光のもとでⅡ
Side 司 02話
翌日、十時半にゲストルームを訪れると、インターホンに応じることなく翠が玄関を開けてくれた。
白いワンピースを着ている翠を確認すると、
「白い洋服ってこれでよかった?」
翠は不安そうに両手でワンピースのスカートを摘んでみせる。
「問題ない」
っていうか、イメージしていたとおりの服装に、嬉しさがこみ上げてくるほどだった。
そんな自分をひた隠し、置かれていた荷物に手を伸ばす。と、ハープの隣に置かれていたエコバッグに目が留まる。
見た感じ、水筒が三つにペットボトルがひとつ。おそらくペットボトルはミネラルウォーターだと思うが、残る三つの水筒の配分は……?
「どうかした?」
「……なんで水筒が三つもあるの?」
「えぇと、ツカサ用にコーヒーでしょう? 私用にハーブティーでしょう? お弁当食べる用にルイボスティーと、お薬飲む用のミネラルウォーター」
翠はきょとんとした顔で、
「足りないかな? ほかに飲みたいものあった?」
「いや……」
足りないどころか、痒いところにまで手が届く何かだろ……。
それをなんの気なしに用意してくるところが翠なわけだけど、なんかもうすべてが愛おしく思えてしまう。
すぐにでも緩みそうな顔を引き締め、ハープとエコバッグ、弁当が入った手提げ袋を持つと、あとの軽い荷物は翠に任せた。
「昨日何時に寝たの?」
「十一時半にはお布団に入ったんだけど、今日が楽しみすぎてなかなか寝付けなくて困っちゃった」
そう言って笑う翠がかわいすぎた。
「でも、今日晴れてよかったね? 気温もちょうど良くて、絶好のお花見日和!」
言いながら嬉しそうに笑う。
あぁ、今日はずっとこんな顔を見てられるんだろうな。
そう思うと、なんだかものすごく幸せな一日が始まる気がした。
エントランスを出ると、
「今日は涼先生の車じゃないの?」
「今日は平日。父さん仕事だから」
「あ、そっか……」
そこへ高遠さんがやってきて、ハープを引き受けてくれた。
次々と荷物をトランクに載せ後部座席に収まると、藤山へ向けてマンションを出発した。
「今日は元おじい様いらっしゃる?」
「いや、今日は藤原さんを連れて遠方の会社に出向いてる」
「そうなのね……」
翠は途端にしょぼんとしてしまう。
じーさんはいないけど、俺はいるんだけど……。
その不満は我慢できずに口から出ていく。
「何、俺だけじゃ不満なの?」
「そんなことないよっ!? ただ、元おじい様も一緒にお花見できたら楽しいだろうなぁ、って思っただけ」
そもそも、
「今日、一応デートのつもりなんだけど?」
「あ、そうだよね? そうだった……」
その返答もどうかと思うけど、運転している久世さんと助手席の高遠さんの肩が小刻みに震えてるのが見過ごせない。
こっちの会話聞いてるなよ……。
近々仕切りをつけてもらおうか割と真面目に考えながら、
「どうせ、五月になれば藤の会で会うだろ?」
翠は少し困ったような表情で、
「藤を見るのは楽しみなのだけど、藤の会は知らない人がたくさんいるし、突き刺さる視線が苦手なのよね……」
「今年は俺の婚約者として出席するから、去年以上に注目を集めると思う」
しかも、未だ秋兄に求婚されている状態なのだから、去年以上に好機の目で見られることは必須。
それを考えれば出席を強要するのは酷な気がした。
「いやなら出席しなくてもいいけど?」
選択することができることを示唆すると、翠はそっと俺の手に自分の手を重ね、
「ううん、行く。それで、ツカサに来るお見合いの牽制ができるなら、行くよ」
「助かる」
「その代わり、別の日に藤山や大藤棚を見に行きたい」
「なんで?」
「だって、ゆっくりお花見したいもの」
その言い分に思わず笑みが漏れる。
「それなら、藤姫神社を案内する」
翠は首を傾げ、
「フジヒメ、神社……?」
「藤山に神社があるって話しただろ?」
「……あっ――フジヒメってお花の藤にお姫様の姫?」
「そうだけど……?」
「すてきな名前ね? まるで藤のお姫様が祀られているみたい」
「あながち外れてない」
「そうなのっ!?」
翠の食いつきの良さに、また笑みが漏れる。
藤山にまつわる言い伝えを話して聞かせ、年に一度の祭りの話をすると、翠は不思議そうな顔でたずねてきた。
「藤山に、不特定多数の人を招き入れるの……?」
「祭りの前後は学園内に通じる道を封鎖して、警備員を増員して北側の私道のみ解放する」
「そうなのね……」
「今年の祭り、行く?」
「ちょっと興味あるかも……」
「警護が近接警護になるけど、それでよければ行こう」
「うんっ!」
嬉しそうに目を輝かせる翠に、追加情報を与える。
「じーさんちの大藤棚は藤姫神社の御神木から枝を分けてもらったものなんだ」
「じゃ、あれよりも立派な木なの?」
「『立派』の種類が異なるかな……。じーさんちの藤棚は『藤棚』として立派な部類だけど、御神木は『野性味溢れる』って言葉がしっくりくる感じ」
「楽しみっ!」
翠はにこにこしながら話を聞いている。その顔をもっと見ていたくて、
「あと、御神木の近くには水源があって、藤姫の涙とも言われてる」
「水源まであるのっ!?」
驚きの声をあげた翠ははっとした顔で、
「もしかして、高校の池に流れ込んでる小川って――」
「当たり。神社の泉から流れる清流」
「すごく透明度が高いとは思っていたけれど、人口の川じゃなかったのね……」
俺は頷くことで肯定し、翠が興味を持ちそうな話題を底をさらう勢いで探す。
「小さな神社だけど、神楽殿もある。祭りのときには藤の精に扮した女が舞いを奉納する。去年までは姉さんが舞ってたけど、結婚したから去年でお役御免。今年は分家筋の人間が舞うって言ってたかな」
翠は残念そうに、「湊先生の舞い、見てみたかったなぁ」と零す。
その反応は想定済み。
「実家にDVDがあるけど、今度見せようか? たぶん、初等部のころからつい最近のものまで全部あると思う」
翠は嬉しそうに「ぜひっ!」と答えた。
藤山に着いて車を降りると、荷物を取りに車の背後に回った翠が、
「これはツカサの荷物?」
首を傾げてトランクの一角に積まれていた荷物を指差す。
「そう」
「この枠組みみたいなのは何? それに、ずいぶんと大きなバッグだけど、中には何が入っているの?」
「あとでわかる」
それだけ答えて翠のハープを肩にかけると、高遠さんたちも荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
春ルートを進むと先に満開の桜が見えてくる。すると、
「わぁっ、きれいっ! 満開っ!」
驚くことに翠が駆け出した。
反射的に走り出した翠の手首を掴み制する。
気分はいきなり走り出す子どもを捕獲する親。
子どもを持つ親ってこんな気分なんだろうな、と思いながら、
「走るなって何度言わせたら気が済む?」
泣く子も黙る笑顔を湛えている自覚は十二分にあった。
それでも翠は、
「だって、すっごくきれいなんだもの! 先に桜が咲いていたら走りたくもなるでしょう?」
それで正当性を訴えているつもりなのか……。
俺は自分を落ち着けるために息を吐き出し、
「百歩譲って走り出したくなる気持ちは認める。でも、翠が走れるかどうかは別問題だと思うんだけど」
翠は途端にむくれた。
「手術したのだから、走れるようになってもいいと思うの」
「無理言うな」
しかし翠はまだ納得ができないようで、気を許したらまた走り出しそうな雰囲気に、俺は手を掴んだまま懇々と、翠の心臓機能にまつわる話を解いて聞かせた。
けれど、翠の意識は桜に掻っ攫われたまま。
今は何を言っても無駄だな、そう思うと同時、昨夜ハナと訪れた原っぱに着いた。
荷物を置くと、
「私どもは庵前にて待機しております。お帰りになられる際にはお迎えに上がりますので、ご連絡ください」
そう言って高遠さんと久世さんは来た道を戻っていった。
白いワンピースを着ている翠を確認すると、
「白い洋服ってこれでよかった?」
翠は不安そうに両手でワンピースのスカートを摘んでみせる。
「問題ない」
っていうか、イメージしていたとおりの服装に、嬉しさがこみ上げてくるほどだった。
そんな自分をひた隠し、置かれていた荷物に手を伸ばす。と、ハープの隣に置かれていたエコバッグに目が留まる。
見た感じ、水筒が三つにペットボトルがひとつ。おそらくペットボトルはミネラルウォーターだと思うが、残る三つの水筒の配分は……?
「どうかした?」
「……なんで水筒が三つもあるの?」
「えぇと、ツカサ用にコーヒーでしょう? 私用にハーブティーでしょう? お弁当食べる用にルイボスティーと、お薬飲む用のミネラルウォーター」
翠はきょとんとした顔で、
「足りないかな? ほかに飲みたいものあった?」
「いや……」
足りないどころか、痒いところにまで手が届く何かだろ……。
それをなんの気なしに用意してくるところが翠なわけだけど、なんかもうすべてが愛おしく思えてしまう。
すぐにでも緩みそうな顔を引き締め、ハープとエコバッグ、弁当が入った手提げ袋を持つと、あとの軽い荷物は翠に任せた。
「昨日何時に寝たの?」
「十一時半にはお布団に入ったんだけど、今日が楽しみすぎてなかなか寝付けなくて困っちゃった」
そう言って笑う翠がかわいすぎた。
「でも、今日晴れてよかったね? 気温もちょうど良くて、絶好のお花見日和!」
言いながら嬉しそうに笑う。
あぁ、今日はずっとこんな顔を見てられるんだろうな。
そう思うと、なんだかものすごく幸せな一日が始まる気がした。
エントランスを出ると、
「今日は涼先生の車じゃないの?」
「今日は平日。父さん仕事だから」
「あ、そっか……」
そこへ高遠さんがやってきて、ハープを引き受けてくれた。
次々と荷物をトランクに載せ後部座席に収まると、藤山へ向けてマンションを出発した。
「今日は元おじい様いらっしゃる?」
「いや、今日は藤原さんを連れて遠方の会社に出向いてる」
「そうなのね……」
翠は途端にしょぼんとしてしまう。
じーさんはいないけど、俺はいるんだけど……。
その不満は我慢できずに口から出ていく。
「何、俺だけじゃ不満なの?」
「そんなことないよっ!? ただ、元おじい様も一緒にお花見できたら楽しいだろうなぁ、って思っただけ」
そもそも、
「今日、一応デートのつもりなんだけど?」
「あ、そうだよね? そうだった……」
その返答もどうかと思うけど、運転している久世さんと助手席の高遠さんの肩が小刻みに震えてるのが見過ごせない。
こっちの会話聞いてるなよ……。
近々仕切りをつけてもらおうか割と真面目に考えながら、
「どうせ、五月になれば藤の会で会うだろ?」
翠は少し困ったような表情で、
「藤を見るのは楽しみなのだけど、藤の会は知らない人がたくさんいるし、突き刺さる視線が苦手なのよね……」
「今年は俺の婚約者として出席するから、去年以上に注目を集めると思う」
しかも、未だ秋兄に求婚されている状態なのだから、去年以上に好機の目で見られることは必須。
それを考えれば出席を強要するのは酷な気がした。
「いやなら出席しなくてもいいけど?」
選択することができることを示唆すると、翠はそっと俺の手に自分の手を重ね、
「ううん、行く。それで、ツカサに来るお見合いの牽制ができるなら、行くよ」
「助かる」
「その代わり、別の日に藤山や大藤棚を見に行きたい」
「なんで?」
「だって、ゆっくりお花見したいもの」
その言い分に思わず笑みが漏れる。
「それなら、藤姫神社を案内する」
翠は首を傾げ、
「フジヒメ、神社……?」
「藤山に神社があるって話しただろ?」
「……あっ――フジヒメってお花の藤にお姫様の姫?」
「そうだけど……?」
「すてきな名前ね? まるで藤のお姫様が祀られているみたい」
「あながち外れてない」
「そうなのっ!?」
翠の食いつきの良さに、また笑みが漏れる。
藤山にまつわる言い伝えを話して聞かせ、年に一度の祭りの話をすると、翠は不思議そうな顔でたずねてきた。
「藤山に、不特定多数の人を招き入れるの……?」
「祭りの前後は学園内に通じる道を封鎖して、警備員を増員して北側の私道のみ解放する」
「そうなのね……」
「今年の祭り、行く?」
「ちょっと興味あるかも……」
「警護が近接警護になるけど、それでよければ行こう」
「うんっ!」
嬉しそうに目を輝かせる翠に、追加情報を与える。
「じーさんちの大藤棚は藤姫神社の御神木から枝を分けてもらったものなんだ」
「じゃ、あれよりも立派な木なの?」
「『立派』の種類が異なるかな……。じーさんちの藤棚は『藤棚』として立派な部類だけど、御神木は『野性味溢れる』って言葉がしっくりくる感じ」
「楽しみっ!」
翠はにこにこしながら話を聞いている。その顔をもっと見ていたくて、
「あと、御神木の近くには水源があって、藤姫の涙とも言われてる」
「水源まであるのっ!?」
驚きの声をあげた翠ははっとした顔で、
「もしかして、高校の池に流れ込んでる小川って――」
「当たり。神社の泉から流れる清流」
「すごく透明度が高いとは思っていたけれど、人口の川じゃなかったのね……」
俺は頷くことで肯定し、翠が興味を持ちそうな話題を底をさらう勢いで探す。
「小さな神社だけど、神楽殿もある。祭りのときには藤の精に扮した女が舞いを奉納する。去年までは姉さんが舞ってたけど、結婚したから去年でお役御免。今年は分家筋の人間が舞うって言ってたかな」
翠は残念そうに、「湊先生の舞い、見てみたかったなぁ」と零す。
その反応は想定済み。
「実家にDVDがあるけど、今度見せようか? たぶん、初等部のころからつい最近のものまで全部あると思う」
翠は嬉しそうに「ぜひっ!」と答えた。
藤山に着いて車を降りると、荷物を取りに車の背後に回った翠が、
「これはツカサの荷物?」
首を傾げてトランクの一角に積まれていた荷物を指差す。
「そう」
「この枠組みみたいなのは何? それに、ずいぶんと大きなバッグだけど、中には何が入っているの?」
「あとでわかる」
それだけ答えて翠のハープを肩にかけると、高遠さんたちも荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
春ルートを進むと先に満開の桜が見えてくる。すると、
「わぁっ、きれいっ! 満開っ!」
驚くことに翠が駆け出した。
反射的に走り出した翠の手首を掴み制する。
気分はいきなり走り出す子どもを捕獲する親。
子どもを持つ親ってこんな気分なんだろうな、と思いながら、
「走るなって何度言わせたら気が済む?」
泣く子も黙る笑顔を湛えている自覚は十二分にあった。
それでも翠は、
「だって、すっごくきれいなんだもの! 先に桜が咲いていたら走りたくもなるでしょう?」
それで正当性を訴えているつもりなのか……。
俺は自分を落ち着けるために息を吐き出し、
「百歩譲って走り出したくなる気持ちは認める。でも、翠が走れるかどうかは別問題だと思うんだけど」
翠は途端にむくれた。
「手術したのだから、走れるようになってもいいと思うの」
「無理言うな」
しかし翠はまだ納得ができないようで、気を許したらまた走り出しそうな雰囲気に、俺は手を掴んだまま懇々と、翠の心臓機能にまつわる話を解いて聞かせた。
けれど、翠の意識は桜に掻っ攫われたまま。
今は何を言っても無駄だな、そう思うと同時、昨夜ハナと訪れた原っぱに着いた。
荷物を置くと、
「私どもは庵前にて待機しております。お帰りになられる際にはお迎えに上がりますので、ご連絡ください」
そう言って高遠さんと久世さんは来た道を戻っていった。