もしも透き通れば


 通勤鞄を握り締めている。その手には何の装飾品もない。

 別れたときより痩せた肩を見る。前よりも柔らかくなった雰囲気と、変わらない彼女の香りが胸の中に染み込んで来る。

 次にもし彼女に会うことがあれば、自分がどうするだろうと考えたことがあった。怒る?無視する?それとも、ちゃんと笑えるだろうか、と。

 現実にそれが起こったら、俺はただ、突っ立って眺めているだけだった。

 急に緊張して口の中が乾いた。空咳をしたいのを飲み込んで、苦労して口を開いた。

「・・・・良かったら」

 パッと彼女が顔を上げた。

「俺とご飯、行きませんか」

 噛んでいた唇を離す。微笑から、悲しい気配が消えた。

「・・・嬉しい。私、お腹ぺこぺこなんです」

 大きく笑った。彼女のバックで夕焼けが空を覆っていた。それをもろに浴びて、俺は眩しさに目を細める。

 彼女の心が見えたなら、もしも、透き通って見えたなら。

 今は、この夕日みたいに綺麗なオレンジなのかな。

 それとも彼女の好きなチューリップのような赤。

 見たいな、それが。見れたらいいのにな。心の中が、何色なのか。

 ぎこちなく並ぶ。だけど歩き出したら、付いてきた。

 あのテンポとヒール音で。彼女がいなくなってから、夢の中で聞こえたあの音を立てて。


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