翼のない天狗
 
 破れた庵の開け放した戸から、風が吹き込んできた。深山はそこに降り立つと、壁に立て掛けられていた清青の錫杖を手に持った。
 壁際にはまだ酒樽が残っているが、深山は構わず、庵の屋根に登る。屋根の上で錫杖をとんと突くと、庵はばらばらと崩れ落ちた。

「世話をかけるな」

 突然声を掛けられて、深山は辺りを見回す。土埃が収まっても、声の主の姿はない。

「驚かすのはやめて欲しいものですよ、清影様」
 清影の姿をもう随分と見ていない。二度と見ることはないかもしれない。
「のう、深山よ。お前もそろそろ、こっちに来ないか。お前の親父殿も待っているぞ」
 こっちとは。
 深山は笑って、近くの木の枝に腰掛けた。

「そこは、どんなにか良いところなのでしょうね。そっちに行ってしまうと、清影様も、親父も、声ばっかりで姿を見せやしない」
 ひねくれて答える深山に、諭すような清影の声が降りかかる。
「広いぞ、こっちは。広い広い、世界が見えるわ。生きているもの、死んだもの、これから生まれるもの、いろいろなものが絡み合っている。その中を自在に飛ぶのは、なかなか楽しいものだ」

 そうか、と深山は立ち上がった。

「黒鳴も骨になったし、清青も死んだ。友のいないこの世だけの世界なぞ、つまらんな」

 昇れ、という清影の言葉に、深山は翼を大きく羽ばたかせた。高く、高く、ひたすらに天を昇っていく。
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