冷たい上司の温め方
立ち上がって「帰ります」と言えばいいのに、それができない。
彼に抱き寄せられた温もりを、忘れようとしても忘れられない。
「麻田」
先に口を開いたのは楠さんだった。
「……はい」
隣に座る楠さんのほうへゆっくり顔を向けると、視線が絡まる。
ドクンと心臓が跳ねた。
彼の顔が近づいてきたからだ。
楠さんの瞳に、自分の顔が映っている。
私を、見てくれている――。
やがて彼は私の顎に手をかけた。
「美帆乃」
楠さんは今まで聞いたことのないような優しい声で私を呼んだ。
私の名前を、憶えていてくれたんだ。
勝手に涙がこぼれた。
彼に名前を呼んでもらえただけで、感情が高ぶってしまったのだ。
やがて彼の手が私の顎を持ちあげると、私は目を閉じた。