ハンナの足跡
 仕事からの帰り道、ふと、ジムに顔を出したくなったので、寄り道をした。いつも通る道とは別の道を通ってみた。僕は子供みたいにドキドキした。何か見つけられそうな気がして、歩いてはみたものの、何も見つからなかった。それでも僕は満足していた。
 ジムに着くと、あいかわらず西島は熱心に練習していた。その日は、スパーリング中で、前に会ったときのようにすぐ話すことは出来なかった。軽く挨拶を済ませて、西島の姿を、遠巻きに眺めていた。皮の弾ける音に合わせて、汗が光って飛び散った。大事な試合が近いせいか、程よく緊張した雰囲気だ。
「いい目してんね、西島くん。」
一先ず休憩に入った西島に声を掛けると、西島は息を弾ませながら、いつものようにニヤッとして、僕の隣に座った。西島の目は切れ長で、試合のときは目の奥から猛獣のような輝きを放つが、気の置けない仲間と接するときは、子供みたいな目をして笑う。僕には出来ない芸当だ。西島が女にもてるのも、一度会えば納得してしまうだろう。
「先輩、どうすか、仕事。」
「どうって、相変わらずだよ。命までは取られないようにと祈る日々かな。」
「あはは、らしくないっすねえ、先輩。昔、いつ死んだって俺はどうってことないみたいなこと、よく言ってませんでしたっけ。」
「そうだっけ。変わったのかな、俺。確かに死んだってどうってことないのは変わりないんだけどさ。なんか調子狂うな。」
「あれ、もしかして、大事な人でも見つけちゃったんじゃあ。この間話してた女とか。」
「…いや、あれは違うよ。そんなんじゃないな。」
「そんなんじゃないって、それって、何か進展あったってこと?マジで!?」
「いやいや、だから、お前が考えてるような事は全くなかったけど、それっきりってわけでもないってことだよ。」
「よくわかんないっすね。もったいぶってないで、詳しく聞かしてくださいよ。」
 それから、手短に、今の僕とハンナの関係について西島に話をした。西島は終始興奮しっ放しだった。僕はそれを見て大笑いした。
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