魔女の嫁入り
❀ⅰ
「姉上―姉上―」
るん るん るん
「リエナ姉上、どちらにいらっしゃるのですか」
秀麗な顔立ちをした少年が、王宮の中庭に出ると、そこで探し人は髪を結ってもらいながら、ここエリオプバーグの民謡を歌っていた。
「愛しき人が為、この瞳は太陽の如く瞬く。愛しき人が為、この長い髪は星屑のように輝く。愛しき人が為、この両の手は花を咲かす」
「姉上!」
その声に彼女は、亜麻色の長い髪に花を埋め込ませ編んだものを、地に侍らして声の方へ微笑んだ。
「あらアルベルト。もうそんな時間なの?」
アルベルトは半ば呆れながらも言った。
「もうシュヴェルトウの使者はやってきていますよ。その上姫はご成婚がお嫌になったのかと嫌みまで」
ふうと息をついてから、彼は突然にこんな事を口にした。
「姉上、本当にあんな所へ嫁ぐおつもりですか?」
王宮へと続く道すがら、リエナ姫のかたわらで歩を進める王太子アルベルトが苦い顔をする。
「おお! 姫可哀想に!」
その反応は父王も同じだった。エリオプバーグ王国第4王女リエナはこのたび、敵国であるシュヴェルトウ帝国に、人質のようにして婚姻の儀に臨むのだ。
侍女のハンカチで父王は涙を拭うと、リエナの美しい髪とその顔の稜線を、幾度も幾度もなぞった。
「ああ! この亜麻色の美しい長い髪! シーゲル海を臨むような青い瞳! 高い鼻梁、紅い唇! こんなに美しい姫はよそにはいないのに、よりにもよってあの帝国に奪われねばならんとは!」
「王、隣の間にはシュヴェルトウの使者がおりますゆえ……」
従官が諌めにかかっても、王の涙は枯れ果てる事がない。
王の伸ばす手から引き剥がされ、姫がシュヴェルトウの豪奢な馬車に乗せられた時、王太子アルベルトはその耳にひそと囁いた。
「でも姉上、きっとすぐにあの男の下から帰って来られるようにしてあげる。きっと、きっとですよ」
「何ですって?」
リエナがぴくりと眉根を寄せたが、この藍色の髪の美しい少年は、にやと口角を上げたまま何も言わなかった。馬車のドアが閉じられる。エリオプバーグ衛兵達のけたたましいラッパの音が鳴り響く。
姫は侍女2人とカード遊びに興じていながらも、
(私が嫁ぐ方はどんな方かしら。私の花束を受け取ってくれるかしら。ミカエラという天使の名を冠している方、お優しい人だったらいいなあ)
そんな事を懸想していた。
「焼き鏝の上、車裂きだ」
「ひっ」
玉座より下されたその言葉に、近衛兵と貴婦人の2人は身を震わせておそるおそる天上の尊顔を見ようとした。だがそれもかなわなかった。すぐに控えていた従官が飛び出てきて、2人をきつく縄にすえた。2人はこれからこの身に走るだろう激痛と恐怖に双方顔をくちゃくちゃにして、必死にご慈悲をと叫んだ。
「お願いします陛下! この女から誘ってきたのです! 私は決して陛下の寵姫に手を出そうなどと!」
「どの口が言うの! この男が私を無理やり! 陛下っ陛下―!!」
ひったてられ、2人の悲鳴はやがて遠くなった。従官も去り、2人きりになった玉座の間で、王弟マルコシアスがそっと、白い玉座に腰かける帝王へと声をかける。
「相変わらずお優しさのおの字も見せないのですね。あなたは」
王は撫然として言い放つ。
「あいつらは俺の目を盗み逢引を重ね、さらにはそこで出来た子供を俺の子として第一皇子の位につけようとした。このくらいの沙汰がなければとの女帝からの仰せだ」
「ああ、あの方からの言いつけでしたか。ならば仕方ありますまい」
マルコシアスはふっと微笑み、
「後7日で花嫁が到着しますよ。ミカエラ兄様」
と告げた。
シュヴェルトウ帝国皇帝ミカエラとその弟マルコシアス、2人について侍女達が密かに口を交わすのは、その並はずれた容姿の美しさについてだった。
「ねえ、さっきの焼き鏝を命じたミカエラ様の凍える程の美しさを見た? 雪の刷毛で塗ったような真っ白なお肌。深紅の長髪が肩までかかって、涼しい御目元がきらりと光って。ああ、あの方が手の届かぬ皇帝ではなく悪魔だったら、この魂と引き換えに一晩の伽を願うのに!」
「あら馬鹿ねえ。宰相を務められるマルコシアス様のお優しそうな美しさこそ至高だわ! あの艶やかな栗色の御髪に鳶色の瞳! いつも微笑を絶えず浮かべていて、陛下とは大違いだわ!」
そこでリネンを畳んでいた1人の侍女も混ざってきた。
「でもその皇帝陛下も女帝と言われるマリア様には逆らえないというじゃありませんか」
「しっ。それが聞こえたら首が飛びますよ。この強大な国の全てはあの方が牛耳っていらっしゃるし、諸国城内あちこちに諜報部隊を放っているといいますからね。侍女の首くらい簡単に吹っ飛ばされますよ!」
シュヴェルトウ帝国は今や大陸全土を飲みこもうとする強大な帝国である。それを治めているのは現皇帝ミカエラ、ではなく彼を裏から操るその実母マリアだ。マリアは次に南海に面した小国エリオプバーグ獲得に興味を示している。
その彼女に今皇帝と宰相の2人は呼び立てられ、並んで宮殿奥のベルゼル宮へと歩みを進めている。
「義母上からの急なお呼び立て、一体どんなお話でしょうか」
「さてな、まあ、あまり詮索せん事だ」
ミカエラは弟を軽くいなして、真の玉座の間へ向かった。
一週間後、シュヴェルトウ帝国の都エルメールに、エリオプバーグから花嫁が届いた。初めて彼女が玉座の間に姿を現し、そのベールを取った時、宮殿の誰もが息を呑んだ。その眩い亜麻色の髪は、エリオプバーグ原産の真珠によって彩られて高く結いあげられ、その小麦色の肌に、対比するような純白のドレスがよく映えた。足元はシュヴェルトウの職人が作ったガラスの靴が瞬き、手の先指の股まで清潔そうである。
「なんと美しい!」
従官も侍女も皆が「陛下は幸せ者です」という眼差しを送った。しかし、玉座に腰かけるミカエラはひどく不快そうな顔をしていた。マルコシアスも困ったように目線をそらす。
と、遅れて玉座の裏より女帝マリア・シュエルトゥアが現れた。普段ベルゼル宮から一歩も出ぬこの女帝に、皆は再び息を呑んだ。彼女はもう40をとうに越えるというのに、その銀の髪の豊かさ、形のよい唇の紅さ、そして峻烈な眼差しは、20でこの国に嫁いできた頃より何一つも変わらなかった。髪の色と同じ銀のサテンドレスの裾をあしらいながら、女帝は姫の前に降り立つ。
「貴女が、リエナ様、ですわね」
「え、ええ」
その蛇のような眼差しに、リエナは内心どぎまぎしながら、
「ごきげんようお義母様。エリオプバーグから参りましたリエナと申します。知らない事ばかりでお役に立てるか分かりませんが、精いっぱいこの国の為につとめたいと思いますわ」
そう言って、義母と夫ミカエラの方を見る。リエナの心は落胆に沈んだ。義母はこれに冷笑するだけで、夫は渋面しきりだったからである。
「では、おやすみなさいませ」
形ばかりの華燭の儀が終わり、燭台の火が消され、その日リエナは初夜を迎えた。赤いチェアーに腰かけながら、リエナは格子窓よりさし込む月光に身を浸していた。月光に照り映える刺繍入りのネグリジェは、着心地も悪くなく、彼女の豊かな身体の線に川のような影を落としていた。
(私、ついに旦那様と一緒になる事になったけれど、初夜って何をすればいいのかしら。エリオプバーグの時は、誰に訊いても笑われてばかりだったわ)
バタン
そこでドアが開き、夫のミカエラが寝着姿で寝室に入ってきた。
「あ!ミ、ミカエラ様」
「何だ」
夫の冷たい眼差しに、リエナは恐縮してしまう。
「あ、その、初夜の前に、2人で何かお話が出来ればと……」
「そんなものは必要ない」
「そ、そうですか……きゃっ」
しょんぼりするリエナの腕を掴み、立ちあがらせ、次の瞬間にはベッドに押し倒した。ミカエラはリエナの美しい顔に、深い口づけを埋め込もうとする。
しかし――。
「何故泣いている?」
「え?」
リエナは思わず頬に手をやった。確かに自分は涙を流している。
「ごっごめんなさい私……急な事で、どうしたらよいか……」
「ふん。そんなに俺が嫌なのだな」
ミカエラの冷たい物言いに、リエナは焦って首を振る。
「いえ! でも、初夜の前に少し、私の好きな花の話など出来ればと……」
「何だと?」
ミカエラはリエナより身体を起こし、立ちあがって、ぎろりと彼女を睨んだ。
「お前のように満足に伽も出来ぬ女は俺には必要ない。ましてや花など俺は大嫌いだ! 出ていけ!」
「えっあっそんな……」
リエナは必死に目で懇願したが、冷血王ミカエラに通用するはずがない。彼女は「申し訳ありませんでした……」と涙ながらに部屋を出ていった。姫を追い出した後、ミカエラはワインをあおりながら思い返していた。リエナの泣き顔と、母の厳めしくも恐ろしい表情を。
「それはまことにございますか、母上」
遡る事一週間前、ベルゼル宮奥の居室に通されたミカエラとマルコシアスの2人は、その部屋の主女帝マリアからとんでもない話を聞かされていた。
「間違いありません。私の直属の諜報部隊はがせなど掴みませんから」
女帝はミントティを含みながら悠然と、チェスをするような目つきで話し続ける。
「エリオプバーグは北方のアンデル王国と組んで我がシュヴェルトウを挟みうちにするつもりだとの報告です」
「では」
今まで黙りこくっていたミカエラが漸く口を切る。
「エリオプバーグよりやってくる姫はいかにします」
「何か言い訳でもつけて殺しなさい。出来れば見せしめの為に一番むごい方法で」
ミカエラはベッドでまどろみながら、今まで絶対服従を誓ってきた母の言葉を思い出す。
「この情報が漏れた事はあちら側も勘づいているでしょう。おそらくひと月以内に戦闘が始まります。その間せいぜい慰み者にするか、何にしろ心を移さない事です。どうせ彼女は後ひと月の命なのですから」
(心を移さぬよう……か)
あの月光に照らしだされた美しい泣き顔に、ミカエラはなぜか歯がゆい気持ちになった。
るん るん るん
「リエナ姉上、どちらにいらっしゃるのですか」
秀麗な顔立ちをした少年が、王宮の中庭に出ると、そこで探し人は髪を結ってもらいながら、ここエリオプバーグの民謡を歌っていた。
「愛しき人が為、この瞳は太陽の如く瞬く。愛しき人が為、この長い髪は星屑のように輝く。愛しき人が為、この両の手は花を咲かす」
「姉上!」
その声に彼女は、亜麻色の長い髪に花を埋め込ませ編んだものを、地に侍らして声の方へ微笑んだ。
「あらアルベルト。もうそんな時間なの?」
アルベルトは半ば呆れながらも言った。
「もうシュヴェルトウの使者はやってきていますよ。その上姫はご成婚がお嫌になったのかと嫌みまで」
ふうと息をついてから、彼は突然にこんな事を口にした。
「姉上、本当にあんな所へ嫁ぐおつもりですか?」
王宮へと続く道すがら、リエナ姫のかたわらで歩を進める王太子アルベルトが苦い顔をする。
「おお! 姫可哀想に!」
その反応は父王も同じだった。エリオプバーグ王国第4王女リエナはこのたび、敵国であるシュヴェルトウ帝国に、人質のようにして婚姻の儀に臨むのだ。
侍女のハンカチで父王は涙を拭うと、リエナの美しい髪とその顔の稜線を、幾度も幾度もなぞった。
「ああ! この亜麻色の美しい長い髪! シーゲル海を臨むような青い瞳! 高い鼻梁、紅い唇! こんなに美しい姫はよそにはいないのに、よりにもよってあの帝国に奪われねばならんとは!」
「王、隣の間にはシュヴェルトウの使者がおりますゆえ……」
従官が諌めにかかっても、王の涙は枯れ果てる事がない。
王の伸ばす手から引き剥がされ、姫がシュヴェルトウの豪奢な馬車に乗せられた時、王太子アルベルトはその耳にひそと囁いた。
「でも姉上、きっとすぐにあの男の下から帰って来られるようにしてあげる。きっと、きっとですよ」
「何ですって?」
リエナがぴくりと眉根を寄せたが、この藍色の髪の美しい少年は、にやと口角を上げたまま何も言わなかった。馬車のドアが閉じられる。エリオプバーグ衛兵達のけたたましいラッパの音が鳴り響く。
姫は侍女2人とカード遊びに興じていながらも、
(私が嫁ぐ方はどんな方かしら。私の花束を受け取ってくれるかしら。ミカエラという天使の名を冠している方、お優しい人だったらいいなあ)
そんな事を懸想していた。
「焼き鏝の上、車裂きだ」
「ひっ」
玉座より下されたその言葉に、近衛兵と貴婦人の2人は身を震わせておそるおそる天上の尊顔を見ようとした。だがそれもかなわなかった。すぐに控えていた従官が飛び出てきて、2人をきつく縄にすえた。2人はこれからこの身に走るだろう激痛と恐怖に双方顔をくちゃくちゃにして、必死にご慈悲をと叫んだ。
「お願いします陛下! この女から誘ってきたのです! 私は決して陛下の寵姫に手を出そうなどと!」
「どの口が言うの! この男が私を無理やり! 陛下っ陛下―!!」
ひったてられ、2人の悲鳴はやがて遠くなった。従官も去り、2人きりになった玉座の間で、王弟マルコシアスがそっと、白い玉座に腰かける帝王へと声をかける。
「相変わらずお優しさのおの字も見せないのですね。あなたは」
王は撫然として言い放つ。
「あいつらは俺の目を盗み逢引を重ね、さらにはそこで出来た子供を俺の子として第一皇子の位につけようとした。このくらいの沙汰がなければとの女帝からの仰せだ」
「ああ、あの方からの言いつけでしたか。ならば仕方ありますまい」
マルコシアスはふっと微笑み、
「後7日で花嫁が到着しますよ。ミカエラ兄様」
と告げた。
シュヴェルトウ帝国皇帝ミカエラとその弟マルコシアス、2人について侍女達が密かに口を交わすのは、その並はずれた容姿の美しさについてだった。
「ねえ、さっきの焼き鏝を命じたミカエラ様の凍える程の美しさを見た? 雪の刷毛で塗ったような真っ白なお肌。深紅の長髪が肩までかかって、涼しい御目元がきらりと光って。ああ、あの方が手の届かぬ皇帝ではなく悪魔だったら、この魂と引き換えに一晩の伽を願うのに!」
「あら馬鹿ねえ。宰相を務められるマルコシアス様のお優しそうな美しさこそ至高だわ! あの艶やかな栗色の御髪に鳶色の瞳! いつも微笑を絶えず浮かべていて、陛下とは大違いだわ!」
そこでリネンを畳んでいた1人の侍女も混ざってきた。
「でもその皇帝陛下も女帝と言われるマリア様には逆らえないというじゃありませんか」
「しっ。それが聞こえたら首が飛びますよ。この強大な国の全てはあの方が牛耳っていらっしゃるし、諸国城内あちこちに諜報部隊を放っているといいますからね。侍女の首くらい簡単に吹っ飛ばされますよ!」
シュヴェルトウ帝国は今や大陸全土を飲みこもうとする強大な帝国である。それを治めているのは現皇帝ミカエラ、ではなく彼を裏から操るその実母マリアだ。マリアは次に南海に面した小国エリオプバーグ獲得に興味を示している。
その彼女に今皇帝と宰相の2人は呼び立てられ、並んで宮殿奥のベルゼル宮へと歩みを進めている。
「義母上からの急なお呼び立て、一体どんなお話でしょうか」
「さてな、まあ、あまり詮索せん事だ」
ミカエラは弟を軽くいなして、真の玉座の間へ向かった。
一週間後、シュヴェルトウ帝国の都エルメールに、エリオプバーグから花嫁が届いた。初めて彼女が玉座の間に姿を現し、そのベールを取った時、宮殿の誰もが息を呑んだ。その眩い亜麻色の髪は、エリオプバーグ原産の真珠によって彩られて高く結いあげられ、その小麦色の肌に、対比するような純白のドレスがよく映えた。足元はシュヴェルトウの職人が作ったガラスの靴が瞬き、手の先指の股まで清潔そうである。
「なんと美しい!」
従官も侍女も皆が「陛下は幸せ者です」という眼差しを送った。しかし、玉座に腰かけるミカエラはひどく不快そうな顔をしていた。マルコシアスも困ったように目線をそらす。
と、遅れて玉座の裏より女帝マリア・シュエルトゥアが現れた。普段ベルゼル宮から一歩も出ぬこの女帝に、皆は再び息を呑んだ。彼女はもう40をとうに越えるというのに、その銀の髪の豊かさ、形のよい唇の紅さ、そして峻烈な眼差しは、20でこの国に嫁いできた頃より何一つも変わらなかった。髪の色と同じ銀のサテンドレスの裾をあしらいながら、女帝は姫の前に降り立つ。
「貴女が、リエナ様、ですわね」
「え、ええ」
その蛇のような眼差しに、リエナは内心どぎまぎしながら、
「ごきげんようお義母様。エリオプバーグから参りましたリエナと申します。知らない事ばかりでお役に立てるか分かりませんが、精いっぱいこの国の為につとめたいと思いますわ」
そう言って、義母と夫ミカエラの方を見る。リエナの心は落胆に沈んだ。義母はこれに冷笑するだけで、夫は渋面しきりだったからである。
「では、おやすみなさいませ」
形ばかりの華燭の儀が終わり、燭台の火が消され、その日リエナは初夜を迎えた。赤いチェアーに腰かけながら、リエナは格子窓よりさし込む月光に身を浸していた。月光に照り映える刺繍入りのネグリジェは、着心地も悪くなく、彼女の豊かな身体の線に川のような影を落としていた。
(私、ついに旦那様と一緒になる事になったけれど、初夜って何をすればいいのかしら。エリオプバーグの時は、誰に訊いても笑われてばかりだったわ)
バタン
そこでドアが開き、夫のミカエラが寝着姿で寝室に入ってきた。
「あ!ミ、ミカエラ様」
「何だ」
夫の冷たい眼差しに、リエナは恐縮してしまう。
「あ、その、初夜の前に、2人で何かお話が出来ればと……」
「そんなものは必要ない」
「そ、そうですか……きゃっ」
しょんぼりするリエナの腕を掴み、立ちあがらせ、次の瞬間にはベッドに押し倒した。ミカエラはリエナの美しい顔に、深い口づけを埋め込もうとする。
しかし――。
「何故泣いている?」
「え?」
リエナは思わず頬に手をやった。確かに自分は涙を流している。
「ごっごめんなさい私……急な事で、どうしたらよいか……」
「ふん。そんなに俺が嫌なのだな」
ミカエラの冷たい物言いに、リエナは焦って首を振る。
「いえ! でも、初夜の前に少し、私の好きな花の話など出来ればと……」
「何だと?」
ミカエラはリエナより身体を起こし、立ちあがって、ぎろりと彼女を睨んだ。
「お前のように満足に伽も出来ぬ女は俺には必要ない。ましてや花など俺は大嫌いだ! 出ていけ!」
「えっあっそんな……」
リエナは必死に目で懇願したが、冷血王ミカエラに通用するはずがない。彼女は「申し訳ありませんでした……」と涙ながらに部屋を出ていった。姫を追い出した後、ミカエラはワインをあおりながら思い返していた。リエナの泣き顔と、母の厳めしくも恐ろしい表情を。
「それはまことにございますか、母上」
遡る事一週間前、ベルゼル宮奥の居室に通されたミカエラとマルコシアスの2人は、その部屋の主女帝マリアからとんでもない話を聞かされていた。
「間違いありません。私の直属の諜報部隊はがせなど掴みませんから」
女帝はミントティを含みながら悠然と、チェスをするような目つきで話し続ける。
「エリオプバーグは北方のアンデル王国と組んで我がシュヴェルトウを挟みうちにするつもりだとの報告です」
「では」
今まで黙りこくっていたミカエラが漸く口を切る。
「エリオプバーグよりやってくる姫はいかにします」
「何か言い訳でもつけて殺しなさい。出来れば見せしめの為に一番むごい方法で」
ミカエラはベッドでまどろみながら、今まで絶対服従を誓ってきた母の言葉を思い出す。
「この情報が漏れた事はあちら側も勘づいているでしょう。おそらくひと月以内に戦闘が始まります。その間せいぜい慰み者にするか、何にしろ心を移さない事です。どうせ彼女は後ひと月の命なのですから」
(心を移さぬよう……か)
あの月光に照らしだされた美しい泣き顔に、ミカエラはなぜか歯がゆい気持ちになった。