翼のない天狗
 美しい上弦の月でございました。
 豊備の垂水は、月光を受けてきらきらと光っておりました。ただ、相変わらずの轟音で、意識しなけけば声など届きません。清青様は、力を使って私を水の上へ寝かせました。なおさら月の美しさが目に焼き付いているのです。

 清青様は、私の額にかかった髪を払い、このように、頬をなでました。そして体の線をたどって、鰭に触れました。白金の鱗一枚一枚を愛しむように触れてくださいました。 そうして尾鰭の先端に達し、清青様はゆっくりと息を吐きました。高ぶる気を静めているように見えました。
「どうかいたしましたか」
 問いかけます。
「嬉しいのだ」
 清青様は、眉を下げ、目を細め、頬を染めて応えます。
「氷魚が、生きることを選んだこと」

 とても美しい笑みを下さいました。
 私は満ち足りた心地で、杯を飲み干しました。」

 氷魚の口元が緩んだ。そのときのことを思い出しているのだろう。
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