M/Aya
麻弥の通う高校から電車で一時間ほどのところ。都心からは少し外れた町に彼女が住んでいるマンションはあった。
「綺麗なマンションね」
エントランスから入ると結那はキョロキョロとあちこちを見ている。知り合い、友人の家への初めての訪問は好奇心が働くものだ。ましてや学校でも謎の存在である橘麻弥の家である。恐らく麻弥の家に来たのは自分が初めてだろうと、結那は少し高揚していた。
「お邪魔します」
結那は恐々(こわごわ)と玄関から部屋に上がった。生活感がまったくなく、寒々としたリビングダイニングを横切って麻弥の部屋に入ってもそれは同じだった。
麻弥の部屋にはベッドと、勉強机、それにぎっしりと本が並べられた大きな本棚があるだけだった。
「橘さんにはきょうだいはいるの?」
カーペットにちょこんと座ると結那は麻弥に尋ねた。
「私のことはいいでしょう。平本さんの話を聞かせて」
にべもなく断られ、結那は一瞬、鼻白んだが、唇をきっと結ぶといきなり服を脱ぎだした。ブレザーに続いてシャツを脱ぐと、結那の体には無数の痣があった。
「それは?」
麻弥が別段、驚いた様子もない。深刻なことを打ち明けたつもりの結那は拍子抜けしたが、むしろ麻弥が動じないので、次の言葉をするっと口にすることが出来た。
「DVっていうのかな・・・、彼に―」
こんなことをグループの友人に話せばどうなるか・・・。
結那は友人たちとは関係は良好である。しかしそれとこれとは話は別だ。
「誰にも話さないでね」と言ったところで秘密が守られるとは思えない。
結那は大人しく、自分を出せない少女だったが、人間を観察することに長けており、その性質をよく知っていた。だがそれは同年代の少女たちに比べれば・・・の話である。
「そう。大変ね。で?」
「え?」
「相談したいんでしょう?それでどうしたいのかしら?」
「どうしたいって・・・」
結那は打ち明けることで精一杯だった。胸に仕舞い込んでいた悩みを初めて他人に話すという、大きなハードルを越えたばかりなのだ。
しかし麻弥は極めて合理的な頭脳を持っていた。相談事というのだから、本人の意思を聞かないことには始まらない。事実を告げられただけでは、「あ、そうなの」で終わりではないか。
「あなたはその彼と別れたいの?それともDVを止めさせたいの?」
「・・・・・・」
結那は押し黙ってしまった。
(ふーん)
麻弥はうつむいて唇をかみ締めている結那を観察した。
(何を考えてるか分からないわね)
打開策としては面倒くさいが結那が話しやすいように仕向け、一から聞くしかない。麻弥は最後まで付き合う覚悟はしている。
「平本さん、その彼とはどこで知り合ったの?」
麻弥は結那が答えやすいように平易な質問をした。
「バイト先で・・・」
「アルバイト?」
結那の話はこうだった。
彼女は土日、カジュアルファッションを扱う店でアルバイトをしている。家があまり裕福ではないため大学に進学するための足しにするという極めて真面目な理由だ。しかし学校ではアルバイトは一応禁止されているため、それこそグループ内の友達にしか明かしていない。
そのバイト先で五十嵐保雄(やすお)と知り合ったという。保雄はN大学の二年生で、背も高く、ルックスが良い。性格も明るいので女子の人気が高かったという。
土曜日、バイトを終え帰宅しようとする結那に保雄が声をかけて来た。
「この後何にもないなら飯でも一緒に行かない?」
気さくな感じであくまでアルバイトの同僚として―という感じだった。人によっては気軽な話かも知れないが男女交際の経験の無い結那からすると一大事件だった。
それに結那も保雄には恋愛感情とはいかないまでも、保雄に興味があった。うぶな女子高生からすると大学生で見栄えの良い男というだけで憧れるものかも知れない。
ところが保雄が向かった先は居酒屋だった。
「高校生だったらお酒くらい飲めるでしょ?」
ファミリーレストランで一緒に食事をするくらいに考えていたから結那は保雄の申し出を受けたのだ。結那は親に連れられて行く以外、酒を飲む店に行ったことが無かった。つまりは酒など飲んだことがないのだ。だが結局、結那は断れなかった。居酒屋では駄目だという理由も思いつかなかったし、少し背伸びをしてみたかったのもある。
飲み始めて一時間も経った頃(もっとも結那はカクテルをやっと三分の一飲んだくらいだが)、
「初めて会ったときから気になっていた」
という保雄の一言で、そこまで意識していなかった相手であるにも関わらず、結那の胸は高鳴った。そこで保雄に口説かれ、あっさりと付き合うことになったという。
この「あっさりと」というのは麻弥の感想であるが。
家に送ってもらう途中でファーストキスまで奪われたらしい。
二回目のデートで処女を捧げ、それからは会うたびにSEXを求められた。というよりろくにデートもしたことがない。
つまりはSEXをするために呼び出されていたようなものだ。これも麻弥の感想であるが。
結那は、「これって普通なのかなぁ」とか、「本当に好きでいてくれているのだろうか」とか、そういう疑問を常に持っていたという。
(この娘、馬鹿なのかしら)
女子高生に酒を飲ませ、後は体を求めるだけような男。そんなことで恋人と呼べるなら私には何人恋人がいるのだろうと、麻弥は思った。
結那が言うには付き合い出して三ヶ月目、保雄に浮気が発覚したという。怪しいところは付き合い始めた当初からあった。
知らない女からのメール、ライン、電話。保雄は友達だという。結那は信じた。いや、信じようとした。保雄が「そんなことも信じられないでは恋人とは呼べない」と言ったからだ。
大学生ともなるとクラスメートやサークル仲間とも、高校生と違って大人のような付き合いがあるのかも知れない。ましてや保雄は明るくて社交的だ。顔が広いのだろう。
結那はそう思った。
だが違った。
結那は下校途中、保雄が手をつないで女と歩いているところを見てしまったのだ。
「綺麗なマンションね」
エントランスから入ると結那はキョロキョロとあちこちを見ている。知り合い、友人の家への初めての訪問は好奇心が働くものだ。ましてや学校でも謎の存在である橘麻弥の家である。恐らく麻弥の家に来たのは自分が初めてだろうと、結那は少し高揚していた。
「お邪魔します」
結那は恐々(こわごわ)と玄関から部屋に上がった。生活感がまったくなく、寒々としたリビングダイニングを横切って麻弥の部屋に入ってもそれは同じだった。
麻弥の部屋にはベッドと、勉強机、それにぎっしりと本が並べられた大きな本棚があるだけだった。
「橘さんにはきょうだいはいるの?」
カーペットにちょこんと座ると結那は麻弥に尋ねた。
「私のことはいいでしょう。平本さんの話を聞かせて」
にべもなく断られ、結那は一瞬、鼻白んだが、唇をきっと結ぶといきなり服を脱ぎだした。ブレザーに続いてシャツを脱ぐと、結那の体には無数の痣があった。
「それは?」
麻弥が別段、驚いた様子もない。深刻なことを打ち明けたつもりの結那は拍子抜けしたが、むしろ麻弥が動じないので、次の言葉をするっと口にすることが出来た。
「DVっていうのかな・・・、彼に―」
こんなことをグループの友人に話せばどうなるか・・・。
結那は友人たちとは関係は良好である。しかしそれとこれとは話は別だ。
「誰にも話さないでね」と言ったところで秘密が守られるとは思えない。
結那は大人しく、自分を出せない少女だったが、人間を観察することに長けており、その性質をよく知っていた。だがそれは同年代の少女たちに比べれば・・・の話である。
「そう。大変ね。で?」
「え?」
「相談したいんでしょう?それでどうしたいのかしら?」
「どうしたいって・・・」
結那は打ち明けることで精一杯だった。胸に仕舞い込んでいた悩みを初めて他人に話すという、大きなハードルを越えたばかりなのだ。
しかし麻弥は極めて合理的な頭脳を持っていた。相談事というのだから、本人の意思を聞かないことには始まらない。事実を告げられただけでは、「あ、そうなの」で終わりではないか。
「あなたはその彼と別れたいの?それともDVを止めさせたいの?」
「・・・・・・」
結那は押し黙ってしまった。
(ふーん)
麻弥はうつむいて唇をかみ締めている結那を観察した。
(何を考えてるか分からないわね)
打開策としては面倒くさいが結那が話しやすいように仕向け、一から聞くしかない。麻弥は最後まで付き合う覚悟はしている。
「平本さん、その彼とはどこで知り合ったの?」
麻弥は結那が答えやすいように平易な質問をした。
「バイト先で・・・」
「アルバイト?」
結那の話はこうだった。
彼女は土日、カジュアルファッションを扱う店でアルバイトをしている。家があまり裕福ではないため大学に進学するための足しにするという極めて真面目な理由だ。しかし学校ではアルバイトは一応禁止されているため、それこそグループ内の友達にしか明かしていない。
そのバイト先で五十嵐保雄(やすお)と知り合ったという。保雄はN大学の二年生で、背も高く、ルックスが良い。性格も明るいので女子の人気が高かったという。
土曜日、バイトを終え帰宅しようとする結那に保雄が声をかけて来た。
「この後何にもないなら飯でも一緒に行かない?」
気さくな感じであくまでアルバイトの同僚として―という感じだった。人によっては気軽な話かも知れないが男女交際の経験の無い結那からすると一大事件だった。
それに結那も保雄には恋愛感情とはいかないまでも、保雄に興味があった。うぶな女子高生からすると大学生で見栄えの良い男というだけで憧れるものかも知れない。
ところが保雄が向かった先は居酒屋だった。
「高校生だったらお酒くらい飲めるでしょ?」
ファミリーレストランで一緒に食事をするくらいに考えていたから結那は保雄の申し出を受けたのだ。結那は親に連れられて行く以外、酒を飲む店に行ったことが無かった。つまりは酒など飲んだことがないのだ。だが結局、結那は断れなかった。居酒屋では駄目だという理由も思いつかなかったし、少し背伸びをしてみたかったのもある。
飲み始めて一時間も経った頃(もっとも結那はカクテルをやっと三分の一飲んだくらいだが)、
「初めて会ったときから気になっていた」
という保雄の一言で、そこまで意識していなかった相手であるにも関わらず、結那の胸は高鳴った。そこで保雄に口説かれ、あっさりと付き合うことになったという。
この「あっさりと」というのは麻弥の感想であるが。
家に送ってもらう途中でファーストキスまで奪われたらしい。
二回目のデートで処女を捧げ、それからは会うたびにSEXを求められた。というよりろくにデートもしたことがない。
つまりはSEXをするために呼び出されていたようなものだ。これも麻弥の感想であるが。
結那は、「これって普通なのかなぁ」とか、「本当に好きでいてくれているのだろうか」とか、そういう疑問を常に持っていたという。
(この娘、馬鹿なのかしら)
女子高生に酒を飲ませ、後は体を求めるだけような男。そんなことで恋人と呼べるなら私には何人恋人がいるのだろうと、麻弥は思った。
結那が言うには付き合い出して三ヶ月目、保雄に浮気が発覚したという。怪しいところは付き合い始めた当初からあった。
知らない女からのメール、ライン、電話。保雄は友達だという。結那は信じた。いや、信じようとした。保雄が「そんなことも信じられないでは恋人とは呼べない」と言ったからだ。
大学生ともなるとクラスメートやサークル仲間とも、高校生と違って大人のような付き合いがあるのかも知れない。ましてや保雄は明るくて社交的だ。顔が広いのだろう。
結那はそう思った。
だが違った。
結那は下校途中、保雄が手をつないで女と歩いているところを見てしまったのだ。