翼のない天狗
「氷魚、様」

 杯を手に、清青様のところへ向かっていた私を呼び止めたのは、流澪殿でした。流澪殿は袂から包みを取り出し、私に渡してくれました。
「これは」
「長から、預かって参りました。お返しするように、と」
 開いてみると、そこには流澪殿に取り上げられ、兄上の手に渡った、清青様の鴉面が入っておりました。

「長は手放すべきか迷っていました。私も、氷魚様に渡さずにいようかと思いました。これは、氷魚様という人魚がいた証です」
 すっかり山の匂いは薄れてしまいましたが、この面は様々なことを思い出させます。この面の持ち主である方に、私は惹かれたのですから。

「なぜ、」
 流澪殿は言いよどみました。続けてほしい、と私は流澪殿を見上げました。
「……なぜ私はあなたと結ばれなかったのでしょうか」
「まだそんなことを言うのね」
 思わず笑みをこぼしてしまう、私にとってはそんな話です。されど、流澪殿は笑ってなどいなかった。
「幼い頃から、お慕い申し上げておりました。私は長に仕えるべく育ちましたが、ずっと、氷魚様と結ばれるのだと信じていた……あなたにとっては辛いことでしょうが、僅かの間でもあなたに触れることができたことに私は大きな幸せを感じています」

 私が少し、体に力を入れたことを、流澪殿は見ていました。眉下げ、辛そうな顔をなさいました。
< 206 / 224 >

この作品をシェア

pagetop