こころは霧の向こうに
5
「しっかり休むのですよ?何か不自由があれば、すぐにメイドを呼ぶこと」
「はい。わかりました、大叔母様」
くどくどと、何度目になるかわからない小言を繰り返す大叔母に、ソフィアは神妙に頷いてみせた。
ゴールド・マナーの2階にある客間で、ソフィアは天蓋つきのベッドに大人しく横になっている。ベッドの脇を行ったりきたりしながら、エミリー大叔母は両手を揉み絞った。気持ちよく午睡を取り、寝床から起き出したところにメイドがあたふたとやってきて、ミス・エルディングが怪我をしたと知らせたのだ。とるものもとりあえず、ソフィアの部屋に駆けつけて、今に至る。
「心配をおかけしてごめんなさい、大叔母様」
神妙に俯くと、エミリー大叔母は表情を和らげ、鷹揚に片手を振った。結局、可愛いソフィアが無事だとわかれば、安心なのだ。
「お医者様にも診ていただいたし、今夜はここでお休みなさい。伯爵からもお見舞いのお花が届いていますし、きちんとお礼をしなければね。ヒューズ卿にもお世話になったようだし・・・・・・」
ヒューズ卿の名を耳にすると、どぎまぎしてしまう。赤くなった耳を隠すように、ソフィアは寝具を目の下までしっかりと引き上げた。逞しい腕の感触を思い出して、脈が速くなる。
ブラッドは足首を痛めたソフィアを軽々と抱きかかえて、厩から客間まで運んでくれたのだ。狩猟小屋での親密なひとときの後、雨上がりのぬかるみの中を屋敷へ帰還した2人は、誰にも見咎められることなく、大玄関広間に足を踏み入れた。すぐに彼が執事を呼び、医者を連れてこさせて、大叔母を呼びにいかせた。
医者はソフィアの足首を診察し、軽い捻挫だと診断して、薬湯を処方し、今しがた帰っていったところだった。今夜一晩安静にするようにという言いつけを大人しく守り、ソフィアは部屋で休むことにした。狩猟小屋の夢のような時間は、身体に重いだるさを残していたし、今宵再びブラッドと顔を合わせるのは気恥ずかしかった。
一通り話が済んだところで、エミリー大叔母は晩餐会に備えるため部屋を出て行き、ソフィアはもぞもぞと布団から顔を出して、枕に頬をすり寄せた。
『今夜は大人しくしておいで、ソフィア。明日の昼間に、堂々と見舞いに行くから』
部屋を出て行く間際に、ニヤリと笑いながらソフィアの耳元に囁いていったブラッドの台詞を思い出す。医者も、一晩足首を休ませれば、酷いことにはならないといっていた。明日の午後には、起き出せるといいのだが。
そんなことを考えているうちに、いつしか心地よい睡魔に襲われた。身体のだるさも、眠気を助長するようで、ソフィアは居心地の良い寝具の中で、猫のように身体を丸めた。とろとろと眠りに引き込まれながら、ソフィアの唇には、幸せな微笑がくっきりと刻まれていた。
バリー伯爵アーサー・ヒューズは、忠実な執事のマクレガーが書斎を出ていくと、大きなため息をついた。生真面目な顔に、疲労の影が色濃く落ちている。重厚な机に両肘をついていたが、椅子の背もたれに身体を預けた。
ゴールド・マナーの1階、家族用の棟にある個人用の書斎は、兄弟の父が祖父から引き継いで使用していたこじんまりとした部屋で、オーク材の壁面は床から天井まで届く書架が、一方の壁を埋めている。ステンドグラス越しに注ぐ夕暮れの光が、ぼんやりとした影を机に投げかけていた。
祖父の代から仕える老執事は、アトレー男爵令嬢の怪我は思ったほどではなく、軽症で済んだという報告を携えてきた。早朝から妻の状態が思わしくなかったため、つきっきりでレベッカの看病にあたったアーサーの疲労も濃い。
やっと一息ついた午後遅く、客人の1人が負傷したという報せが舞い込み、今日は何という日かと天を仰いだものだ。もっとも、アーサーが出ていかなくとも、今回は事なきを得たのだが――。
(あのブラッドが、自分から進んで世話を焼いたというのには驚いたが・・・・・・)
アーサーの口元に、微笑が浮かぶ。
あの弟は、物怖じしない性格と、見映えのする外見を持つせいで、言い寄ってくる女性に事欠かずにきた。こちらが動かずとも相手が寄ってくるため、誰かを強く望んで自分から行動したことがない。特定の誰かに執着を見せたこともない。
ごく親しい者にしか心を開かない彼が、アトレー男爵令嬢の世話を甲斐甲斐しく焼いたというのは、好ましい兆候だ。いずれは彼にも、幸せな家庭を築いて欲しいと願っているから。
もう暫く様子を見て、それからブラッドに話を聞いてみるのもよいかもしれない。それに、アトレー男爵令嬢という女性について、情報を集めてみなくてはならない。
きっとレベッカが喜んで協力する。妻の興奮する様を思い描いて、クスリと笑いを零した時、軽いノックの音が、取りとめのない物思いを破った。
アーサーがこの書斎にいると知っていて、訪ねてくるのは、老マクレガーか、レベッカくらいのものだ。親友のウィルがいれば、ブラッドを誘って秘蔵の酒を飲みにやってくるのだが、今回彼は招待できない事情があった。弟は弟で、自分の書斎を持っている。アーサーの個人用書斎は、彼にとって貴重な息抜きの場であるから、邪魔をしないように、使用人たちも滅多に立ち入らない。
執事はつい先ほど出て行ったところだし、レベッカは寝室で伏せっているはずだ。不審に思いながらも、アーサーが返事をすると、静かにドアが開いた。猫のようにするりとした身のこなしで書斎に滑り込んできたのは、ハウスパーティーに招待した客人の1人だった。
意外な人物の登場に軽く目を瞠ったのは一瞬で、たちまち表情を消したアーサーは、背筋を伸ばして椅子に座りなおした。全くこの場にそぐわない相手だが、無作法に振舞って煩いことをいわれるのもかなわない。手を小さく振って、一応は手近な椅子へ着席を促したものの、相手が遠慮したのを見て、内心ほっとする。長居をするつもりはないようだ。
「どのようなご用件ですか?このようなところにお1人でいらっしゃるとは・・・・・・レディ・アイリーン」
硬く素っ気ないアーサーの声音に対し、レディ・アイリーンは、上目遣いに見返して、鼻にかかった甘い声で答えた。茶色の瞳は媚で輝き、男が自分のいうことを聞くものだと、信じて疑っていない。
「今夜の晩餐会とその後の舞踏会のことで、お願いがありますの」
お願いをする、という言葉とは程遠い、押付けるような口振りに、アーサーはますます冷ややかに返した。グラフトン伯爵家では、末娘を相当甘やかしているようだ。
「私にできることならば」
「もちろん、伯爵様ならおできになりますわ。ブラッドレイ様のことなのですから」
当然、とばかりにレディ・アイリーンは微笑んだ。レベッカやサラとは異なり、作り物めいた笑顔は、見る者をぞっとさせるだけだ。
(ブラッドに関係するなら尚更、私ができないことも多いのだがな)
ついつい口うるさくなる自分を、弟が煙たがっているのは知っている。パブリックスクールも卒業し、大学もじきに卒業する年齢になったのだから、あまり口出しするのは良くないとは思いつつ、干渉してしまう自分の性分を、アーサーもよく自覚している。
アーサーの沈黙をよい兆候と捉えたのか、レディ・アイリーンは、うっとりと両手を組み合わせた。
「是非、エスコートをしていただきたいのです。今回のパーティーでは、ブラッドレイ様は、ミス・エルディングのお相手ばかりで、ちっとも一緒にいて下さらないんですもの。身分の低い方を気遣う優しさはご立派ですけれど、ご自分に相応しい身分の女性をエスコートするのも、紳士の務めだとお思いになりません?」
目の前に佇む茶色の髪と瞳を持つ、やや背が高い令嬢を、アーサーはまじまじと観察した。このご令嬢と、じかに話をするのは初めてだった。
グラフトン伯爵家の三人姉妹は、上の姉2人は既に名のある貴族へ嫁ぎ、末っ子のレディ・アイリーンだけが独身で、社交シーズンを謳歌している。両親は遅くにできた末娘を可愛がり、有望な貴族を婿に取らせようとやっきになっている、と聞いたことがある。今回の招待は、母親の伯爵夫人から娘も是非一緒にという強い要望があったからだと、レベッカがいっていた。
「これまでの夜会ではお相手して下さっていたのに、こちらに来てからはつれない態度ばかり。母も心配しておりますの。このままでは父に相談の手紙を送るしかないと申しておりますのよ」
それは困るでしょう、と、無邪気に微笑む令嬢の顔には、権高さが色濃く浮かんでいる。グラフトン伯爵は貴族院でも発言力を持つ人物だから、進んで敵に回そうとする者はいない。それをよく知っているからこその発言だ。
父親の伯爵も、特権意識が強く、プライドの高い人物だ。娘のレディ・アイリーンも、その性格を色濃く受け継いでいるらしい。貴族であるということを鼻にかけ、中流以下の階級を見下し、時流が読めていない人間が、アーサーは我慢ならなかった。特にこのように、親の権威を振りかざす子女には。
「ミス・エルディングはブラッドレイ様には相応しくないと、皆様仰ってますわ。伯爵家の評判に傷がつくようなことになっては、大変でしょう?」
「――ご心配いただき、痛み入ります」
氷のように冷たく、反問を許さない鋭さで、アーサーは切り込んだ。迫力に押されて、レディ・アイリーンは口をぽかんと開けて、こちらを見上げている。
「弟には、ゲストの皆様を平等におもてなしするよう言っておきます。ですが、わが伯爵家については、ご心配には及びません。私は若輩者ですが、レイモンド侯爵家からも助言がありますのでね」
アーサーが立ち上がると、レディ・アイリーンの顔に、初めて戸惑いが浮かんだ。バリー伯爵の機嫌を損ねたと、理解したようだ。灰色の双眸に射すくめられ、自信満々だった声も、情けなく震えてしまう。
「あ、あの、わたくしはそんなつもりでは・・・・・・」
「夜会のお支度があるでしょう。お部屋までお送りしましょうか」
言葉は丁寧だが、素っ気ない口調でアーサーが尋ねると、ご令嬢はおろおろとしながらも、断りの文句を口にした。
「いえ、そこまでしていただかなくとも大丈夫ですわ。では、わたくしはこれで失礼いたします」
ドアまで歩み寄り、開けてやると、レディ・アイリーンはそそくさと廊下に飛び出していった。
傲慢な小娘の後姿が消えるまで見送り、アーサーはやれやれとため息をついた。そこへ、背後から面白そうな声が投げかけられる。
「へえ、兄さんが女性を書斎に入れるなんてね。レベッカが知ったら、何ていうかな」
「ブラッド・・・・・・」
どっと疲れに襲われるのを感じながら、アーサーは後ろに佇む人物を振り返った。いつからそこにいたのだろう。ニヤニヤ笑いながら、少し離れた壁に肩を寄りかからせるブラッドを見出して、アーサーは顎で書斎を示した。
「誰のせいだと思ってるんだ・・・・・・いいから、ちょっと来い」
兄のぐったりした様子に、笑みを消して怪訝そうに首を傾げながら、ブラッドは素直に後ろに従った。兄弟を飲み込んだドアが閉まると、廊下には静寂が下りた。華やかな夜会が始まるまでの、儚い静けさだった。
「はい。わかりました、大叔母様」
くどくどと、何度目になるかわからない小言を繰り返す大叔母に、ソフィアは神妙に頷いてみせた。
ゴールド・マナーの2階にある客間で、ソフィアは天蓋つきのベッドに大人しく横になっている。ベッドの脇を行ったりきたりしながら、エミリー大叔母は両手を揉み絞った。気持ちよく午睡を取り、寝床から起き出したところにメイドがあたふたとやってきて、ミス・エルディングが怪我をしたと知らせたのだ。とるものもとりあえず、ソフィアの部屋に駆けつけて、今に至る。
「心配をおかけしてごめんなさい、大叔母様」
神妙に俯くと、エミリー大叔母は表情を和らげ、鷹揚に片手を振った。結局、可愛いソフィアが無事だとわかれば、安心なのだ。
「お医者様にも診ていただいたし、今夜はここでお休みなさい。伯爵からもお見舞いのお花が届いていますし、きちんとお礼をしなければね。ヒューズ卿にもお世話になったようだし・・・・・・」
ヒューズ卿の名を耳にすると、どぎまぎしてしまう。赤くなった耳を隠すように、ソフィアは寝具を目の下までしっかりと引き上げた。逞しい腕の感触を思い出して、脈が速くなる。
ブラッドは足首を痛めたソフィアを軽々と抱きかかえて、厩から客間まで運んでくれたのだ。狩猟小屋での親密なひとときの後、雨上がりのぬかるみの中を屋敷へ帰還した2人は、誰にも見咎められることなく、大玄関広間に足を踏み入れた。すぐに彼が執事を呼び、医者を連れてこさせて、大叔母を呼びにいかせた。
医者はソフィアの足首を診察し、軽い捻挫だと診断して、薬湯を処方し、今しがた帰っていったところだった。今夜一晩安静にするようにという言いつけを大人しく守り、ソフィアは部屋で休むことにした。狩猟小屋の夢のような時間は、身体に重いだるさを残していたし、今宵再びブラッドと顔を合わせるのは気恥ずかしかった。
一通り話が済んだところで、エミリー大叔母は晩餐会に備えるため部屋を出て行き、ソフィアはもぞもぞと布団から顔を出して、枕に頬をすり寄せた。
『今夜は大人しくしておいで、ソフィア。明日の昼間に、堂々と見舞いに行くから』
部屋を出て行く間際に、ニヤリと笑いながらソフィアの耳元に囁いていったブラッドの台詞を思い出す。医者も、一晩足首を休ませれば、酷いことにはならないといっていた。明日の午後には、起き出せるといいのだが。
そんなことを考えているうちに、いつしか心地よい睡魔に襲われた。身体のだるさも、眠気を助長するようで、ソフィアは居心地の良い寝具の中で、猫のように身体を丸めた。とろとろと眠りに引き込まれながら、ソフィアの唇には、幸せな微笑がくっきりと刻まれていた。
バリー伯爵アーサー・ヒューズは、忠実な執事のマクレガーが書斎を出ていくと、大きなため息をついた。生真面目な顔に、疲労の影が色濃く落ちている。重厚な机に両肘をついていたが、椅子の背もたれに身体を預けた。
ゴールド・マナーの1階、家族用の棟にある個人用の書斎は、兄弟の父が祖父から引き継いで使用していたこじんまりとした部屋で、オーク材の壁面は床から天井まで届く書架が、一方の壁を埋めている。ステンドグラス越しに注ぐ夕暮れの光が、ぼんやりとした影を机に投げかけていた。
祖父の代から仕える老執事は、アトレー男爵令嬢の怪我は思ったほどではなく、軽症で済んだという報告を携えてきた。早朝から妻の状態が思わしくなかったため、つきっきりでレベッカの看病にあたったアーサーの疲労も濃い。
やっと一息ついた午後遅く、客人の1人が負傷したという報せが舞い込み、今日は何という日かと天を仰いだものだ。もっとも、アーサーが出ていかなくとも、今回は事なきを得たのだが――。
(あのブラッドが、自分から進んで世話を焼いたというのには驚いたが・・・・・・)
アーサーの口元に、微笑が浮かぶ。
あの弟は、物怖じしない性格と、見映えのする外見を持つせいで、言い寄ってくる女性に事欠かずにきた。こちらが動かずとも相手が寄ってくるため、誰かを強く望んで自分から行動したことがない。特定の誰かに執着を見せたこともない。
ごく親しい者にしか心を開かない彼が、アトレー男爵令嬢の世話を甲斐甲斐しく焼いたというのは、好ましい兆候だ。いずれは彼にも、幸せな家庭を築いて欲しいと願っているから。
もう暫く様子を見て、それからブラッドに話を聞いてみるのもよいかもしれない。それに、アトレー男爵令嬢という女性について、情報を集めてみなくてはならない。
きっとレベッカが喜んで協力する。妻の興奮する様を思い描いて、クスリと笑いを零した時、軽いノックの音が、取りとめのない物思いを破った。
アーサーがこの書斎にいると知っていて、訪ねてくるのは、老マクレガーか、レベッカくらいのものだ。親友のウィルがいれば、ブラッドを誘って秘蔵の酒を飲みにやってくるのだが、今回彼は招待できない事情があった。弟は弟で、自分の書斎を持っている。アーサーの個人用書斎は、彼にとって貴重な息抜きの場であるから、邪魔をしないように、使用人たちも滅多に立ち入らない。
執事はつい先ほど出て行ったところだし、レベッカは寝室で伏せっているはずだ。不審に思いながらも、アーサーが返事をすると、静かにドアが開いた。猫のようにするりとした身のこなしで書斎に滑り込んできたのは、ハウスパーティーに招待した客人の1人だった。
意外な人物の登場に軽く目を瞠ったのは一瞬で、たちまち表情を消したアーサーは、背筋を伸ばして椅子に座りなおした。全くこの場にそぐわない相手だが、無作法に振舞って煩いことをいわれるのもかなわない。手を小さく振って、一応は手近な椅子へ着席を促したものの、相手が遠慮したのを見て、内心ほっとする。長居をするつもりはないようだ。
「どのようなご用件ですか?このようなところにお1人でいらっしゃるとは・・・・・・レディ・アイリーン」
硬く素っ気ないアーサーの声音に対し、レディ・アイリーンは、上目遣いに見返して、鼻にかかった甘い声で答えた。茶色の瞳は媚で輝き、男が自分のいうことを聞くものだと、信じて疑っていない。
「今夜の晩餐会とその後の舞踏会のことで、お願いがありますの」
お願いをする、という言葉とは程遠い、押付けるような口振りに、アーサーはますます冷ややかに返した。グラフトン伯爵家では、末娘を相当甘やかしているようだ。
「私にできることならば」
「もちろん、伯爵様ならおできになりますわ。ブラッドレイ様のことなのですから」
当然、とばかりにレディ・アイリーンは微笑んだ。レベッカやサラとは異なり、作り物めいた笑顔は、見る者をぞっとさせるだけだ。
(ブラッドに関係するなら尚更、私ができないことも多いのだがな)
ついつい口うるさくなる自分を、弟が煙たがっているのは知っている。パブリックスクールも卒業し、大学もじきに卒業する年齢になったのだから、あまり口出しするのは良くないとは思いつつ、干渉してしまう自分の性分を、アーサーもよく自覚している。
アーサーの沈黙をよい兆候と捉えたのか、レディ・アイリーンは、うっとりと両手を組み合わせた。
「是非、エスコートをしていただきたいのです。今回のパーティーでは、ブラッドレイ様は、ミス・エルディングのお相手ばかりで、ちっとも一緒にいて下さらないんですもの。身分の低い方を気遣う優しさはご立派ですけれど、ご自分に相応しい身分の女性をエスコートするのも、紳士の務めだとお思いになりません?」
目の前に佇む茶色の髪と瞳を持つ、やや背が高い令嬢を、アーサーはまじまじと観察した。このご令嬢と、じかに話をするのは初めてだった。
グラフトン伯爵家の三人姉妹は、上の姉2人は既に名のある貴族へ嫁ぎ、末っ子のレディ・アイリーンだけが独身で、社交シーズンを謳歌している。両親は遅くにできた末娘を可愛がり、有望な貴族を婿に取らせようとやっきになっている、と聞いたことがある。今回の招待は、母親の伯爵夫人から娘も是非一緒にという強い要望があったからだと、レベッカがいっていた。
「これまでの夜会ではお相手して下さっていたのに、こちらに来てからはつれない態度ばかり。母も心配しておりますの。このままでは父に相談の手紙を送るしかないと申しておりますのよ」
それは困るでしょう、と、無邪気に微笑む令嬢の顔には、権高さが色濃く浮かんでいる。グラフトン伯爵は貴族院でも発言力を持つ人物だから、進んで敵に回そうとする者はいない。それをよく知っているからこその発言だ。
父親の伯爵も、特権意識が強く、プライドの高い人物だ。娘のレディ・アイリーンも、その性格を色濃く受け継いでいるらしい。貴族であるということを鼻にかけ、中流以下の階級を見下し、時流が読めていない人間が、アーサーは我慢ならなかった。特にこのように、親の権威を振りかざす子女には。
「ミス・エルディングはブラッドレイ様には相応しくないと、皆様仰ってますわ。伯爵家の評判に傷がつくようなことになっては、大変でしょう?」
「――ご心配いただき、痛み入ります」
氷のように冷たく、反問を許さない鋭さで、アーサーは切り込んだ。迫力に押されて、レディ・アイリーンは口をぽかんと開けて、こちらを見上げている。
「弟には、ゲストの皆様を平等におもてなしするよう言っておきます。ですが、わが伯爵家については、ご心配には及びません。私は若輩者ですが、レイモンド侯爵家からも助言がありますのでね」
アーサーが立ち上がると、レディ・アイリーンの顔に、初めて戸惑いが浮かんだ。バリー伯爵の機嫌を損ねたと、理解したようだ。灰色の双眸に射すくめられ、自信満々だった声も、情けなく震えてしまう。
「あ、あの、わたくしはそんなつもりでは・・・・・・」
「夜会のお支度があるでしょう。お部屋までお送りしましょうか」
言葉は丁寧だが、素っ気ない口調でアーサーが尋ねると、ご令嬢はおろおろとしながらも、断りの文句を口にした。
「いえ、そこまでしていただかなくとも大丈夫ですわ。では、わたくしはこれで失礼いたします」
ドアまで歩み寄り、開けてやると、レディ・アイリーンはそそくさと廊下に飛び出していった。
傲慢な小娘の後姿が消えるまで見送り、アーサーはやれやれとため息をついた。そこへ、背後から面白そうな声が投げかけられる。
「へえ、兄さんが女性を書斎に入れるなんてね。レベッカが知ったら、何ていうかな」
「ブラッド・・・・・・」
どっと疲れに襲われるのを感じながら、アーサーは後ろに佇む人物を振り返った。いつからそこにいたのだろう。ニヤニヤ笑いながら、少し離れた壁に肩を寄りかからせるブラッドを見出して、アーサーは顎で書斎を示した。
「誰のせいだと思ってるんだ・・・・・・いいから、ちょっと来い」
兄のぐったりした様子に、笑みを消して怪訝そうに首を傾げながら、ブラッドは素直に後ろに従った。兄弟を飲み込んだドアが閉まると、廊下には静寂が下りた。華やかな夜会が始まるまでの、儚い静けさだった。