こころは霧の向こうに
 ぐっと口を引き結んだソフィアに、レディ・アイリーンは気の毒そうな眼差しを向けた。
「ねえ、勘違いなさらないでね?わたくし、あなたが期待していたらお気の毒だから、こんなことを申し上げるのよ。
 今後、ヒューズ卿があなたをエスコートすることはないと思うわ。昨夜はずっとわたくしのお相手をして下さったから、わかるの。やはり、身分に相応しい相手というものがいるものよ。世間も文句なしに納得する相手というものがね」
 さもソフィアを心配しているという素振りだが、その瞳の中には、ソフィアを見下した優越感と侮蔑の光が輝いている。彼女だけではない。ぐるりと彼女を取り巻くご令嬢たちも、同じ光を宿しながら、再び口々にさえずった。
「ヒューズ卿のお相手には、やはりレディ・アイリーンがぴったりですわ」
「ヒューズ卿はお優しいから、身分が下の方にも礼を尽くされていただけよ」
「皆いってましたわ、おふたりはお似合いだって」
 お追従を述べる令嬢たちと、それを得意げに受け取るレディ・アイリーン。彼女たちが振りかざす身分の差は、それぞれの生家に与えられた爵位であり、伝統であって、自身に与えられた名誉や、自力で勝ち得た尊敬ではない。

 このひとたちが、どれほど立派な貴婦人であるというのか。
 ひとりに対し、大勢でやり込めるしかできない、陰湿なやり口。輝かしい身分を纏いながら、中身は空っぽでしかない令嬢たち。衆目を集めるような諍いを、公の場で起こすことは避けなければと、じっと耐えていたソフィアだが、そろそろ限界だった。
 ブラッドが他の女性をエスコートしたことに、嫉妬する気持ちはない。それに関しては何とも思わないが、彼女たちに、ブラッドがソフィアへ向ける想いを、ソフィアがブラッドへ向ける想いを、とやかく言われる筋合いはなかった。腹立たしくもあり、同時に気分が悪くもなる。歪んだ感情は、胸を悪くさせるものでしかない。
 悪意をひとにぶつける行為が、恥ずかしいこととも思わないひとたちに、ここで何を言っても無駄で、事態を悪くするだけだ。特にそれが年若い女性の集団となると、陰湿で執拗だ。それをソフィアは、寄宿学校で十分に学んでいた。

 まだ何かを言い募ろうとする令嬢たちを、凛とした眼差しを向けて黙らせ、背の高いグラフトン伯爵令嬢を見上げた。臆することなく見上げるソフィアの視線に、レディ・アイリーンの茶色の瞳が、たじろいで揺れた。
「な、何よ・・・」
「レディ・アイリーン」
 胸に渦巻く嫌悪を綺麗に伏せて、ソフィアは優雅にお辞儀をした。
「まだ本調子ではないので、これで失礼させていただきますわ。お気遣い痛み入ります」
 一息にそう口上を述べてから、ソフィアは口元だけで微笑んだ。
「ごきげんよう」
 くるりと踵を返して、ソフィアはエミリー大叔母のいるテーブルへと歩き出した。背後で令嬢たちが、「何て生意気な」「身の程知らずな」と声を上げるのが耳に入ったけれど、取り合うつもりはなかった。

 悪意に毒されるのは、本意ではない。
 エミリー大叔母にも、やはり今日はまだ館で大人しくしていると告げて、ソフィアは一足先に部屋へと戻ることにした。長いこと朝食室にいたわけではないのに、廊下を進む足は重く、ぐったりとした疲れを覚えていた。
 部屋に戻り、ドアを閉めてからそれに寄りかかって、ソフィアはひとつ重いため息をついた。窓から差し込む光は明るいけれど、自分の内側はどんよりと曇っている。心を塞ぐ雲を追い払ってくれる、太陽の光が恋しかった。今はただ、無性にブラッドの顔が見たかった。
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