光のもとでⅡ

笑った顔が見たくて Side 司 07話

 昼食を食べ終わるとプレートを洗う俺の隣で、翠はお茶を淹れなおしていた。
 食事のときは口腔をさっぱりさせるミントティーで、今度はベリー系のハーブティーを淹れると嬉しそうににこにこと笑っている。
 お茶をトレイに載せてリビングへ行くと、ラグにペタリと座り込んだ翠が思い出したように新しい話題を持ち出した。
「そういえば、四月からは鎌田くんと風間先輩と同期だね?」
 それの何が嬉しいのか、翠はことさら嬉しそうに話しかけてくる。
「鎌田くんがツカサにはすごくお世話になったって言ってたよ。そんなに何度も質問メールが届いていたの?」
「あぁ……あまりにも心許なさ過ぎて、受験前は藤倉に呼び出して勉強教えてた」
 もともと藤倉にある有名進学塾に通っていたらしく、週に二度は学校帰りに藤倉に来るところを、毎日藤倉に来させて、週四日は勉強を見ていた。
 初めて勉強を見たときには翠に通じるものを感じた。なんていうか、効率の悪い勉強法をしていた。それを受験直前になって変えろと言われて変えられる人間はそういないだろう。けれど、元来素直な性格なのか、鎌田はすぐに勉強法を変え、俺の言うとおりに勉強するようになった。
 そこからは割とスムーズに勉強が進み、ケアレスミスも減り、わずか一ヶ月で見ていて安心できる程度になった。結果、センター試験ではギリギリの点数だったが、大学の一次試験では見事合格をもぎ取った。
 たかだか勉強を見ていただけで、それ以外の話をしたわけではない。それでも、勉強する姿勢を見れば、鎌田がどんな人間なのかはなんとなく見えてくるものがあって、翠が懐くのもわからなくはなかった。
 少なくとも、腹の中でどす黒いことを考えているような性質ではないことは理解できた。
 翠は俺が藤倉に呼び出してまで勉強を見ていたのが意外だったようだが、
「自分が教えていて不合格とか、後味悪いだろ?」
 その一言に尽きる。けど、おそらくは鎌田という人間に興味があったからでもあると思う。
 でも、そうとは言えなくて、俺は視線を逸らすことでごまかした。
 すると翠は、鎌田の話は鎌田の話でも違う話を振ってくれた。
「鎌田くんは本来文系なんだって。だから、理系は努力しないと点数採れないって言ってた」
 合点がいった気がする。
「なるほど……朝陽みたいなタイプか」
「え? 朝陽先輩?」
「朝陽はもともと文系の人間だけど、苦手分野を克服したいからって二年次では理系を選択してた人間。まあ、三年次では文系に戻して経営学部に進んだけど」
 三年次で理系から文系にシフトするためには人より多くの履修が必要となる。それをこなしての路線変更には少し感心した。
「嵐子先輩は被服科がある葉山大学だったよね? 優太先輩は?」
「優太はうちの教育学部」
 確か、親の職業が教師で、自分も教師になりたいと言っていた。散々嵐の勉強を見てきただけに、優太は人にものを教える技術だけは鍛えられていると思う。そういう意味では「教師」という職業の適正はあるのかもしれない。
「あっ! そういえば、静音先輩が藤宮の薬学部に合格したって! 今日、沙耶先輩と静音先輩にお手紙を渡しに行ったときに教えてもらったの」
「あぁ……あいつの家は製薬会社だからな」
 翠はきょとんとした顔で、
「製薬会社? ――……えっ!? 唐沢製薬って、静音先輩のおうちっ!?」
 そこまで驚くことだろうか。というか、仲良さそうなのにそういう話はしてなかったんだな。
 ま、翠も母方の実家が城井アンティークであることを話すタイプでもないし、そんなものか……。
 そういう意味では、「家」を挟むことなく付き合えるいい友人関係なのだろう。
 その話がひと段落ついたころ、
「ツカサ、コーヒー飲む? 飲むなら淹れるよ?」
 俺のカップが空になっているのに気づいた翠が声をかけてくれた。
「あぁ、頼む」
「うん」
 翠が席を立ったあと、スマホにいくつかの画像が送られてきた。
 それはクラスや部活、生徒会メンバーと撮った写真の数々。
 着々と受信するスマホを放置し、翠のカメラで撮ったデータをもらうために、自室へノートパソコンを取りに行く。
 ノートパソコンを小脇に抱えて戻ってくると、
「何か調べもの?」
 キッチンカウンター越しにたずねられる。
「いや、さっきの写真、データもらおうと思って」
 すると、
「カメラ、かばんに入ってるから出していいよ」
「了解」
 カメラからSDカードを抜き取りノートパソコンにセットする。と、画像はすぐに表示された。
 似たり寄ったりの写真が何枚もあり、これは選定作業が大変そうだな、と思う。
 それらすべてをコピーすると、ノートパソコンの設定をスライドショーに変える。
「くっ……どれ見ても泣き顔だし」
 いったいどれだけ泣いたんだか……。
 その理由がひとえに俺の卒業だとしたら、なんと愛おしいことか。
「離れたくない」という感情はダイレクトに伝わってきた。だからこそ講じた対策の数々。
 手は尽くしたつもりだけど、もう不安や寂しさは拭ってやれただろうか。
 そう思っているところに翠が戻ってきた。
 思わず「ひどい顔」と零すと、
「もう、ひどいっ」
「ひどいのは翠の顔だろ?」
「だって、寂しかったんだものっ。ツカサが高校からいなくなっちゃうの、寂しかったんだものっ」
 グーパンチを繰り出し何度もぶたれる。その手首を掴みながら「寂しい」という言葉が胸に沁みる。
 翠を引き寄せ胸に抱きながら、
「だから、そんなに寂しがる必要はないと言ってる」
「だって……もうお昼は一緒に食べられないのよ?」
「どうして?」
「だって、ツカサは大学生になってしまうのだから、一緒にお昼を食べるのは無理でしょう?」
 そんなの簡単に覆せるんだけど……。
「春や秋、気候のいい時期なら桜香苑や梅香苑で待ち合わせて食べることもできるし、俺が週に一、二度高等部の食堂へ出向いてもいい。そんなのはどうにでもできる」
 翠はびっくりしたような顔をしている。
「それでも不満?」
 翠はすぐさまフルフルと首を横に振った。
 この程度のことならすぐに対策を講じられる。けど――
「問題は一年後だろ……。俺は支倉へ拠点を移すし、翠も高校を卒業する。そのときは、何か対策らしい対策を練らないと――」
 思っていたことを口にしたら、途端に翠が不安そうな表情になった。
「あと一年は安泰だと思えばいい。その先のことは、それまでに何か考えるから」
 事実、ひとつ考えはあって――
 けれどそれにはいくつかのハードルを越えなくてはいけない。
 まずは正式に婚約して、身内の信頼を得なくては――
「翠、バイタルの設定は?」
 翠は花恥ずかしげに、「もう変えてある」と答えた。
 その様子がかわいすぎて思わず笑みが漏れる。俺はそのまま顔を近づけキスをした。

 キスをしながら身体に触れるのも、もう何度か繰り返してきている。けれど、いつもはルームウェアの翠を相手にしていただけに、制服姿の翠だとなんだか途端に悪いことをしている気になる。
 制服の威力ってすごいな、などと思っていると、翠が恥ずかしそうに身じろいだ。
「いや?」
「……いやっていうか、恥ずかしくて――」
「そうは言っても、期限まであと一ヶ月ちょっとなんだけど……」
 翠もそれはわかっているのだろう。だからこそ、恥ずかしくてもいやがりはせず受け入れている。
 でもそれは、一歩間違えれば強要していることになるし、苦痛を強いていることになる。それじゃ意味がない。
 どうしたら安心して身を預けてもらえるのか……。
 事実、抱きしめたりキスをするだけなら、リラックスした状態で身体を預けてもらえていた。
 身体に触れるようになってから、身体を強張らせ緊張するようになってしまった。
 何をどう話せばそれらを和らげることができるのか――
 御園生さんがするような、翠が理解しやすいたとえ話といったら……。
「翠、プールと同じだ」
 不意に翠が顔を上げ、「どういう意味?」と目でたずねられた。
「誰も最初から泳げるわけじゃない。最初は水で遊んで水に慣れるところから。そうして水が怖いものじゃないと知ったら少しずつステップアップして、最終的に泳ぐところに到達する。これもそれと変わらない。抱きしめられることに慣れてキスされることにも慣れたなら、次は触れられることに慣れればいい。俺に触れられるのは怖いこと?」
 翠は左右に首を振る。
「怖くはない。ただ、恥ずかしいだけ……」
「じゃ、それにも慣れて」
 身体を竦める翠の背中に腕を回し、うなじから背中へと指を滑らせる。と、
「きゃっ」
 翠はくすぐったそうに身を捩った。
「ツカサっ、くすぐったい!」
 くすぐってるつもりはないけれど、それは予兆ともいう。
「くすぐったいところは触られているうちに気持ちよくなるって話。嘘か本当か、試してみる?」
 その言葉に翠は顔を真っ赤にして、俺の胸に顔を埋めた。
 身体を引いて逃げるという手もあっただろうに、俺の胸に収まったことが嬉しくて、翠を優しく抱きしめ、翠の首筋にキスをした。
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