や梅香苑で待ち合わせて食べることもできるし、俺が週に一、二度高等部の食堂へ出向いてもいい。そんなのはどうにでもできる」
まさかそんな提案をされるとは思わず面食らっていた。
「それでも不満?」
私はフルフルと首を振った。
ツカサは私を抱きしめたまま、
「問題は一年後だろ……。俺は支倉へ拠点を移すし、翠も高校を卒業する。そのときは、何か対策らしい対策を練らないと――」
一年後のことを考えて再び不安に駆られると、
「あと一年は安泰だと思えばいい。その先のことは、それまでに何か考えるから」
そう言うと、「バイタルの設定は?」とたずねられた。
私は少し恥ずかしく思いながら、「もう変えてある」と答える。と、ふわりと笑ったツカサの顔が近づいてきて、そっと唇にキスをされた。
キスをしながら身体に触れられるのはまだ少し抵抗があって、恥ずかしさに身じろぎをすると、
「いや?」
「……いやっていうか、恥ずかしくて――」
「そうは言っても、期限まであと一ヶ月ちょっとなんだけど……」
それはわかっている。でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「翠、プールと同じだ」
えっ? プール……?
「誰も最初から泳げるわけじゃない。最初は水で遊んで水に慣れるところから。そうして水が怖いものじゃないと知ったら少しずつステップアップして、最終的に泳ぐところに到達する。これもそれと変わらない。抱きしめられることに慣れてキスされることにも慣れたなら、次は触れられることに慣れればいい。俺に触れられるのは怖いこと?」
私は左右に首を振る。
「怖くはない。ただ、恥ずかしいだけ……」
「じゃ、それにも慣れて」
そう言うと、ツカサは私の背中に腕を回し、うなじから背中へと指を滑らせた。
「きゃっ」
ツカサにその意図があるかどうかは別として、くすぐったくて仕方がない。
「ツカサっ、くすぐったい!」
抗議をしてもツカサは触れることをやめてはくれない。
やめてくれないどころか、こんなことを言い出した。
「くすぐったいところは触れられているうちに気持ちよくなるって話。嘘か本当か、試してみる?」
「そんなことを言うのはこの口か!」と言い返そうとしたのだけど、ツカサの表情が妙に艶っぽくて、赤面してしまった私はツカサの胸に顔を埋めた。
どうしよう、すごくドキドキする……。あんな顔をしたツカサ、初めて見た――
バクバクいっている胸はぴたりとツカサにくっついていて、鼓動すら伝わってしまいそう。
色んな意味で恥ずかしくて縮こまっていると、ツカサは優しく抱きしめ首筋にそっとキスをしてくれた。
それはまるで、「怖いことじゃない」と教えるためのキスのよう。
大丈夫、大丈夫、大丈夫――
ツカサとなら、大丈夫――
ツカサに触れられる場所に意識を掻っ攫われつつも、私は胸中で「大丈夫、大丈夫」と唱え続けていた。
もう何を言わずともツカサには一人前、私には半人前の分量で用意してくれる。それが嬉しくて笑みを漏らしながらテーブルセッティングをしていると、
「翠はもう少し食べたほうがいいと思う」
ツカサの指摘に言葉に詰まる。
「でも、前に比べたら少し体重増えたものっ」
「それ、いつの体重と比較してるわけ? 入学当初の体重より増えてるって言うなら認めなくもないけれど、一年の夏とか冬の体重より増えたと言っているならもっと努力したほうがいいと思う」
その指摘には黙るしかなかった。
現在の体重は入学当初と大差ないくらいで、あのときよりも太ったとは言えないのだから。そのくらい、一年の夏に体重を落としてしまったのだ。
「どうなの?」
容赦ない追求に、「目下鋭意努力中です」とのみ答え、「いただきます」とそそくさとサラダを口へ運んだ。
お昼ご飯を食べ終えるとハーブティーを淹れなおし、リビングへと移動する。
「そういえば、四月からは鎌田くんと風間先輩と同期だね?」
一般入試だったふたりは二月頭に合否が出て、「無事合格した!」と連絡をくれていたのだ。
「鎌田くんがツカサにはすごくお世話になったって言ってたよ。そんなに何度も質問メールが届いていたの?」
「あぁ……あまりにも心許なさ過ぎて、受験前は藤倉に呼び出して勉強教えてた」
「えっ!? そこまでしてくれてたのっ!?」
「自分が教えていて不合格とか、後味悪いだろ?」
そう言ってそっぽを向くツカサは、なんだか照れ隠しをしているようで少しかわいかった。
「鎌田くんは本来文系なんだって。だから、理系は努力しないと点数採れないって言ってた」
「なるほど……朝陽みたいなタイプか」
「え? 朝陽先輩?」
「朝陽はもともと文系の人間だけど、苦手分野を克服したいからって二年次では理系を選択してた人間」
それは初耳だ……。
「まあ、三年次では文系に戻して経営学部に進んだけど」
「嵐子先輩は被服科がある葉山大学だったよね? 優太先輩は?」
「優太はうちの教育学部」
そういえば、前に聞いたことがある。優太先輩のお父さんは支倉高校で数学の教師をしているという話を。
お父さんの背中を見て、教育者になりたいと思ったのかな……。
「あっ! そういえば、静音先輩が藤宮の薬学部に合格したって! 今日、沙耶先輩と静音先輩にお手紙を渡しに行ったときに教えてもらったの」
ツカサは「あぁ」といったふうで、
「あいつの家は製薬会社だからな」
「……製薬会社?」
えぇと、静音先輩の苗字は――
「えっ!? 唐沢製薬って、静音先輩のおうちっ!?」
醸し出す雰囲気がいかにも「お嬢様」な人だったけれど、まさか製薬会社のお嬢様とは思いもしなかった。
「ま、家が製薬会社だからといって、娘が薬学部へ進む必要性はまったくないと思うけど」
それを言うなら、ツカサにも同じことが言えそうだけど、言っておへそを曲げられても困ってしまうので、何を言うことなくスルーした。
気づけばツカサのカップが空になっていた。
「ツカサ、コーヒー飲む? 飲むなら淹れるよ?」
「あぁ、頼む」
「うん!」
カップを持ってキッチンへ向かうと、カウンター越しにツカサが立ち上がったのが見えた。
コーヒーは冷凍庫に入っているからツカサに取ってもらう必要はないのだけど……。
不思議に思いながらツカサを目で追っていると、ツカサはキッチンを通り過ぎた。
もしかしたらトイレかもしれない。
そう思いながらコーヒーの準備をしていたけれど、どうやらそれもハズレだったようだ。
ツカサは手にノートパソコンを持って戻ってきた。
「何か調べもの?」
キッチンからたずねると、
「いや、さっきの写真、データもらおうと思って」
なるほど。
「カメラ、かばんに入ってるから出していいよ」
「了解」
私がコーヒーを淹れてリビングへ戻るころにはデータのコピーが終わっていた。
ツカサはそれをスライドショーで表示していく。
次々と映し出される画像に、私は目を覆いたくなっていた。一方、隣のツカサは「ひどい顔」と言いながらおかしそうにくつくつと笑っている。
「もう、ひどいっ」
「ひどいのは翠の顔だろ?」
「だって、寂しかったんだものっ。ツカサが高校からいなくなっちゃうの、寂しかったんだものっ」
ポカスカとツカサをぶっていると、その手首を掴まれ引き寄せられる。
「だから、そんなに寂しがる必要はないと言ってる」
「だって……もうお昼は一緒に食べられないのよ?」
「どうして?」
どうしてって――
「だって、ツカサは大学生になってしまうのだから、一緒にお昼を食べるのは無理でしょう?」
「春や秋、気候のいい時期なら桜香苑や梅香苑で待ち合わせて食べることもできるし、俺が週に一、二度高等部の食堂へ出向いてもいい。そんなのはどうにでもできる」
まさかそんな提案をされるとは思わず面食らっていた。
「それでも不満?」
私はフルフルと首を振った。
ツカサは私を抱きしめたまま、
「問題は一年後だろ……。俺は支倉へ拠点を移すし、翠も高校を卒業する。そのときは、何か対策らしい対策を練らないと――」
一年後のことを考えて再び不安に駆られると、
「あと一年は安泰だと思えばいい。その先のことは、それまでに何か考えるから」
そう言うと、「バイタルの設定は?」とたずねられた。
私は少し恥ずかしく思いながら、「もう変えてある」と答える。と、ふわりと笑ったツカサの顔が近づいてきて、そっと唇にキスをされた。
キスをしながら身体に触れられるのはまだ少し抵抗があって、恥ずかしさに身じろぎをすると、
「いや?」
「……いやっていうか、恥ずかしくて――」
「そうは言っても、期限まであと一ヶ月ちょっとなんだけど……」
それはわかっている。でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
「翠、プールと同じだ」
えっ? プール……?
「誰も最初から泳げるわけじゃない。最初は水で遊んで水に慣れるところから。そうして水が怖いものじゃないと知ったら少しずつステップアップして、最終的に泳ぐところに到達する。これもそれと変わらない。抱きしめられることに慣れてキスされることにも慣れたなら、次は触れられることに慣れればいい。俺に触れられるのは怖いこと?」
私は左右に首を振る。
「怖くはない。ただ、恥ずかしいだけ……」
「じゃ、それにも慣れて」
そう言うと、ツカサは私の背中に腕を回し、うなじから背中へと指を滑らせた。
「きゃっ」
ツカサにその意図があるかどうかは別として、くすぐったくて仕方がない。
「ツカサっ、くすぐったい!」
抗議をしてもツカサは触れることをやめてはくれない。
やめてくれないどころか、こんなことを言い出した。
「くすぐったいところは触れられているうちに気持ちよくなるって話。嘘か本当か、試してみる?」
「そんなことを言うのはこの口か!」と言い返そうとしたのだけど、ツカサの表情が妙に艶っぽくて、赤面してしまった私はツカサの胸に顔を埋めた。
どうしよう、すごくドキドキする……。あんな顔をしたツカサ、初めて見た――
バクバクいっている胸はぴたりとツカサにくっついていて、鼓動すら伝わってしまいそう。
色んな意味で恥ずかしくて縮こまっていると、ツカサは優しく抱きしめ首筋にそっとキスをしてくれた。
それはまるで、「怖いことじゃない」と教えるためのキスのよう。
大丈夫、大丈夫、大丈夫――
ツカサとなら、大丈夫――
ツカサに触れられる場所に意識を掻っ攫われつつも、私は胸中で「大丈夫、大丈夫」と唱え続けていた。