光のもとでⅡ

笑った顔が見たくて Side 司 06話

 マンションに着きコンシェルジュに迎えられてはっとした。
「昼、一緒に食べるつもりでいたけど、もしかしてゲストルームで誰か待ってたりする?」
「ううん。今日はみんなお仕事だから、帰ったらひとりでお昼の予定だった」
「なら、一緒に食べよう」
「うん」
 その会話に、崎本さんがすぐにメニューを広げてくれた。
「ツカサは何にするの?」
「……パスタかな」
「何パスタ?」
 個人的に好きなのはシーフード系のトマトパスタだけど、翠のこの訊き方は同じものにしようかな、というニュアンスだ。それなら、よりカロリーの高いものを食べさせたい。
 俺はメニューの脇に表示されているカロリーを即座にチェックし、「ほうれん草のクリームパスタ」と答えた。
 より高カロリーというならカルボナーラだった。けれど、これだと翠は胃もたれを起こす可能性がある。だから、それよりは軽めのクリーム系パスタで。
 案の定翠は、「じゃ、私も同じのにしようかな」と口にした。
 あとでパスタを食べている翠の写真を撮らせてもらおう……。

 エレベーターへ向かいながら、
「一度着替えに戻る?」
 考えるまでもない簡単な質問なのに、翠は返答までに時間を要した。
「私が着替えに帰ったら、ツカサも着替えちゃう……?」
「翠が着替えるなら着替えるけど」
「……じゃ、このまま行く」
「……なんでそこまで制服にこだわる?」
 翠はまたしても沈黙した。そして、首を傾けた状態で、
「何か特別な理由があるわけではないと思うの……。ただ、今日で見納めかと思うと、途端に特別なものに思えてしまって……」
「やっぱ単純だな」
 その一言に尽きた。
 でも、翠が話すことはどれをとっても愛おしく思えて、翠を見る目は自然と優しいものになる。
 自分が今どんな顔をしているのはなんとなく想像ができて、そんな自分も悪くないと思えた。

「そういえば、さっきボタンがどうのって朝陽が言ってたけど、あれ、なんだったの?」
 翠はきょとんとした顔の末、クスクスと笑いだした。
「卒業式におけるジンクスなのだけど、由来、知りたい? いくつかあるのだけど、全部話す?」
「できれば」
 翠は意外そうな顔をしたものの、ひとつひとつ教えてくれた。
「制服のボタンの一番上は自分、二番目が一番大切な人、三番目は友人、四番目は家族。で、その人の一番大切な人になりたい、っていう意味で第二ボタンをもらう慣わしがあるの。反対に、男子から『自分の大切な人になってください』っていう告白的な意味合いで渡すこともあるみたい。それから、心臓に一番近いボタンが第二ボタンだから、心を得るっていう意味で第二ボタンをもらいたがる女の子がいるの」
「ふーん……」
 だから手紙や花束のほかにハサミを持った女子がいたのか。実際に「ボタンをください」と言う女子――否、言えた女子はひとりもいなかったけど。
「それ、女子バージョンのジンクスはないの?」
「え……?」
「ブレザーの高校ならともかく、セーラー服やうちの女子の制服だとそのジンクスは男子にしか通用しないだろ? だから、女子バージョンはないのかと思って」
 そんなジンクスが男子にしかないわけがないし、もし男子にしかないのなら、色々と不公平だ。
「女子にもないわけじゃないよ。ブレザーの高校だと、ボタンじゃなくて首元のリボンやネクタイがボタンの代わりになるの。で、うちの制服だとこれ」
 翠が指差したのは、ブラウスの襟元に結われたボルドーのリボンだった。
「へぇ……じゃ、何? 俺が第二ボタンを翠にあげたら、俺は来年翠のリボンがもらえるわけ?」
 物々交換のような確認をすると、
「えっ!? くれるのっ?」
 すごい勢いで食いつかれたけど、
「……欲しいんじゃなかったの?」
 確認のために質問すると、
「欲しいっ!」
 今度は飛びつく勢いで腕に抱きつかれた。
 これ、ちょっとたまらない……。
 無邪気に喜ぶ翠とか、テンション高めの翠とか、満面の笑みの翠とか――
 そんなの見せられたら抱きしめてキスしたくなる。
 俺はできるだけ冷静さを保ち、
「そんな必死にならなくても翠なら別にかまわない」
 そう答えるのが精一杯だった。

 家に入ればふたりどちらからともなく洗面所へ向かい手洗いうがいを済ませる。
 リビングにかばんを置くと、翠はすぐにキッチンへ向かった。
 きっとお茶を淹れようと思っているのだろう。
 その背を追いかけキッチンに入ると、翠は電気ケトルに水を入れているところだった。
 俺が吊り戸棚から茶葉を下ろせば、「ありがとう」と言って食器棚からポットとカップを取り出す。
 いつもと変わらない行動に、「まるで新婚みたい」などと思う。でも、さすがに結婚して翠が日常的に家にいるようになったら、ハーブティーの茶葉は翠の手の届くところへ移動させなくてはいけない。
 今は姉さんが使っていたときのままになっているが、結婚したら少しは変わるだろうか。そのときは、翠の使いやすいように変えてくれればいい。
 お茶の用意が整うと、コンシェルジュがパスタを持ってやってきた。
 それを受け取りダイニングテーブルにセッティングすると、翠は自分に用意されたパスタ皿に笑みを零す。
 何って、明らかに分量が少ない。もっと言うならお子様サイズ。
 これでは食べているところを写真に撮ったところであまり安心材料にはなり得ない。
「翠はもう少し食べたほうがいいと思う」
 翠は笑顔を引っ込めた。
「でも、前に比べたら少し体重増えたものっ」
「それ、いつの体重と比較してるわけ? 入学当初の体重より増えてるって言うなら認めなくもないけれど、一年の夏とか冬の体重より増えたと言ってるならもっと努力したほうがいいと思う」
 いっそ、定期的に体重チェックをして本格的に太らせる手伝いをしたいくらいだ。
 翠は「むぅ」とむくれてしまう。つまり言い返せない数値ということなのだろう。
 そうとわかっていながら、
「どうなの?」
 問い質すように詰め寄ると、翠は「目下鋭意努力中です」とサラダを頬張った。
 そこで頬張るならパスタにしろ、と思わず言いそうになったのを我慢するのは結構至難の業だった。
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