欲しがり屋のサーチュイン
千晶は白衣を揺らしながら黒縁眼鏡を掛け直す。
真っ直ぐで艶やかな黒髪をワシワシと細い指で掻き乱しながら研究室に戻った。
まだ今日のノルマを達成していない。
永遠と思えてくる単調な作業を気力のみでこなしつつ、千晶は徐々に嫌な過去の記憶を抹消していった。
あーあ、久しぶりに思い出しちゃった…。
原因は分かっている。
ガラス越しに映るいくつもの大きな雨粒へ視線をチラリと移し、千晶は小さくため息をついた。
あの時から、大雨の日はそんなに好きじゃない。
大人って不便だなと千晶は思った。
好きなものは小さい頃から対して変わらないのに、だんだん嫌いなものだけ増えていく。
「沼田(ぬた)さん。」
「はい。」
千晶はゆっくりと作業用の白いマスクを外しながら気怠げに後ろを振り返った。
ズレた眼鏡を押し上げると男にしては可愛らしい瞳と目が合う。
「トレー補充完了しました。」
「ありがとうございます。そこ置いといて下さい。…ああ、後、cnー2用意して貰っていいですか。」
「分かりました。あの、cnの棚って…」
「ああ、あそこの左です。」
「すみません、ありがとうございます。」
眉を八の字にして、ニコッと美木(みき)は、はに噛んだ。
お菓子みたいな色素の薄い癖っ毛をフワッと揺らし美木は棚に急ぐ。
この前の移動で地方から来た26歳。
“一つ年上だし、移動の多い部署なので特に入って来た人が下というわけではないから敬語はやめて下さい”と言っているのに何故か止めないので、千晶も敬語で返してしまっている微妙な距離感の人物である。