翼のない天狗
実原右大臣に客人があった。
孫の手習いを見ていた右大臣は、家人から客人の言伝を聞かされると目を見開いた。藤紫の瞳が遠くを見る。
「その者はいかに」
家人に問えば、すでに帰路についたという。
「左様か」
「殿は、その女に覚えがございますのでしょうか」
「……いや」
右大臣は黒々と瞳を輝かせる、幼い孫──親王である。三の宮──に目を戻した。家人は、主が何か語るのではないかと構えて待った。
「下がりなさい」
待ったが、下知はそれだけだった。年若い家人は静かにその場を去った。
「爺様、どうなさったのですか」
三の宮が心配そうな顔をしたので、右大臣は微笑みを返した。髪に白いものが見えこそすれ、かつては都一の美丈夫と呼ばれたほどである。優しい笑みに、三の宮も安堵の表情を見せ、筆を持ち直した。