冷たい上司の温め方
女はトイレで余計な話をするって、よくわかっているわ、楠さん。
総務の葛谷さんの時と同じだ。
「今日は何階をご希望でしょう……」
私が楠さんに尋ねると、メガネのフレームを少しだけ持ち上げた彼は、「何階でも何度でも行って来い」とつぶやいた。
『何階でも何度でも』って……。
これじゃあまるでスパイだ。
私が人事に所属していることなんて、まだあまり知られてはいない。
色々な課に顔は出すけど、おそらく"あの人誰だっけ?"という程度の認識しかないだろう。
それは好都合だけど、スパイというのはなんとなく気がひける。
だけど、他になにかできるわけでもない私は、トイレを網羅するつもりで人事を飛び出した。
とはいえ、何階か回ってみたものの、タイミングよく欲しい情報が得られるなんて、なかなかあることじゃない。