M/Aya
麻弥は結那から五十嵐保雄の電話番号、メール、ラインなどの連絡先を聞いた。

 「いい?今後、この男からの連絡は無くなるわ」

 結那には疑問が残ったが、こともなげに言い放つ麻弥を見ていると、「本当にそうなるだろう」という気持になってしまう。と同時に彼女は大きな安心感に包まれた。
 もう地獄のような日々から開放されるのだ、と。
 麻弥は放心している結那に一つ、念を押した。

 「ただ一つだけ約束して。私に相談したことを絶対に誰にも言わないで」

 結那は思いつめた顔でこくんと頷いた。

 (この娘は秘密を守る)

 結那の性格はもう分かった。自分に溜め込んでしまうタイプだし、グループ内の友達に話すことが出来ず麻弥に近づいてきたのだ。その点は心配ないだろう。

 「分かったわ。私たちの秘密ね」

 それどころか結那は麻弥と秘密を共有できたという仄かな喜びを感じているようだ。

 (まったく平本結那は善良だ)

 麻弥は呆れた。
 なんて馬鹿で一途でお人好しなのだろうか。そんなことでこの先、生きていけるのだろうか。女としての幸せを掴み取ることが出来るのだろうか?

 (どうでもいいことね。おせっかいだわ)

 麻弥は小さくため息をついた。

 (少なくとも―)
 
 (私みたいに生きる価値がない、ということはない)

 麻弥はいつもの思考の帰結点に辿り着く。

 さて三日後の日曜日、麻弥は五十嵐保雄に連絡をとった。
 ラインで「結那の友達」だと名乗って、「彼女のことで相談があります」と。
 結那と連絡が取れなくなっていた保雄は、最初は、「どいうこと?」と訝しんだが、「そのことなんですけど」と、返信すると、「分かったよ」と返信が来た。

 (ラインだと相手の気持が分からないから面白いわね)

 麻弥は保雄がどんな表情でラインに書き込んで切るのかを想像すると可笑しくなった。
 そんなやりとちの後、麻弥と保雄は、結那の話に出てきたファミリーレストランで会うことになった。
 
 「初めまして、橘麻弥です」

 麻弥はにっこりと笑った。まず学校ではこんな表情はしない。明るく屈託のないごく普通の女子高生を演じている。

 「い、五十嵐保雄です」

 だが麻弥は保雄にとって、いや他人にとって一見して普通ではない。あまりにも美しいのだ。

 (すげー可愛いな。こんな綺麗な女、大学にもいやしないぞ)

 彼の元カノは、大学の準ミスなのだが、それだけにプライドも高く、手を焼いた。浮気が発覚したときもこれまでのように許してはくれず、友人知人に話を広げ、手ひどく保雄を振った。
 その元カノがまるで色褪せるような麻弥の美しさである。
 保雄はすでに結那についての相談事などどうでも良くなっている。目の前の少女に釘付けである。

 (なるほど)

 麻弥は保雄を見た。
 身長は180近くあるだろうか。スマートで、顔もハンサムといっていい。愛想笑いを浮かべると、目じりに皺が出来、顔がクシャッとなるところも、キュートだと騒がれるだろう。
 
 「結那がぁ、彼氏のことで悩んでるって相談してきたんです」

 麻弥はソーダフロートを飲みながら話し始めた。

 「俺がどうしたって言ってました?」

 保雄は居住まいを正して話を真剣に聞く風だ。

 「浮気・・・されてるんですか?」

 「まいったな」

 保雄は頭を掻いた。いきなり核心を突かれて困ったのである。

 ただ、「まいったな」というのは、結那に申し訳ないということではない。
 そこまで麻弥に伝わっているのは、困るということである。麻弥を口説くのに手間取るではないか。

 「私もそんなに詳しくは聞いてないんですけどぉ、結那は泣いてます」

 (詳しく聞いてない?)

 保雄は思案した。

 (本当かどうか分からないが、それに乗るしかねぇか)

 「誤解だよ、麻弥ちゃん」

 保雄は精一杯の真面目な表情を作った。
 そして、「浮気などしていないこと」、「は元カノとちゃんと別れてなかったゆえに、結那に誤解を与えてしまったということ」、「結那がちゃんと話を聞いてくれないということ」などをあることないことおりまぜ、力説した。

 そして、

 「結那がもう少し俺を信用してくれれば・・・」

 と、悲しげな表情を浮かべてみせた。

 「ああ、そうなんですか?」

 麻弥は合点がいったというように大きく頷いた。

 「うん・・・。あいつ、どうして俺の話を聞いてくれないんだろう。ハァ・・・」

 「でも、仕方ないですよぉ?」

 「え?」

 保雄はドキッとして麻弥を見た。

 (外したか?)

 と内心、気が気ではない。

 「だって五十嵐さん、すごく女の子にモテそうなんだもの。結那が心配するのは仕方ないですよ」

 (イケる)
 
 保雄は自分の容姿に自信を持っている。そして自分に好意を寄せる女には敏感だ。自分からは告白せず、女になびかせる様に仕向けて、都合の良い付き合いに持ち込む、というのが保雄の常套手段だった。だからこそ、保雄は本命の彼女にはステータスが必要だと思っている。そのステータスとは美しさだろう。保雄は女の中身などには興味がない。顔とカラダが良ければそれでいいのだ。
 「ただ結婚するときには、女の中身も考えよう」
 などと抜け抜けと考えているが。

 麻弥の保雄を見る目は、今まで彼に好意を寄せてきた女のそれだった。少し潤んだ瞳で保雄をチラッと見ては、目をそらす。
 保雄は畳み掛けた。
 「結那があまりに話を聞いてくれないので、もう付き合うのは無理かもしれない」、「俺も言葉足らずなところがあってそれは申し訳ないと思っているけど」、「結局、相性が悪いのかも知れない」
 保雄は沈痛な面持ちで話した。決して結那だけを責めず、自分にも悪いところがあると、恋に悩む青年を演じてみせる。
 
 「分かります。結那も大人しいタイプだし、何を考えてるのか分からないときがあるから」

 「いや、俺が分かってやらなきゃ駄目だったんだけど・・・」

 保雄は目を閉じて頭を振った。

 (ヘドが出るわね)

 保雄を観察している麻弥の率直な感想だ。

 (でも面白いわ)

 人間とはこうも恥知らずになれるものか。それに―、

 (なんて演技が上手いのかしら)

 自分のことは棚に上げて麻弥は不思議に思った。
 
 (だけど舞台やドラマに出演すれば素人丸出しになるのね)

 彼女は考える。
 言い訳するとき、人間は嘘が下手である。だが騙して何かを得ようとするとき、人間はどこまでも狡猾になるものだ。もっとも麻弥は保雄が何を企んでいるかを知っている。
 保雄は麻弥を手に入れたいのだ。

 「君くらいの年頃の娘(コ)は何を考えてるんだろう?教えてくれないか?」

 結那と保雄は三つしか年が離れていないが、そこは話に乗ってやる。

 「ええ~?どうかなぁ・・・。私は・・・」

 麻弥が言いかけると、

 「あ、もう二時間もここにいるね。お腹減らない?おごるから場所を変えようよ」

 と保雄が提案してきた。麻弥はちょっと考えてみせてから、

 「うん」

 と返事をした。
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