run and hide
1、気持ちを手放した


 ドアベルがちりんと涼しい音を立てた。


 私は7センチヒールの足を踏み出して、笑顔を貼り付ける。

 薄暗いバーの中は待ち合わせ相手とバーテンダーしかいなかった。

 馴染みのバーテンダーが軽く会釈を送ってくれるのに頷いて、私は正輝の隣に滑り込んだ。

「・・・・お待たせ」

 ぼーっと前の壁にかけられたメニューの小さな黒板を見ていた正輝が、ゆっくりと顔を向けた。

「・・・おお、遅かったな。残業?」

 片肘をカウンターについていたのをおろして、体ごと隣の私へむけ、やっと笑顔らしきものを作った。

 違う、残業なんかじゃないってーの。私は心の中でそう呟いたけど、声に出しては別のことを言った。バーテンダーに向けて。

「ジン・トニックください」

 ここでの最初の一杯はジン・トニックと決めている。私好みのゴードンのジンを使ってくれるし、マスターの配分は申し分なくてパーフェクトなカクテルだ。

 ちらりと見ると、正輝はカシス・マンを飲んでいるようだった。

 そんなにアルコールには強くないのに、いきなりそれか・・・・。

 こりゃ相当凹んでると見た。

 マスターが照明を浴びてキラキラと光るジン・トニックを置いてくれる。

 私はお礼を言って微笑むと、早速それを口に含む。

 微炭酸が心地よい。甘酸っぱい爽やかな味が広がって、私は満足の吐息を漏らす。

 ・・・素晴らしい。今日も完璧なカクテルだ!


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