櫻の王子と雪の騎士 Ⅰ
◆
オーリングはこの上なく、イライラしていた。
基本的に、この王宮はあまり居心地のよい場所ではない。外で小さな村を転々と周り、のびのびと暮らすことが性に合っているオーリングにとって、この仰々しい程の建物の中に篭って過ごす事自体が、息苦しくて仕方が無い。
緊急の帰還命令が下ってから急いで王都に戻ったはいいが、あの事件が起こって以来、滅多に使われることのない自室で缶詰である。
怪我をしたルミの看病に行きたいというのに、シルベスターがどんどん仕事を回してくるせいで、部屋から出ることすらできない。
本来であれば、オーリングは王宮で仕事をする必要はない。ほとんどが郊外の村や街の復興の仕事だからだ。やらなくてもいい書類仕事を何故オーリングがしなければならないのかというと。
───
『近衛兵達が誰もいない!?
どういう事だ、それは!!?』
王都に帰還し、新国王から聞かされた事実。それに、オーリングは唖然とする。
近衛兵とは王族直属の騎士団で人数は僅か9人。だが、全員が優秀な魔法使いで、特殊な体技も習得している。
人間離れしたその強さは、この国、いや、この世界で最も恐れられていると言っても過言ではない。
そして彼らは王族直属の衛兵であるため、王宮に留まることがほとんどだ。たまに、自国の戦争に駆り出されるか、友好国の戦力補助として派遣される程度。
その近衛兵が、今この国に誰一人残っていないという。
聞けば、王族分家の大臣達がそれぞれ友好国へと向かったかららしい。王族分家の大臣には最低一人は近衛兵が付かなければならない。それに近衛兵が全員、同時期に駆り出されたというのだ。
本来ならばそんな事は有り得ない。
でなければ、王宮前の噴水広場でシルベスターやフランツィスカが狙われた際、近衛兵が動いた筈である。ルミがいたから国王の命は守られた。逆を言えば、このような異例の状況であったために、ルミは怪我をしたとも言える。
あの時のことを思い出すと、未だに寒気を感じる。
そう、あの狙撃事件。異常な街の人々の様子に混乱して動くことのできなかったオーリング。気付けば、ルミは既にシルベスターたちに向かって駆け出していた。
そして、撃たれた。
わずか数秒、たった数秒の出来事だったにも関わらず、すごく長く感じたその瞬間。
自分の母親が打たれた時の光景と重なった。あまりのショックに顔は青ざめ、呆然と固まってしまう。
暫くすると、広場完全に横切るように氷壁が現れ、王族を守る様にその場を分断した。呆然としっぱなしのオーリングに突然喝が飛ばされる。
『貴様馬鹿か!!
さっさと敵を捕まえに行かんか、このボンクラっ!』
ビクッと声のする方を慌てて見ると、一角獣ノアが、オーリングを睨むように見つめると、ルミの元へと駆け出した。
その声に反応し、オーリングは急いで闇の魔力を感じる敵の元へと向かう。そして、その場にたどり着いた途端
地面から突然鎖が飛び出し、逃げ出そうとした黒い影を絡みつくようにして捕縛。手足の自由が効かないように複雑に絡むその鎖は氷で作られており、且つ、闇の魔力を封じるための光属性の加護魔法がかけられていた。
初めて見る、その高度で精密な魔法に感嘆の声を漏らしつつ、オーリングは敵を確認する。顔には仮面が貼り付けられ、マントをかぶっている。そこから除く顔以外の体は全てが真っ黒。とてもじゃないが、人とは思えない。恐らく魔法で作られた傀儡だろう。
(............こんなものが使えるのは、あの一族か、ジンノさんぐらいしか...)
そこまで考えた後、敵を捕縛しに来た衛兵達に後を任せ、ルミの元へと急いだ。
その場には既にルミの姿はない。近くにいた衛兵を捕まえ、事の次第を聞き、オーリングは青ざめた。
(死の呪詛っ......!!?)
死の呪詛。それは闇属性魔法のなかでも最も危険で恐ろしい禁術。魔力を持たない人間が受ければ即死。たとえ魔力を持っていたとしても、相性が悪ければ十秒とその命は持たないだろう。
ルミが運ばれた王宮内病棟へと急ぎながら、オーリングは考えた。
それこそ、その魔法がこの現代で使えるのは数が限られるもの。少なくともこの国には、片手で数えられるぐらいしかいない筈である。
そもそも、この国、この世界において魔法使いと呼ばれる者はけして多くない。総人口の一割にも満たないのである。この国にも普通の学校が何十とある中で魔法学校は、この王都にあるたった一つだけである。
(絶対に突き止めてやる......!!)
大きな怒りを胸に秘めながら、オーリングはルミの元へと急いだ。