教習ラプソディー

「どうしてマニュアルなの?」

 その時のやりとりが、自然と思い出される。
 講評の時間、教官は少しだけ柔らかな表情でそう訊ねてきた。

「あの……会社の営業車が、その、マニュアルのものがあるので……」
「今どき珍しいね。でもまあ、仕事に関係するんじゃあもっと頑張らないとな」

 言われたその時は、教習中のひどく辛辣な様が頭に残っていて、いい印象は少しも無かった。
 教習後の顔の穏やかさも、今になって思えば、というくらいだ。

 後に知ったところによると、教習生の間では厳しいとか怖いとか相当に嫌われているらしい教官で、『鬼の邑上』という通り名までついているらしい。

 確かに、初回の時には泣くかというところを何とか踏み止まったくらいには怖かった。

 どうして初回でこんなに厳しくされなければならないのか、この人は鬼なんじゃないかと半ば恨めしい気持ちにさえなったくらいだ。

 けれど、詩はその『鬼』のことが、実はそんなに嫌いではなかった。


 ようやく仮免許を取得し、2段階に上がったのが2週間ほど前。

 技能に時間がかかるだろうという事は承知していたので、効率よく学科を終わらせてしまおうと受けた学科24番。

 その担当が、鬼教官だった。

「自動車は、凶器なんです。それを忘れないでください」

 事故の際にどのような責務が発生するのかという悲惨な内容のドラマが流れ終わると、鬼教官は至極真摯な面持ちで受講していた教習生に向かってそう言った。


 その顔は、なんだか泣き出してしまいそうで。

 そしてその言葉が、深く胸に刺さった。


 その後も一度だけ、鬼教官の教習に当たった。
 
 「ちゃんと見てる?」「今まで何やってきたか覚えてないの?」「そんな運転してたら事故しちゃうよ」と何度も厳しいことを言われたが、詩が目に涙を溜めることはもう無かった。

 鬼教官がどうして『鬼』なのか、解ったか気がしたから。


「63号車……。やっぱり、邑上先生の車……だよね」

 教習車の車両番号を確認して、車内をそれとなく見てみたが、教官は生徒の方を向いていて顔を確認することは出来なかった。

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