光のもとでⅡ
Side 司 01話
翠にプロポーズをした日のうちに御園生家を訪れ婚約の許しを得た俺は、自宅に戻るなり両親に婚約の段取りを告げた。
「えっ? 昨夜結婚の申し込みをして、今朝には御園生のお宅にうかがってお許しまでいただいてきたの?」
目を丸くして驚いたのは母さん。父さんはコーヒーを飲みながらくつくつと笑っていた。
「涼さん、笑いごとじゃないですっ!」
「どうしてです? 本人の了承を得られたのなら、次に得るべきはご両親の了承でしょう? むしろ、一両日中にそこまで話を詰めてきた息子を褒めてあげるべきでは?」
「それはそうなのですが……翠葉ちゃんのご両親のことを思うと少し気の毒な気がして……」
母さんはやけに心配そうな顔をしているけど、その理由がわからなかった。第一、こんなケースは身近にもあるわけで――
「確か、紅子さんは十七で婚約して十八で結婚したって聞いたけど?」
「だからよ……。紅子は高校二年のときに婚約して、卒業と同時に入籍したけれど、斎さんがうちへ挨拶に来たとき、あのお父様でさえ寂しそうだったもの……。それに、うちには娘がふたりいたけれど、翠葉ちゃんのところは女の子ひとりでしょう? さぞ寂しがられるんじゃないかしら」
その言葉に、今朝のふたりを思い出す。
確かに零樹さんは「堪える」と言っていたけど、俺の申し出を断る素振りは一度として見せなかった。むしろ、
「快諾だったと思うけど?」
「え? そうなの……?」
「いつかこんな日が来ると思ってたって……。だから、婚約の日取りも決めてきた。三月十五日に両家顔合わせ的な会食。父さんも母さんも予定空けといて」
母さんは口をぽかんと開け、父さんは読んでいた新聞をテーブルに置き、すぐに予定の確認を始めてくれた。
「その日なら大丈夫だ」
ならばあとは、姉さんと兄さん、静さんの予定を空けてもらえばいい。
一番予定が詰まっていそうなのは静さんだけど、最悪の場合、姉さんさえ出席してくれれば問題はないだろう。
そこまで考えると、俺は次の算段に入る。
婚約は俺が欲した未来の約束。翠が欲するのは――気兼ねなく会える環境、かな。
今年度は問題ないにしても、来年からのことは今から動かないと間に合わない。
毎日会える環境を維持するには――
「俺が二年になって支倉に拠点を移す際、翠が芸大に合格していたら、支倉のマンションで同棲しようと思ってる。そのほうが翠の通学の負担軽減にもなるし、練習時間の確保にもつながる。だから、今年中に支倉の家の一部を特殊防音工事したいんだけど」
正面に座る父さんの目を見て話すと、両目がわずかに細まる。
「……同棲について、私が反対をしないとでも思っているのか?」
「節度ある付き合いをしろ」と言う父さんだからこそ、反対されないなどとは思ってはいない。けれど――
「父さんの言う、『節度ある付き合い』って何を指すの? 肉体関係を持つなってこと? もしそうだとしても、婚約したあとなら不純異性交遊の範囲外だし、俺たちは十八歳以上だ。つまり、そういう意味で言っていたのなら、近いうちにその約束は守れなくなる」
「ならば、どんなハードルを自分に課す?」
どんな――
「まずは翠の同意を得たうえで、御園生の両親の了承を得る」
「なるほど……。現時点ではおまえの身勝手な考えで、御園生さんが同棲を望んでいるかすらわからないということか」
「っ……俺が提案すれば、翠は賛同すると思う」
父さんは鼻で笑い、
「だといいな? それから、あちらのご両親の了承を得るというそれは、必要最低限のハードルだろう?」
どこか楽しそうな声音でたずねられた。
でも、現時点で俺が提示できる条件など高が知れている。
「大学一年次の試験及び成績において、首位以外はとらない。それから、株での収益を上げる。それによって、生活費はすべて自分で賄う」
「それも必要最低限のハードルだと思うが?」
「……今の俺にこれ以上の提案はできないんだけど」
奥歯に力がこもるのを感じながら吐き出すと、
「できるだろう? 一年次などと言わず、六年通して首位をキープ。主席での卒業。もし、一度でも首位を落とそうものならすぐに同棲は解消させる。それから、彼女が学生のうちは絶対に妊娠させるな。それが最低条件だ」
つまり、翠の人生を左右するような間違いは絶対に犯すな、か……。
これは兄さんと義姉さんの件があったからこその条件だろう。
そこは自分も理解しているつもりだし、端からそんな間違いを犯すつもりもない。
「そんな条件でいいならお安い御用なんだけど」
「ならばもうひとつ。初期研修は救命救急に籍を置け」
「姉さんもそうだったし、俺もそのつもりでいたから特に問題ない」
「……この件、御園生さんにはいつ話すつもりだ?」
「今はまだ言うつもりはない。翠が大学に通いだして体調に支障が出てきたタイミングで提案する予定」
翠の祖父母の住所も調べたが、そこから通学するよりも、うちのマンションから通ったほうが近い。利はこっちにある――
父さんはくつくつと笑い、「悪どいな」と吐き捨てた。
「父さんに言われたくないし……。そもそも何事も、自分に事が有利に運ぶように躾けたのは誰だっけ?」
「湊と楓、秋斗だろう?」
よくもまあいけしゃあしゃあと……。じゃあ、その三人を躾けたのは誰なんだって話だろ。
そんな会話をする近くで、母さんはただひとりハラハラしていた。
「母さん、近日中に碧さんから電話があると思う。会食のときの服装を相談したいって言ってた」
母さんは首を傾げながら、
「今回の会食は結納というわけではないのよね?」
「結納は入籍前に改めてすればいいと思ってる」
「そう……。それなら黒留袖である必要はないわね。色留袖くらいでいいかしら……」
「着物では果歩さんが大変なのでは?」
父さんが指摘すると、
「洋装にすると統一感がなくなってしまうので、果歩さんには色留袖をワンピースにリメイクしてあげたらどうでしょう?」
「それでしたら煌がいても大丈夫ですね」
母さんのフォローは父さんに任せればいい。
そう思った俺は、静かにリビングを後にした。
「えっ? 昨夜結婚の申し込みをして、今朝には御園生のお宅にうかがってお許しまでいただいてきたの?」
目を丸くして驚いたのは母さん。父さんはコーヒーを飲みながらくつくつと笑っていた。
「涼さん、笑いごとじゃないですっ!」
「どうしてです? 本人の了承を得られたのなら、次に得るべきはご両親の了承でしょう? むしろ、一両日中にそこまで話を詰めてきた息子を褒めてあげるべきでは?」
「それはそうなのですが……翠葉ちゃんのご両親のことを思うと少し気の毒な気がして……」
母さんはやけに心配そうな顔をしているけど、その理由がわからなかった。第一、こんなケースは身近にもあるわけで――
「確か、紅子さんは十七で婚約して十八で結婚したって聞いたけど?」
「だからよ……。紅子は高校二年のときに婚約して、卒業と同時に入籍したけれど、斎さんがうちへ挨拶に来たとき、あのお父様でさえ寂しそうだったもの……。それに、うちには娘がふたりいたけれど、翠葉ちゃんのところは女の子ひとりでしょう? さぞ寂しがられるんじゃないかしら」
その言葉に、今朝のふたりを思い出す。
確かに零樹さんは「堪える」と言っていたけど、俺の申し出を断る素振りは一度として見せなかった。むしろ、
「快諾だったと思うけど?」
「え? そうなの……?」
「いつかこんな日が来ると思ってたって……。だから、婚約の日取りも決めてきた。三月十五日に両家顔合わせ的な会食。父さんも母さんも予定空けといて」
母さんは口をぽかんと開け、父さんは読んでいた新聞をテーブルに置き、すぐに予定の確認を始めてくれた。
「その日なら大丈夫だ」
ならばあとは、姉さんと兄さん、静さんの予定を空けてもらえばいい。
一番予定が詰まっていそうなのは静さんだけど、最悪の場合、姉さんさえ出席してくれれば問題はないだろう。
そこまで考えると、俺は次の算段に入る。
婚約は俺が欲した未来の約束。翠が欲するのは――気兼ねなく会える環境、かな。
今年度は問題ないにしても、来年からのことは今から動かないと間に合わない。
毎日会える環境を維持するには――
「俺が二年になって支倉に拠点を移す際、翠が芸大に合格していたら、支倉のマンションで同棲しようと思ってる。そのほうが翠の通学の負担軽減にもなるし、練習時間の確保にもつながる。だから、今年中に支倉の家の一部を特殊防音工事したいんだけど」
正面に座る父さんの目を見て話すと、両目がわずかに細まる。
「……同棲について、私が反対をしないとでも思っているのか?」
「節度ある付き合いをしろ」と言う父さんだからこそ、反対されないなどとは思ってはいない。けれど――
「父さんの言う、『節度ある付き合い』って何を指すの? 肉体関係を持つなってこと? もしそうだとしても、婚約したあとなら不純異性交遊の範囲外だし、俺たちは十八歳以上だ。つまり、そういう意味で言っていたのなら、近いうちにその約束は守れなくなる」
「ならば、どんなハードルを自分に課す?」
どんな――
「まずは翠の同意を得たうえで、御園生の両親の了承を得る」
「なるほど……。現時点ではおまえの身勝手な考えで、御園生さんが同棲を望んでいるかすらわからないということか」
「っ……俺が提案すれば、翠は賛同すると思う」
父さんは鼻で笑い、
「だといいな? それから、あちらのご両親の了承を得るというそれは、必要最低限のハードルだろう?」
どこか楽しそうな声音でたずねられた。
でも、現時点で俺が提示できる条件など高が知れている。
「大学一年次の試験及び成績において、首位以外はとらない。それから、株での収益を上げる。それによって、生活費はすべて自分で賄う」
「それも必要最低限のハードルだと思うが?」
「……今の俺にこれ以上の提案はできないんだけど」
奥歯に力がこもるのを感じながら吐き出すと、
「できるだろう? 一年次などと言わず、六年通して首位をキープ。主席での卒業。もし、一度でも首位を落とそうものならすぐに同棲は解消させる。それから、彼女が学生のうちは絶対に妊娠させるな。それが最低条件だ」
つまり、翠の人生を左右するような間違いは絶対に犯すな、か……。
これは兄さんと義姉さんの件があったからこその条件だろう。
そこは自分も理解しているつもりだし、端からそんな間違いを犯すつもりもない。
「そんな条件でいいならお安い御用なんだけど」
「ならばもうひとつ。初期研修は救命救急に籍を置け」
「姉さんもそうだったし、俺もそのつもりでいたから特に問題ない」
「……この件、御園生さんにはいつ話すつもりだ?」
「今はまだ言うつもりはない。翠が大学に通いだして体調に支障が出てきたタイミングで提案する予定」
翠の祖父母の住所も調べたが、そこから通学するよりも、うちのマンションから通ったほうが近い。利はこっちにある――
父さんはくつくつと笑い、「悪どいな」と吐き捨てた。
「父さんに言われたくないし……。そもそも何事も、自分に事が有利に運ぶように躾けたのは誰だっけ?」
「湊と楓、秋斗だろう?」
よくもまあいけしゃあしゃあと……。じゃあ、その三人を躾けたのは誰なんだって話だろ。
そんな会話をする近くで、母さんはただひとりハラハラしていた。
「母さん、近日中に碧さんから電話があると思う。会食のときの服装を相談したいって言ってた」
母さんは首を傾げながら、
「今回の会食は結納というわけではないのよね?」
「結納は入籍前に改めてすればいいと思ってる」
「そう……。それなら黒留袖である必要はないわね。色留袖くらいでいいかしら……」
「着物では果歩さんが大変なのでは?」
父さんが指摘すると、
「洋装にすると統一感がなくなってしまうので、果歩さんには色留袖をワンピースにリメイクしてあげたらどうでしょう?」
「それでしたら煌がいても大丈夫ですね」
母さんのフォローは父さんに任せればいい。
そう思った俺は、静かにリビングを後にした。