キミとの距離は1センチ
「……木下さん、それ貸して」

「え、」

「早く」



突然の俺の言葉に、何が何だかわからないような顔で、それでも木下さんは、持っていた佐久真のバッグを俺に寄越してくれた。

お礼を言いながらそれを受け取り、くるりと再び佐久真へと向き直る。


そして。



「……ッ、」



彼女の膝裏と背中に素早く手を回すと、抵抗される隙も与えないまま、そのからだを持ち上げた。



「俺、コイツを医務室に運んで来るから。木下さんは、気を付けて帰って」

「え、あ……でも伊瀬さん、」

「ごめん、俺に任せて。佐久真が注意力散漫なの、たぶん俺のせいだし」



佐久真を抱え上げたまま、木下さんに向けて薄く笑みを浮かべる。

不意を突かれたような表情で、それでも木下さんがこくりとうなずいたのを確認し、俺は踵を返す。


腕の中の佐久真は、驚いて、声も出せないようだった。

暴れられることも覚悟していた俺は、今のところおとなしくしている彼女の様子にこっそり安堵しつつ、会社のエントランスへと続く階段を上がっていく。



「い、伊瀬……わたし、自分で歩ける……」

「うるさい。おとなしくしとけ」

「………」



前を向いたまま真顔で言い放つ俺に、彼女は口を噤んで押し黙った。

その素直な佐久真の様子に、不謹慎にもちょっと笑いそうになってしまう。
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