泡影の姫
「速いな。それにすげー楽しそうに泳ぐ」

「だって〝好き〟だから」

フェンスに寄りかかって、少し体を休めた。
足をさする。
たぶん、大丈夫。今のところ腫れてはいない。

湊は私の横で歌を口ずさんでいた。
静かで、とても悲しくて、それなのにすごくキレイな曲だった。

「どうして、路上でそれを歌わないの?」

湊が歩きながら口ずさむのはいつもこの曲だった。
私は、湊が歌う中ではこの曲が一番好きだ。

「これ、俺の曲じゃないから」

「自分のじゃないと、歌っちゃダメなの?」

「なんていうか、この歌のよさを今の俺じゃ巧く表現できないから。一番好きな曲は、全力で望めるようになりたい」

「努力家だ」

「お前さぁ泳いでる時、すげぇいい顔してるよ。いっつも仏頂面で俺らのほうを睨んでた
だろ?なんっつーの親の敵みたいな?」

「それで声かけたわけ?」

泳いでるときの顔なんて見えないだろうと思いながら、やっぱり湊は物好きだと思った。

「まぁ、ほら客には楽しんで欲しいじゃん」

それはまた、殊勝な心がけで。
別に睨んでいたわけではない。
ただ、羨ましかったのだ。
没頭できる何かを持っている彼らの事が。
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