ハンナの足跡
 病室に入り、扉をそっと閉めた。しんと静まり返っている室内は、不思議な空間だった。この部屋だけが宙に浮いているようで、無重力な空間のように感じた。僕の感覚が麻痺しているのか。朋子は朱美の側で、黙って座っていた。
「朋子。」
 僕が声を掛けると、静かにこちらを向いて、少し笑った。
「来てくれたんだね。ありがとう。」
 僕もそっと、朱美の側へ近寄った。朋子が僕に椅子を勧めて、朱美の容体を話した。
「手首の傷が、そんなに深くなかったみたいで、よかったよ。朱美、死なないで済んだ。よかった。」
「ハンナから少し事情は聞いてたんだが、朱美は思い詰めてたんだな。」
「そういえば、ハンナは?」
「西島が外で面倒見てるよ。」
「…そう。西島さんが。」
 朋子が複雑な表情で僕を見たので、僕は話題を変えた。
「朱美、いつ手首を?」
「あたしとハンナが仕事に出てるとき。マネージャーも、朱美を一人にしないようにって様子見に行ったりしてくれてたんだけど、タイミングが悪かったのよね。少しの間、一人っきりになってしまって。マネージャーが見つけてね、あたし達が飛んでいくと、朱美の布団、血で一杯になってた。」
「ショックだったろう、朋子。」
「うん。でも、あたし、朱美を早く助けなきゃと思って、意外と冷静だったかも。」
「強いな、朋子。」
「…そんなことないよ。あたし、薄情なのかもね。」
「そんな意味で言ったんじゃないよ。僕は朋子のそういう所、尊敬するよ。」
「…」
「朋子も疲れたろ。少し休めよ。」
「ううん、大丈夫。朱美の側に居たいの。」
「そうか。じゃあ俺も側に居る。」
 それから二人共、黙って座ったまま朱美の側に居た。朋子とこうして二人で居ることが今までなかったが、僕は朋子と居ると、安心感を覚えた。
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