私と彼の恋愛理論

「先月、帰って来たんだ。」

体に叩き込まれた営業スマイルというのは、頭が真っ白でも自然と浮かべられる代物らしい。

自分が思わずにっこり微笑んでしまったことに困惑する。

「…おかえりなさい。」

そう、呟くように返した。
気の利いた言葉なんて思いつかずに。

ただ、二年振りに見る元恋人の元気な姿に少しだけほっとした。
明るい表情から、充実した日々を過ごしたことが分かる。

おそらく、私の決断は間違ってなかった。素直にそう思えた。

「ただいま、翔子。」

私の名前を呼んだ瞬間だけ、少し表情が曇った。
やはり、私のことを恨んでいるのだろうと察する。

だけど、すぐにその場を立ち去ろうとした私に掛けられた言葉は意外なものだった。

「少し話す時間をもらえないか?」

その言葉に戸惑っている私に、彼はやや強引に詰め寄ってくる。

今更、何を話すと言うのだろうか。
思い出話?
それとも、二年前の恨み言?
どちらにしても、私はその手の会話を平気で彼とできる心境ではない。

断ろうと思い言葉を探したが、久々に見た彼の真剣な眼差しに負けて、つい了承してしまった。

バックヤードに戻り、大きくため息をついた。

「ビンゴだったか?」

背後から声を掛けてきたのは、牧田だった。そのまま、振り返らずに答える。

「ええ。しかも、このあと話をすることになりました。」

「おお、やったな!」

「何がですか?気まずいばかりで、いいことは一つもないと思いますが。」

「馬鹿だな。何とも思ってない元恋人と話がしたいなんて思うかよ。お前を迎えに来たんだよ。」

「…それだけは、絶対にないと思います。」

牧田の楽観主義っぷりに呆れながら、片づけを黙々と進める。
さっきまで早く上がりたくって仕方なかったというのに、今は少しでも作業を長引かせたい気分だ。

「そんなの俺がやっとくから、お前は早く帰れよ。ビビってないで。」

「…ビビってません!」

そう言われてしまっては、無駄に不急の仕事をするわけにもいかない。

私はため息をまた一つ付いて、ロッカールームへと向かう。

「木原、もう嘘は付くなよ。」

背中から追いかけてきたのは、牧田の声。
この二年間、聞き飽きたフレーズだった。
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