翼のない天狗
有青は気づいた。
「もしや、あなたの場合は」
氷魚は口元だけで笑う。一度瞼を閉じ、ゆっくりと開いた。体こそこちらを向いているが、常磐緑の大きな瞳と視線が合わない。
「この地で清青様と共に暮らす日々は満ち足りておりました。
焦げ付くような日差し、梢を鳴らす風、都の喧騒、刺すように荒れる野分、けたたましいほどの虫の声。ゆっくりと過ぎていくけれど、同じ日は二度とない。
私の決断に対して、兄上は静かに頷いて下さいました。流澪殿はうろたえた顔をしましたが、長が認めたのであれば彼が異論を述べることはできません。姉様の血を引く水王や、私の身の回りの世話をしてくれていた魚たちは引きとめてくれましたが、私はそれぞれと話をして解ってもらいました。
ここには辛い思い出が多すぎる。私の大切な人が、そこから連れ出してくださる。
父母のこと、姉様のこと、清青様をめぐるあの二十年のこと。
兄上という存在がありながら、先代の長の直系の娘である私は、身を引くべき立場であったのです。