教習ラプソディー
「……あ?」
何事かと顔を上げてみると、そこには何もなく、少し視線を下げた先に見えた小さな人影。
「ごっ……ごめんなさっ……」
怯えた瞳でこちらを見上げていたのは、教習原簿を抱えた女子教習生だった。
「いや……こっちこそごめん。大丈夫?」
ちっ……ちぇー……。
その背の小ささに驚かされた。
亮介もさほど背丈のある方では無い。
173センチと、いたって平均だ。
その亮介と比べても、目の前の女子は頭2つ分くらい背が低かった。
黒縁のウェリントンタイプの眼鏡を慌てて掛け直し、ぶつかった際に乱れたらしいほんのり茶色がかった髪を手櫛で整える。
「だっ……だい、大丈夫ですほんとごめんさい!」
言って、女子は半ば逃げるようにその場から去って行った。
――俺、あの子の教習したっけ……?
それとも担当した事もない教習生にまで怖がられているのだろうか。
そう考えるとさすがに落ち込んだ。
再び歩き出そうとして、自分の足元に落ちている紙切れが目に入って拾い上げた。
9月3日
4時限目 MT63号車
ハルナ ウタ
5センチ四方の白い紙には、そう印字されていた。
配車機から印字される、教習の配車券だった。
――マニュアルかよ。つーか落とすなよ配車券……。
小さくため息を吐いて、亮介はその足を受付へ向かわすのだった。
「よ。邑上、また呼び出し食らったって?」
亮介が出て行った喫煙所に顔を出したのは、女性指導員だった。
のんきに煙草をふかしていた佐伯が、ニヤニヤとお得意の笑顔を向ける。
「真っ直ぐですからねぇ、むらっちゃんは」
「アンタの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいね」
「あらやだ、山河さん。そんな事したら曲がらないくらい真っ直ぐになっちゃいますよ?」
よく言うよ、と苦笑して煙草に火を点ける山河は、正確には検定員であり、亮介が密かに尊敬する人物でもある。
女性としては全国でも数少ない検定員で、母親としても2児を立派に育て上げた48歳。
仕事もバリバリこなしている。
亮介だけでなく、佐伯も、他の職員たちも一目置く存在である。
「教習もちゃんと教えてるし、もうちょっと肩の力抜けたら良くなると思うんだけどねぇ。あいつの後に教習するとさ、生徒怯えちゃってんのよ」
苦笑のまま煙を吐き出し、また煙草をくわえる。
どうしたもんかね、と言う山河に、佐伯がけらけらと笑った。